26
先代の祖父の日記に「勝子刀自」と書かれていた人物が、どうやらおサヨさんのお姑さんだったらしい――まだ五十代のはじめで、病気ひとつしたことがないようなひとだったのに、夜のうちにころりと死んだのだという。
「あたしが眠っとるうちに、山からついてきたものが、あたしの姿をしてあちこち歩きまわるようになってたの。何人もそれを見て、気味悪がった使用人が辞めたりしたわ。その頃から、あたしもあたしの中におるもののことがおとろしなった――」
姑の葬儀の際、おサヨさんはひどく体調を崩して倒れてしまった。別室で横になっている間、彼女は夢を見た。喪服を着た自分が、葬儀が行われている座敷の周りを駆け回っている夢だった。自分でも見たことのないような満面の笑みを浮かべていた。
おサヨさんが目を覚ますと、全身が汗でぐっしょりと濡れていた。憑物は頭の中で哄笑していた。それも彼女自身の声だった。
「もういい加減どうにかせんにゃて思うた」
もう山に帰ってはどうか、というと、憑物はおサヨさんの頭の中で、やはり彼女の声を使って笑った。
「いやだっていうが。あたしにくっついとりゃ姿を借って、ひとの家に勝手に入ることもできればこうして命をとることもできる。手放すのは絶対にいやだって、言うて笑うがよ」
特に眠っている間、おサヨさんは相手を制御することがまるでできなくなる。だから起きている間に、自分から出て山に帰ってくれるよう頼んだ。
憑物は渋ったが、結局はその頼みを容れることにした。ただし、条件があった。
「鬼ごっこしよう、あんたがあたしを捕まえられたら、すぐに山に帰ってやるって言うて――それでね、あたしから、祐に乗りうつったが」
気がつくと、おサヨさんの頭の中からは憑物がいなくなっていた。
彼女はいつの間にか手に包丁を持っていた。傍らで赤ん坊が、火が点いたように泣いていた。
「ちっちゃい頭に切り傷ができとって、そこから血が出とったが。人がどんどん集まってきて、あたしと祐を引き離いた。そのときあたし、見たのちゃ。祐が笑うたが。唇の端をぎゅーっと吊り上げてね、まるで赤ん坊でないような顔して、あたしを見て笑うた……」
おサヨさんは憑物を「捕まえよう」とした。が、その前に駆けつけた人たちが彼女の方を取り押さえた。これまで憑物が彼女の姿を借りて繰り返していた奇行が、いよいよ子供に牙をむいたのだ――と皆が思った。
「それでみんな、あたしを家から追い出いて、山へ追う払うたが。山に大急ぎで小さい小屋を建てて、その中で暮らすようにって言うて。けど、あたしはあれを捕まえんにゃならんとしょう。三回山を下りて家に行ったが。なんの考えもないがに――それで、三回目にね、見てやってちょうだい。葉子さん」
おサヨさんはそう言うと、着物の裾をたくし上げた。夜目にも白い脚が現れた。
両足がなかった。
「もう絶対に山から下りてこんようにって、こうなったのちゃ」
それで家の周りを回るときに這っていたのか――
辛いことを知ってしまった、と思った。
「それでサヨさん、まだその鬼ごっこは続いとるのね」
母が尋ねると、おサヨさんはうなずいた。
「ずっと続いとるが。本家の代々の当主の体に乗り移りながらね。赤ん坊の体が不便やったんでしょう、七歳になると憑物がうつるようになった。若くて元気なときに体を好きなように使うて、子供ができて育ったらまたそっちに移る――」
「それで、今は晴ちゃんなのね。晴ちゃんを捕まえたらサヨさんの勝ちなのね」
おサヨさんはまたうなずく。
「――ほんのちょっこし触ればいいがよ」
それを聞いたとき、教えなきゃ、という言葉が、知らず知らずわたしの口からこぼれ落ちた。
このひどく簡単な「ゲームを終わらせる方法」を、どうにかして父や兄と共有しなければ。これまでぼんやりと霞がかっていたようだった頭が、突然水をかけられたように目を覚ました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます