24
いつの間にか真っ暗になっている。
頬に畳の感触があった。
和室に寝ているらしい、と思った。トイレに行って、階段を下りかけたところで晴ちゃん――たぶん晴ちゃんだ――に出くわした。そこから記憶がない。
ここは家の客間だろうか? でも匂いというか、空気のようなものが違う気がする。
体を起こして辺りを見渡してみる。暗いけれど、ぼんやりと部屋の全景を把握することができた。我が家の客間に似ている、けど違う。うちにあんな透かし彫りの欄間なんてなかった。畳の手触りも違う。でも、まったく知らない場所でもない気がする。
障子戸の向こうからうっすらと光が差し込んでいる。けど今はまだ夜だろう。あれは月明かりだ。
わたしは立ち上がって壁を探った。電灯のスイッチはあったけれど、押しても動かない。襖に手をかけると、すっと音もなく開いた。
隣の部屋だった。似たような和室だ。やっぱり見覚えがある――と思ったとき、どこかからぼそぼそと人の喋り声らしきものが聞こえてきた。同時に、ようやくここがどこなのか気づいた。
本家だ。
声がする方を目指して、もうひとつ襖を開けてみた。そこは十畳ほどの座敷だった。掃き出し窓が開いて、月光が部屋の中に差し込んでいる。その前に誰かが座り込んで、話をしていた。
よく見慣れた姿と声だった。母だ。
(お母さん)
呼びかけようとして、声が出ないことに気づいた。
何が起こったんだろう。
母は掃き出し窓を開け、外にいる誰かと話をしている。わたしが近づいても気づく気配はない。足の下の畳の感触を感じながら、おかしな気持ちがした。もう二度と会えないと思っていた母に会えたのなら、もっと嬉しくてもいいはずなのに、急に感情が希薄になってしまったみたいだ。
「――さいよ」
背後に歩みよると、母の声が耳に届いた。「上がりなさいよ、あなた」
誰かに、座敷に入るように勧めているらしい。
「……汚してまうさかい、いいの」
外からか細い声が聞こえた。
掃き出し窓の向こうに、地べたに横座りになっている女性が見えた。髪も着物も汚れているけれど、こちらを見上げた顔は人形みたいに整っている。
おサヨさんだった。
母の実家の庭で見たのと同じだ。手で顔を拭うとそこが抜けるように白い。夜闇の中で、彼女自身うっすらと発光しているように見える。
「あたしも、葉子さんのように子供を守れたらよかったがに」
おサヨさんが呟いた。
「あたしは、いざとなったら帰るとこがあったもの。あんた、ご実家には帰れなんだんやろ? 事情が違うわ。時代もね」
母はまるで友達に対するような言い方をする。
「生家でもつまはじきやったの」
おサヨさんはぽつり、ぽつりと言葉がこぼれるように話す。「規さんが見染めてくれたのをさいわい、厄介ばらいができたってみんな喜んどったわ」
「その規さんだって、あてになりゃしない」
「本当ね。たぶん、無理を言ってあたしを嫁入りさせるまでを楽しんどったのよ、あのひと。やっぱりどうしたって、
おサヨさんは自分の手を見つめる。その手で顔を覆った。
「どうかゆるしてね葉子さん。あんなものが家に入り込んだのは、あたしのせいなの」
おサヨさんの声は震えている。白い髪が月光を弾く。
母がどんな顔をしているのか、わたしからは見えない。ただきっと悲しい顔をしているだろうと思った。
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