腕相撲
今回はオチはありません。
笑う話でもないです。
時折思い出す高校の同級生がいまして。
前にも少し言いましたが私は吹奏楽を一時期やっていました。
で、その同じ部に、クラリネットを担当していた人がいたんですね。
私と同じでひょろっとした体格なんです。
運動部に比べると細いわけですよ。
不健康で無口でね。
高校を出てからは二松学舎大学の比較文化学に進学しまして。
その時は、ああ、いかにもだなと思ったものです。
ところが二年ほどして中退したらしいと聞いたんです。
猟師になったそうなんですよ。
家が猟師でしたから。
しばらくぶりに合ったら、ものすごくたくましくなってましてね。
「なあ、腕相撲をやらないか」って言うんですよ。
私はあまり腕相撲強くないですけど、まあ並よりはマシです。
いくらなんでもこいつには負けんだろうと思ってたわけです。
それでもまあ、じゃあやろうかとなったんです。
「いきなり全力じゃなくて、少しずつ力を入れるってことでいいか」
「いいよ」
変わったことを言うなあと思いながら、力を込めました。
驚いたことに左は勝ちましたが、右は負けましてね。
まさかこいつにと思っていたので、かなり驚きました。
「どうだい」
「すごいな。ちょっと鍛え直しておくよ」
「次は左も負けんよ」
そう言って別れました。
その時の得意そうな顔がすごく頭に残りました。
大学を中退したというのを聞いたときは、正直気の毒に思っていたんですね。
でもそれから猟師になって、ロープや網をあつかっているうちに、別の生き方を見つけたんだなとわかりまして。
なんだかやけに嬉しくなったんですよね。
それから一年くらいが過ぎた頃でしたかね。
彼の乗っていた船が沈み、彼は還らない人になりました。
電話で深夜に友人からかかってきて、寝てるんだぞと怒鳴りつけようとした気持ちが吹き飛びました。
電話口で初めて涙を流しました。
遺体は見つかりませんでした。
海ですからね。
仕方ありません。
今でも時々「なあ、腕相撲をやらないか」という彼の声を思い出します。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます