第20話 魔邪の指輪
今朝、突如消えたセシリアの精神。
王国の文官であり、知識に富んだロイドは言った。セシリアは
「セシリアが取り込まれただと! 無事なのか、どうなってるんだ。本体って一体なんのことだ!」
オレは拳をテーブルに叩きつけた。
「今のところ、おそらくは無事だと思われます。ですから、どうか……まずは座って、落ち着きましょう」
ロイドは穏やかな声でそう促したが、眉間には微かな皺が寄っている。
「さぁっ、ジェシリアさま。フィナンシェです! これを食べて落ち着くのです」
アイラが茶菓子を持って、こちらに差し出してきた。
「おい、こんな時に何やってんだ……いや、まぁ、ありがとな」
頭を掻きつつ、フィナンシェを受け取る。
だが、胸の奥はまるで落ち着かない。
「本体というのは、
ロイドは席を立ち、マルコムのレイピアに残されていた指輪を慎重に取り上げた。そして、静かにテーブルの上へ置く。
琥珀色の石に指先が触れた瞬間、その奥に、かすかな陰が差したように見えた。
「このリングに嵌められている石は、
ロイドは指輪をなぞりながら、淡々と語る。
一方でアイラは、菓子を頬張り、紅茶を飲みながら、真面目な顔で話を聞いていた。
「さらに、このリング部分は高純度のミスリル鉱でできています。魔力伝導率が極めて高く、魔力を誘導する精巧な術式が刻まれている」
「綺麗な指輪だけど……なんだか、気味が悪いのです」
アイラが指輪をじっと見つめて呟く。その瞳には、好奇心と恐れが入り混じっていた。
「リングの魔石に血を与えると、その血液に宿る魔力――すなわち精神の一部が、魔石に取り込まれます」
「精神が……指輪の中に?」
アイラが眉をひそめ、身を乗り出す。
「そうです。取り込まれた精神は魔石内で増幅され、自我を持つまでに成長する。そして――その精神が、リングを嵌めた者に宿るのです」
「じゃぁ、わたしがこの指輪を嵌めて、ジェリドさまの血を垂らしたら……ジェリドさまが、わたしに入ってくるってことなのですか? うぅ、考えるだけで気持ち悪いのです!」
アイラは両腕で自分を抱きしめ、ぶるりと身震いした。
「やかましいわ! んなもん想像すんじゃねーよ」
睨みつけると、アイラは眉尻を下げて「えへへ」と、まったく懲りない笑顔を見せる。
ロイドは静かに紅茶で喉を潤した。
「さらに――指輪を嵌めた者が多量の魔力を使用すれば、その魔力の一部は指輪を介して魔石へ吸収され、本体である
その瞬間、琥珀色の指輪が、淡く脈打つように輝いた。
「やっぱり気味が悪いのです! ロイドさま、ジェリドさま、早く捨てましょう!」
アイラが椅子から立ち上がり、テーブルを指差す。
「待て! なんでそうなる。コイツは――セシリアを救う鍵になるかもしれねーだろ」
制止すると、アイラは渋々腰を下ろしたが、視線はなおも指輪を睨みつけ、無意識に菓子へと伸びていた。
「……続けます」
ロイドは一拍置いて、言葉を選ぶ。
「指輪を嵌めた者が魔力を使い続ければ、その精神は少しずつ結晶柱へと取り込まれます。そして――魔石の内部で自我が確立した時点で、元の肉体に存在していた精神は、すべて消滅する」
その言葉に、オレの脳裏に、セシリアとの一騎討ちが鮮明に蘇った。
――――――
あの時、オレはセシリアを傷つけず、気絶させるつもりだった。
だが、もしオレが負ければ、命が助かっても処刑は免れない。
そんなことになれば、セシリアは自分を責め続けるだろう。
……あの頃のオレみたいには、なって欲しくなかった。
オレが勝てば、二人とも生き延びる道があったはずだ。
オレはただ、必死に――アイツを救おうとしていただけだった。
だが。
もし、オレが勝っていたとしても。
リングを嵌め、大量の魔力を使ったセシリアの精神は、時が来れば結晶柱へと取り込まれ、体内から消えていた。
――――――
「クソッ……マルコムの野郎……」
思わず、テーブルを叩く。
隣で菓子を頬張っていたアイラの動きが、ぴたりと止まった。
静寂の中で、琥珀色の石が、またぼんやりと光を放つ。
「……つまり、この体のセシリアは消えて、今は魔邪の本体で存在している……そういうことか」
低く呟くと、アイラが「セシリアさま……」と小さく呟き、瞳を伏せた。肩が、わずかに震えている。
ロイドは、そんなオレたちを静かに見つめている。
ーーその視線の先に、オレは答えを求めた。
オレは、テーブルの上の指輪に置いていた視線を、ロイドに向けた。
「……なぁ、ロイド」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「マルコムとの戦闘で――あの指輪は、オレの血を喰った」
言葉を、慎重に選ぶ。
「それってつまり……オレも、セシリアと同じ道を辿るってことだよな」
ロイドは、すぐには答えなかった。
一度、紅茶に視線を落とす。
「……個体差があります」
それだけで、答えになっていないことは分かる。
「セシリア様の場合、数日から一週間ほどで兆候が現れました。あなたの場合――血を吸われた量は少ない。ですが……」
ロイドは、はっきりと言葉を切った。
「安全圏では、ありませんな」
胸の奥で、何かが静かに沈んだ。
「……一週間あればいい。その間に、アイツを連れ戻す」
「ジェシリア様! すぐにダンバー領へ行きましょう! マージャのなんとかをぶっ壊して、セシリアさまを救い出して、……ジェリドさまも取り込まれなくするのです!」
アイラが拳を握りしめ、真剣な瞳で叫ぶ。
――っ!
「……そうだな、アイツも腹空かせてピィピィ泣いてる頃だろ。迎えに行くぞ……ただし」
ロイドを見る。
「ぶっ壊して、いいのか?」
「破壊して良いかどうかは分かりません。ですが――セシリア様を救うには、慎重な判断が必要です」
「慎重に......でも、急がないと、なのです!」
すみれ色の瞳が、まっすぐこちらを見据えていた。
「あと、セシリア様が戻ったら、アイスクリームをご馳走してあげましょう!」
「オメー、さっきからアイスクリームのことしか考えてねぇだろ!」
思わずツッコミを入れると、アイラは満面の笑みを浮かべる。
その笑顔に、張り詰めていた胸の奥が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
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