06

 おれたちは阿久津さんの家の居間に移動し、座卓を囲んで座った。少しすると、お盆の上に湯気の立つ湯呑とジュースの入ったグラスを載せて、阿久津さんが戻ってきた。

「すいません、いつも」

「いえいえ、遠慮しないで」

 阿久津さんは天板の上に飲み物を並べ、自分用の湯呑を手にとってお茶を飲み、「ふうーっ」と深くため息をついた。

「晴ちゃん、いつもご祈祷のとき静かにできて偉いね」

 阿久津さんに褒められると、晴は「はるはねぇ、たのしいよ!」と言ってニコニコ笑った。何が楽しいのかおれにはわからないが、とにかく晴が明るく振舞ってくれるのは、おれにとっては救いだ。

「あくつちゃんち、オバケいないの?」

「ん? オバケ?」

「白いおにいちゃんちにはいたよー」

 まるでペットの有無でも尋ねているような口ぶりだ。突然「お兄ちゃんちにはオバケがいたよ」などと言われた阿久津さんは、さすがに話が飲み込めなかったようで首を傾げている。

 おれは(悪いなぁ)と思いながらも、今日よその拝み屋に行ったことを告白した。これまでにも何度かあったことだし、それで阿久津さんが怒ったり悲しんだりしたことなんて一度もない。むしろ「他の人に見てもらうのもいいと思うよ」と言ってくれるのだが、それでも何となく浮気したような気がしてバツが悪い。

「その人、『よみごのシロさん』じゃない? 私、話聞いたことあるかも」

 予想に反して、阿久津さんはそんな風に話し出した。

「そうなんすか? 普通の名前しか知らないや」

「うん。確かわたし、土木課の人から聞いたんだよね」

「土木課?」

「うん……あっ、ナイショにしてね。職場絡みのことだから」と阿久津さんは笑った。話す相手などいないから、おれも「わかりました」と言いやすい。

「結構強い人みたいだけど、自分じゃ無理だと思ったらテコでも引き受けてくれないみたい。そうかぁ、断られちゃったんだね」

「あくつちゃんち、オバケいないの?」

 晴が口を挟む。

「うちはいないなー」

「何で拝み屋さんの家なのに、オバケなんかいるんですかね?」

「ない話じゃないよ。たとえば曰く付きのものを預かってるとか、守護霊がいるとか……そういえば晴ちゃん、大丈夫だった? オバケ怖くなかった?」

 晴はちょっと考えて、「おこってたからちょっとこわかった」と答えた。「怒ってなかったら平気なのかしらね」と、ねえさんが少し笑った。

「晴のこと、阿久津さんが引き受けてくれてよかったよなぁ」

 おれが呟くと、阿久津さんが「うん?」と言ってこちらを振り向いた。今日ここに来たときよりも少し疲れた顔をしているように見える。やっぱりご祈祷は大変なんだろうな、と思った。

「いや、みんなに断られちゃったから。阿久津さんがいなかったら今頃何やってたかなって」

「ううん。前も言ったけど、わたしも根本的に解決してあげられるわけじゃないから」

 阿久津さんはそう言って寂しそうに笑った。「ちょっと問題を先送りしてるだけだよ。それくらいしかできないの、ごめんね」

「いや、そんな――」

「祖母や母が生きてたら、もうちょっと違ったかもしれないけどね」

 そう言いながら、彼女は手に持っていた湯呑を座卓に置いた。コトンという微かな音が妙に寂しそうに聞こえた。


 七時少し過ぎ、おれたちは阿久津さんの家を辞した。おかずの入ったタッパーをもらってしまい、晴は無邪気に喜んでいるがおれは少し困った。有難いけれど、困る。

 阿久津さんは報酬を受け取らない。せいぜいたまに手土産を持っていくくらいが関の山だ(たまに、の頻度を間違えると倍返しされてしまうので難しい)。おれたちは彼女に何も返すことができない。それが心苦しい。阿久津さんが大金持ちとかだったらまだ気が楽なのだが、残念ながらそんなふうにも見えない。

「阿久津さん、頑張ってくれるのは嬉しいけど、悪いね。ちょっと無理してそうだし」

 晴と並んで車の後部座席に座りながら、ねえさんもそんなことを言った。おれは黙ってうなずいた。

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