第15話
クエスト達成の報告や、素材の買取はセレナに任せ、ハンスは早々に宿へ戻ると机に向かい、何やら難しい文字や数字や絵を書き始めた。
冒険者育成施設にいた時とは異なり、ここでは紙など貴重品であるから、ハンスは木の板の上に書きなぐっては、書くところがなくなると、木を削り、新しい表面を出してから、また書き始めた。
ギルドでのお使いを済ませたセレナは、報酬として受け取った硬貨を全額ハンスに渡すと、一つしかない椅子をハンスに使われているため、ベッドの上に座った。
セレナにはハンスが書いていることは全く理解できなかったが、何かに没頭するハンスを初めて見たため、興味深くじっと見つめていた。
先程セレナがハンスに渡した金額、上級の冒険者にとってははした金かもしれないが、奴隷のセレナにとっては大金だった。
それを一人で受け取りに行かせたハンスは、自分のことを本当に信頼してくれているのだろうと、セレナは深く感じた。
ハンスは木の板に書いては消し、書いては消しを繰り返している。
時折右手で、自身の白髪が乗った頭をガリガリと掻きむしる。
じっと見ていたが、セレナは次第にそこで見ているだけでも、真剣なハンスの邪魔になるのではないかと考え、そっと部屋を出た。
手持ち無沙汰になったセレナは、最近の魔物達の戦闘を思い出していた。
初めて魔物を倒してから、これまでにそれなりの数の戦闘をこなして来た。
他のパーティと異なり、戦闘は全てセレナの役割だったから、必然的に経験は多くなった。
それにありがたいことに、ハンスの補助魔法のおかげで、セレナは疲れを知らない体力を持っていた。
魔素を吸収し、初めの頃に比べ身体能力も幾分か成長した今では、恐らく一日中戦闘をしていても普段通り動ける体力を持っているだろう。
そのため通常のパーティよりも一日の戦闘回数自体も多かった。
しかし、今まで問題なく狩りができたのは、ハンスが唱える状態異常の補助魔法があったからに違いなかった。
実際セレナの力量不足で、ハンスを危険な目に合わせそうになったことも何度かあった。
セレナには原理など全く分からないが、こんなにも便利な補助魔法を、ハンスは自分自身にはかけられないと言っていた。
強力な補助魔法を唱えることの出来るハンスは、身体能力においてはなりたての冒険者のそれと何ら変わりなかった。
「ハンス様を守ることが出来るのは自分だけ」
セレナはそう自分に言い聞かせる。
腰に差していたダガーナイフを引き抜くと、軽く振ってみた。
非力な自分が敵を素早く倒すためには、敵の急所を的確に狙う必要がある。
そう考えると、セレナはこれまでに遭遇し、倒していった魔物の姿を思い浮かべ、一体一体、急所への攻撃をイメージしながら体を動かし始めた。
魔物は種類によって形状も大きさも様々である。
もちろん急所となる場所も様々なのだが、ハンスは的確に何処に攻撃すれば良いか、常に指示を出してくれていた。
魔法を研究する過程で、大半の魔物の特性についても詳しくなったのだ。
セレナは無我夢中で次々と現れる魔物の幻影と戦いを繰り広げた。
気が付いた時には既に辺りは暗くなっていた。
「いけない! ハンス様が探しているかも!」
食事は必ず一緒に食べるという決まりだった。
セレナがここに居るということは、ハンスもまた、まだ食事にありつけていないということを意味する。
急ぎ部屋に戻り、扉を開けながら叫ぶように謝罪の言葉を投げた。
「すいません、ハンス様! 気付いたらもうこんな時間で!」
部屋の中の様子を視界に入れたセレナは驚いた。
自分が先程部屋を出た際に見た光景と全く同じ光景が目の前に広がっていたからだ。
辛うじて違う所があるとしたら、ハンスが使っている木の板の厚みが、先ほどよりも薄くなっているように見えることくらいだろうか。
ハンスは相変わらず木の板の上で筆を走らせていた。
「あの。ハンス様。お食事は?」
「ああ。すまない、セレナ。今ちょっと手が離せないんだ。勝手に食べててくれないか? 金はそこにある今日の報酬を使ってくれ。あと、何か簡単に食べれるものを俺に買ってきてくれると助かる」
顔も上げず、そうとだけ言うと、ハンスはまた自分の世界へと入り込んで行った。
セレナは当惑しながらも、自分が置いた時のままになっている、ギルドからの報酬が入った小袋を手に持つと、食べ物を買いにもう一度外へ出かけた。
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