第七話 意表
──無情に鳴り響く目覚まし音。不快指数を
ベッドから起き上がり、寝ぼけ眼を
「んー…………あー……もう、朝か……」
気だるい身体を何とか立ち上がらせ、遮光性の高い、ベージュのカーテンを開ける。
反射して映るのは、薄桃色のシルク製ナイトキャップを
今日も今日とて、
「ふぁ……」
二度目の
顔を洗い、歯を磨き、ナイトキャップを脱いで髪を整える。
これは最近手に入れた優れもので、これを被って寝ると髪が痛まず、絡むこともないので今では非常に
髪を
ようやくここまで来て、意識が本格的に覚醒してきた。昨日は、沢山のイベントがありすぎた……。朝の暴力沙汰、不良少女達……。
そうだ、あれから結局、伊田さんとチャットで他愛のない会話をして──。
その後、どうしたんだっけか。
あまり記憶に残ってないが、別に問題はないだろう。重大な事があれば、明確に覚えている筈だ。寝間着姿のまま、その足で居間に行き、冷蔵庫を
グラスに牛乳を注ぎながら、壁掛け時計に目をやる。時刻はまだ八時だ。
片方に腰掛け、テーブルの上に
手慣れた手つきでリモコンを取り、正面にある薄型テレビを点け、暇潰しにニュースを眺める。興味のない内容を聴き流しながら、思い出したようにテーブルに放置されていたスマホを手に取り、操作する。
ちょうど操作を始めたタイミングで、着信を知らせる音が鳴り響く。
画面には「沢崎さん」の文字。私は急いで口に入っていたパンを飲み込み、応答する。
「は、はいもしもし……」
「うっす! もしかして、起こしちゃった感じか?」
電話越しにもわかる、沢崎さんの快活な声。
「いえ、ちょうど朝ご飯を食べていた所です」
「それならよかった! 今もう店の前まで来たんだけど、どうすればいい?」
「は、早いですね……ちょっと待ってください。裏口に回って来てもらえますか?」
「わかった! 今から裏口に回る!」
そんなやり取りを終えて通話を切り、私はそのまま裏口へ向かい、彼女を迎え入れた。
「お、お邪魔しまーっす……」
そんな台詞とともに、辺りを見回しながら居間へと入る沢崎さん。
ここは完全に私の居住スペースなので、普段誰かを招く事はほぼ無いと言っていい。
だからなのだろうか、沢崎さんが物珍しそうにしていた。
「春風姉さん……結構可愛いパジャマなんすね」
「別に良いじゃないですか、パジャマなんて何でも」
沢崎さんの感想に、顔色変えずに答える。
淡い黄色に、デフォルメされた猫があちこちにプリントされた上下セットの服。
猫が好きという事もあるが、これを買った理由はただ一つ、安かったからだ。
「姉さん猫派か……俺は猫よりウサギ派なんだよな」
「だから、口調と趣味が合ってないんですって」
中身のない会話をしながら、私は再び朝ご飯を食べ始める。
対面側に座った沢崎さんは、やがてそわそわした様子で口を開いた。
「な、なあ。今日はどんな事をすればいいんだ?」
――そう、こんな早朝に彼女が来たのも、今日も今日とて働くからに他ならない。
元々時間は九時までに来るようにと話していた、充分過ぎる程早い到着だ。
「そうですね、今日は昨日の復習を
「な、なるほど」
「大丈夫ですよ、どうせそんなに人が来ることもありませんから。落ち着いて練習しましょう」
そう言い、私は牛乳を飲み干す。手早く使った食器を洗って、私は早速自室へ戻り、制服に着替えることにした。
「──さて、やりますか」
時刻は九時。ミニドリップの開店時間である。
本来なら色々仕込みやら行って、開店を迎えるのだろうが私はしていない。
何故なら働き手が一人増えたからである。それに朝から仕込みをしても間に合う程、午前中の客足は少ない事を知っているからだ。
目の前に居る、活気に溢れた制服姿の沢崎さんを見ながら、話を続ける。
「とりあえず、本来は開店前に掃除をするんですが……今から一緒にやりましょう」
「任せてくれ! もうバッチリだ!」
そう意気込み、早速掃除に取り掛かる沢崎さん。
昨日教えた掃除用具の場所も、やり方も問題なく行えているようで安心した私。
何というか、接客以外は完璧なんだよなこの人。
そんな事を思いながら、私も掃除をしていると、妙な違和感に襲われた。
「……?」
ガラス越しの向こう、歩道を通る人からの視線を度々感じるような……。
ふと見たときに、たまたま男性と目が合うも、すぐに逸らされてしまう。
「んん……?」
「どうかしました? 春風姉さん?」
「え、いや……何でもないです」
ま、まあ恐らく
そして、ドアのベルが鳴り、店内に今日初のお客様が来店する。
「あ、あのー……」
おどおどした様子で辺りを見回す男性客。恐らく初めてなのだろう。
「い、いらっしゃいませ! こちらの席へどうぞ!」
快活に対応する沢崎さんに、男性客が素直に従う。
カウンター席に案内され、アイスコーヒーを注文する。
「あ、沢崎さん、ストック無いから、お客様にちょっと待ってもらうように伝えてくれますか」
「りょ、了解です!」
キッチンに注文を伝えに来た沢崎さんにそう言うと、彼女は急いで男性客の方へ向かった。
「スマン! アイスコーヒーなんだけど、今作るからちょっと待っててくれるか?」
急いでいて、思わず出てしまったであろうタメ口に、私は思わず頭を抱えた。
ああ、下手したら、また昨日の再来か──なんて、思っていたのだが。
「あ、ありがとうございます! 全然待ちます!」
「……へ?」
私の想像とは真逆すぎる結果に、思わずキッチンに居ながら声が出てしまった。
「悪いな! 作りたて持ってくるからよ!」
恐らく男性客が咎めなかったからだろう、何も訂正する様子すらなくタメ口で対応し、キッチンに戻る沢崎さん。
「さ、沢崎さん、敬語……」
「──あっ! も、申し訳ありません」
「……って私も怒りたかったんですが、何かあの男性客の対応、変じゃありませんでした?」
「あ、ああ……普通に会話できてしまったから、俺も言われるまで、敬語忘れていた事に気付かなかった……」
「と、とりあえず、アイスコーヒー出来たら、まずは敬語で対応してみて下さい」
「お、おう……」
──数分後、アイスコーヒーが完成し、再び沢崎さんが対応をする。
「お、お待たせしました、アイスコーヒーです」
たどたどしくも、敬語でそう対応する沢崎さん。しかし、男性客は何やら物足りなさそうな表情をしていて……。
「あ、はい……」
まるで期待していたものがもらえなかったような、そんな反応……。
「……」
どうしていいか反応に困り、私に目配せする沢崎さん。
私は試しに、タメ口で話すよう目線とジェスチャーで促してみる。
「あ、あー悪かったな、待たせちまって」
「い、いえ! とんでもないです!!」
先程と打って変わり、嬉しそうにそう答える男性客。気味悪がる沢崎さんに、もう一度タメ口を促す。
「で、その……どうだ、私が淹れたコーヒーの味は」
沢崎さんにそう言われ、すぐさま半分程飲み干す男性客。
「めっっちゃ旨いですっ!! 正直、持って帰りたい位です!!」
「そ、そうか……ありがとな。じゃあ、俺はキッチンに戻るからよ……」
若干男性客の対応に引き気味な沢崎さんは、半ば強制的に話を終わらせて、早足でキッチンに戻ってきた。
「ななななんだよあのオッサン!」
慌てふためく沢崎さんに、私は冷静に答える。
「私もわかりません」
正直、未知なる生物と言っても過言ではないレベルだった。
昨日のように文句を言われることはあっても、喜ばれる事なんて、万に一つもないのだから。
「いや、でも良いじゃないですか。昨日のように問題にならず、しかもお客様が喜んでいる。そう──喜んでいるなら良いんですよ、きっと」
「い、いやそうだけどよ……」
どこか不服そうな沢崎さん。しかし、敬語が苦手な彼女にとって、これ程楽な事はないだろう。
──その後も、結局タメ口で沢崎さんが対応をし続け……男性客は満足した様子で帰っていったのだった。
「な……なんだったんだ」
「一人でコーヒー三杯、ナポリタンにコーヒーゼリーまで……お店としては、非常に嬉しいお客様でした」
一人単価を大きく上回る売り上げに、違和感そっちのけで思わず喜ぶ私。
「まあ、良いじゃないですか。昨日のように揉めるよりは」
実際異質ではあるものの、何も被害があるわけではない。むしろありがたい話ですらある。
敬語を必死に身につけようとしている沢崎さんにとって、これ程やりやすい練習環境はない。
「確かに……タメ口使って怒られるよりは良いけどよ……何か本末転倒じゃねえか、これ」
「リーダー、春風姉さん! おはようっすー!」
そんな活気溢れる挨拶と共に扉を開けたのは、昨日居た沢崎さんの取り巻き、不良少女達の一人だ。
「──って、どうしたんすか、そんな何とも言えない表情して」
「いえ、別に大したことではないんですが……って、今日もいらしたんですね」
どうやら他のメンバーは居ないようで、彼女一人のようだ。
金糸のように染められた髪、先が綺麗にカールしているのを見るに、しっかりとセットしてきた努力が
「そんなツレない事言わないでくださいよー! 皆今日は予定があるとかで、ウチだけ暇だったんで来ちゃったっす!」
「あ、ちなみに名前って……」
私自身、全員不良少女として脳内に登録していたので、とりあえず名前を聞いてみることに。
「あ、自己紹介してなかったすね!
「ど、どうも」
失礼かもしれないが、普通に可愛い名前だった事に驚いた私。
「──あ、そうだ! 見てくださいよ春風姉さん!」
そう言って、
「これって、このお店っすよね?」
「……え」
画面をよく見ると、どうやら誰かのブログのようだ。
見たところ、中々知名度もある男性のようだが……確かに、ミニドリップが記事にされていた。
記事を見る限り……書いた人間は昨日の男性客でほぼ間違いない。
それによって私が
「どれどれ……全国でも少ない、ヤンキー少女がコーヒーを淹れてくれる
「……ぶっきらぼうな感じと親しみ深いタメ口、粗暴な容姿は正に不良少女そのものであり、最初こそとても腹立たしくあったが、今振り返ってみればご褒美以外の何物でもなかった。 同志よ、我々が求める本物は、そこにある……?」
…………は?
「これ、絶対昨日の男っすよね!? あいつ、ヤベー奴だったんすよー!」
「ええ……昨日の様子からして、とてもそんな風には見えませんでしたけど……」
いや、しかし……だとすると、さっきの客はまさか……。
そう思い──ガラス越しに外を見た時だった。
気付けば、長い行列が出来ており、見知らぬ男性達が整然と並んでいるではないか。
思わず入り口から飛び出し行列を見る。この真夏にも関わらず、およそ二十組以上は確認できた。
そして、先頭に立つ男性が、おどおどした様子で私に質問をするのだった。
「あ、あの……もう入店しても、良い感じでしょうか……?」
「へ? あ、あー……すみません、準備出来次第ご案内しますので、少々お待ちください……!」
丁寧に対応し、急いで店内に戻る。
「と、とりあえず……白井さん、あなたも今日お店手伝ってくれませんか?」
白井さんの両肩に手を置き、青ざめた表情で一日バイトを頼み込む。
「ええ? うちバイトなんてしたことないっすけど」
「大丈夫です、何故かは知らないけど、白井さんや沢崎さんみたいな人を、お客様達は欲しているみたいですから……」
どういうカラクリかは分からないが、一生懸命思考を巡らせた結果……恐らくあのブログが原因で謎の行列が生まれた、との結論に至った。
ミニドリップを経営していて初めての出来事に、相当慌てているものの、何とか冷静に対処を試みる。
「と、とりあえず二人共……今日は忙しくなりそうです」
段々と落ち着き、売り上げが非常に期待出来る事をようやく理解した私は、上機嫌で二人にそう呟くのだった。
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