第2話 魚人VS小町

 魚人が、モリっぽい武器の先端を私に向けて、ニヤリと笑う。だから、魚の目は感情が読めないから嫌いなんだってば。


「あんまり血が出過ぎると勿体ないからな……」


 魚人の頭の中では、もう私の解体ショーが始まってるのかもしれない。冗談じゃなかった。


「ハアアッ!」


 魚人が、私向かって踏み出した。


 殺られる! と思った私は、咄嗟にホルスターから小型のエアガンを取り出して、至近距離で一発打つ。ほぼ意識しないでも身体が反応したのは、対亜人の教科での特訓の効果だった。授業も、時には役に立つ。


 殺生なんて生まれてこの方したことはなかったけど、殺らないと殺られる。私はまだ目的を達成していないから、ごめんね魚人さん――。


 知らず識らずの内に薄目になっていた目を、ゆっくりと開けてみると。あ、あれ?


 魚人の身体は撃たれた衝撃で少しグラリと揺れたけど、それだけだった。角度が悪かったのか威力が足りないのか、殺傷能力は十分と言われていた強化プラスチックの玉を、魚人の鱗はあっさりと跳ね返してしまっている。……嘘でしょ。これ、絶体絶命じゃない?


 魚人が、あの不気味な感情の読めない魚の目を私に向けた。――ヒイッ! やっぱり苦手!


 二の腕を、鳥肌がザザザッと走った。


「痛えな」

「……っ!」


 ――だったら。


「逃げるが勝ち!」


 ヒトの心得、その一。亜人に会ったら無理に戦わず、逃げるべし。


 子供の頃に最初に教わる亜人遭遇の際の心得を思い出しつつ、河に背を向け脱兎の如く走り出した。


「あっ! 待て!」

「待つか! バーカ!」

「こんの……っ!」


 魚人は挑発するとすぐ怒るから、からかうのはやめましょうとも聞いていたけど、どうやら本当みたいだ。でも、ヒトの足に、陸を走る様に作られていないヒレ付きの魚人の足は追いつけない。


 これまでの恐怖の仕返しに、馬鹿のひと言くらい言わせてもらいたかった。本当、心臓が止まるかと思ったんだから。


 河川敷は小岩だらけで走りにくいけど、ヒレでペタペタ走る魚人よりは遥かに早い筈。


 街道にさえ入ってしまえば、亜人が嫌いな臭いを散布しているし、ヒトには聞こえないけど亜人には不快に感じる音が流れているから、逃げ切れる。


「はあ……っはあ……っ!」


 あとちょっと! 小石に足を取られながらも走っていくと、突然目の前に魚人が降ってきた。


「きゃっ!」

「逃げるな!」


 飛んできたらしい。そんなのあり!?


「逃げるに決まってるでしょ!」


 急停止すると、回り込む為、右に方向転換をする。すると今度は別の魚人が降ってきた。もう一匹!? もおお! しつこい!


 河をさっと確認したけど、とりあえず私を狙っているのはこの二匹だけみたいだ。後から来た、どうやら女っぽい魚人の顔面目掛けてエアガンを発射すると、「きゃんっ!」と案外可愛らしい声を上げて顔を覆った。


 でも、血すら出てない。全然効果ないじゃない、このエアガン。


「○▲☆$!」


 最初に私を襲った方、多分男の魚人が、女の元にペタペタと駆け寄った。よく分からないけど、多分名前かな。その隙に、私は逃げることにする。


「このお! 待て!」


 怒りに満ちた大声で私を呼ぶ魚人は華麗に無視して、街道前の最後の坂道を登る。


「きゃっ!」


 勢い余って、砂埃が立つ街道に転がりながら倒れ込んでしまった。


「待てえ!」


 男の魚人が、また跳躍して街道脇まで来た。でも、「うっ」と鼻を押さえたところをみると、嫌な臭いがしているらしい。エアガンよりもこっちの方が余程効果がある。


「っつ……!」


 着てきた服は、お気に入りの黒のショートパンツだ。この服ならすらりとした足に見えると思ったからだけど、防御力が低いことこの上ない。もっと考えて服装を選べばよかった、と心底思ったけど、これぞ後の祭りだ。


 剥き出しの所為で擦ってしまった膝から、血がたらりと垂れる。痛みを我慢し、歯を食いしばりつつ立ち上がると、街道の上を走って逃げた。


「逃げるな!」


 魚人はそう言うと、足許に転がっていたそこそこ大きな小岩を持ち上げ、私に向かってぶん投げる。ブオン! と轟音を立てて私の耳元を掠っていった。


「危ないでしょ!」


 思わず怒鳴りつける。


「当てにきてるんだ! 当然だろうが!」

「人食反対!」


 そう叫ぶと、更に走って逃げた。


 魚人はその攻撃が私に効果的だと悟ったのか、街道沿いに跳躍して着地しては岩を投げるを繰り返し始める。――本当にしつこい!


 苛立たしげに、大きく舌打ちされた。


「ちょこまかと!」


 舌打ちしたいのはこっちの方なんだけど。


「もう諦めてよ!」


 逃げ続ければきっと何とかなる。そう思って街道を走り続けたけど、岩と同時に投げられた拳大の石が右肩に激突してしまった。


「きゃっ!」


 衝撃と共に、街道の反対側に倒れ込む。肩がじんじんした。咄嗟に手で肩を庇うと、飛び上がる様な痛みと同時にぬるりと温かい液体が手に触れる。――血じゃないの。


「く……っ!」


 必死で起き上がって街道に戻ろうとしたら、魚人が飛んできて道を塞いでしまった。ニヤリと笑う魚人にいらっとしたけど、とにかく逃げないと拙い。


 河から離れたら、きっとこいつは深入りしてこないんじゃないか。咄嗟にそう判断すると、闇が侵食し始めた鬱蒼と生い茂る木立に向かって駆け出した。

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