11
ああ阿久津さんか、と思った。怖くはなかった。
阿久津さんがどうしてほとんど無関係の霊能者を呪い殺したりしたのか、なぜそこまでのことができたのか――そのことを考えると怖い。理解できないものに触れているような気がして、背筋が寒くなってくる。
でも、彼女が幽霊になっていること自体は怖くない。ねえさんとずっと一緒にいたおれにとっては、むしろ日常茶飯事と言ってもいい。
「阿久津さんですよね?」
晴は布団に包まってよく眠っている。それでも起こさないように、クローゼットに向かってひそひそ声で話しかけると、コンと音がした。そのとき、ふとあることを思いついた。
「あの……もし質問の答えが『はい』だったらコンで、『いいえ』だったらコンコンって、やってくれたりします?」
またコン、と音がした。
おれはそっと布団を抜け出し、クローゼットの前に体育座りをした。何も敷かれていないフローリングの床は冷たかった。
「阿久津さんはなんで……あ、イエスかノーで答えられないと駄目か。おれが渡したリストに載ってた霊能者を死なせたのって、阿久津さんですか?」
コン。
「おれと晴のためにやったんですか?」
コン。
「何でだろ……依頼を断った仕返しとか?」
コンコン。
「違うのか。じゃあ、脅して引き受けてもらう……いや、死なせちゃ元も子もないよな。それはないか」
なかなか思いつかないものだ。普通に話すことができたらいいのだが、どうもそう都合良くはいかないらしい。
「……まぁ一旦おいといて、作戦は上手くいったと思います?」
コン。
「阿久津さんは……亡くなってるのに?」
コン。
「人を死なせたことも、後悔してません?」
コン。
「……すごいっすね。おれは駄目だなぁ」
返事はなかった。阿久津さんはすごいな、というのは嫌味でも皮肉でもなく、本当に本心からぽろりと出た言葉だった。
正直、羨ましいくらいだった。
「おれね、晴が普通に生きてくようにしてやりたくて、そのためなら何でもやろうと思ってたつもりだったんですよ。でも全然覚悟が浅かったなって今はわかるな。『何でも』ってほんとに何でもできなきゃ駄目なんだなというか……やっぱりそんなこと諦めて、本家にいたらよかったなとか思い始めてる……甘かったんすよね、考えが足りなかったんですよ。志朗さんにも完全な解決は無理っぽいし、もう晴と大人しく本家に戻った方がいいかもしれないって思ったりして」
コンコン、と音がした。
「うん、晴は何とかしてやりたいのはおれもそうなんですよ。ていうか、晴は悪くないじゃないですか。まだ七歳だもん。でもおれは違うでしょ。晴みたいに子供じゃないし、いくらねえさんに言われたって、一応自分で決めてやってきたわけで」
「こら聖、ユーレイと喋んな」
いきなりそう声をかけられて、頭を軽くはたかれた。
振り返ると、いつの間にか志朗さんがおれのすぐそばに屈んでいた。常夜灯の下だからぱっと見黒い影みたいで、おまけに長髪を下ろしているものだから相当幽霊っぽかった。一瞬本気で驚いた。
「うわっ……びっくりした」
「ノックしたがな……阿久津千陽、動くな」
志朗さんはクローゼットにむかって声をかける。返事はなかった。
「よくないよ、亡くなった人とそういうことするのは……ていうか普通にうるさいよ。ボク耳がええけぇな、よく使うから……」
「あっ、すみません……」
志朗さんは眠くて理性が起きていない感じで、突然のタメ口もそのせいかもしれない。ボヤ〜ッとした感じで、顔も微妙にこちらを向いていない。
「キミさ〜、まだ自分の問題全然解決してないじゃろ。あれこれ後悔しとる場合じゃないよ」
改めて全然解決してないとか言われると、胃にズシンとくるものがある。
「……あの、ちょっといいすか」
おれはボンヤリと立ち上がろうとする志朗さんに声をかけた。志朗さんは「なに?」と言って座り直した。
「どうやったら割り切れますかね? なんか、どうしてもグズグズ考えちゃって」
志朗さんならそういうことを知っていそうに見えたのだ。でも、
「知らんなぁ〜」
そう言って志朗さんはあくびをした。「ボクかて人が見とらにゃあとこでグズグズしとるし……おやすみ……」
「いや、部屋戻って寝てくださいよ」
志朗さんをなんとか部屋から追い出して、もう一回布団に戻った。
クローゼットはまだ静かだ。ユーレイと喋ったら駄目だったのか、などと今更考えながら、いつの間にか少し眠った。
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