第20話 炎上と子猫 

 野良猫助けたツイートをしたら、盛大に炎上したでござる。……流石にこれは予想外すぎて唖然としたよね。どうなってんだこの業界って。

 いやまあ、事情を把握すると納得というか、なんかトンデモないことになってて驚いたのだけど。


「まさかウタちゃんがねぇ……」


 バーチャルアイドル【色羽仁ウタ】。業界最大手とされ、VTuberのアイドル売りを確立させた事務所ライブラに所属するVTuberで、チャンネル登録者数はなんとなんと100万人オーバー。

 この数字は生半可なことで取れるものではない。アイドル売りの先駆者にして、不動の帝王であるライブラの看板だけでなく、自らの資質で大勢のファンを獲得しているからこその結構。才能、努力、環境の三要素が揃ってようやく届く大台。

 つまるところ、色羽仁ウタはそれだけ人気があるVTuberということであり──だからこそ、彼女を襲った不幸はライブラのファンたちに、いや業界に激震を走らせた。


『悲報。大人気バーチャルアイドル、生死の境を彷徨う!? 復帰は絶望的』


 デカデカと注目を集めるようなサムネに、なんとも意味深なタイトルの動画。いくつかの動画サイトで軽く検索をかければ、それだけでこんな感じのまとめ動画が大量に。それほどまでに衝撃的な一件だったのだろう。

 ザッと情報を集めてみたところ、外出中に階段から転落し、そのまま意識不明の重体。以降、公式からの続報はなしということのようだ。


「はぁ……」


 自然と溜息が漏れる。まったく。人がダンジョンでせこせこ配信のネタを用意している間に、こんな大事件が起きてるとかどうなってるんだ。

 わりと真面目にショックだ。ウタちゃんは推しというほどではないし、精々が切り抜きをたまに眺めるぐらいの認知度だけど、それでも事態を把握した時は固まった。それだけ知名度が高いライバーだったから。

 なにより一番勘弁して欲しいのは、意味不明な軌道で火種がキラーパスされたこと。なんで巻き添えで俺まで大炎上してるんだが。夜桜猪王としてはライブラのライバーの程度の認識だし、山主ボタンとしては交流すらないんだぞ。

 いや、分かるよ? 推しが生死の境を彷徨ってるであろう状況で、同じライバーが野良猫にポーション使ってたら腹も立つだろうけども。

 でも仕方ないじゃん、知らんかったんだから。知ってたら流石にツイートしないわ。空から瀕死の子猫が降ってくるとかいう珍事のせいで、帰還後にいつもやってる情報収集が完全に頭からすっぽ抜けたんだよ。なお原因は恐らくカラス。

 で、そんなこんなで事態の全貌を把握したのがついさっき。『助けた以上は責任持たないとなぁ』でてことで近場の動物病院探して訪ねて、ペット用品を買い揃えて帰宅。そして汚れ、負傷時に流れた血、ノミダニを落とすためになんとか丸洗いとブラッシングを済ませ、ようやくケージに突っ込んだところで、マネさんから緊急の通話が入ったわけですよ。


「ミャアー! ミャアァァ!!」

「はいはい落ち着く」


 お湯をぶっかけられたせいか、恐ろしくご機嫌斜めの子猫を宥めつつ、スケジュール帳に予定を書き込んでいく。

 予想外の炎上ということで、近いうちに事務所に顔を出すことになったのだ。かなり特殊な状況のため、マネさんだけでなく役員クラスの方々と話し合う必要があるということで。

 なにせ今回の炎上は、一般的なそれとはわけが違う。大抵の炎上というものは、本人の言動からくる自業自得か、アンチによる揚げ足取りや誹謗中傷、複数の要因が絡んだ末の事故のどれかだ。

 で、俺の炎上はそのどれでもない。いや、事故と言えばガッツリ貰い事故なのだけれど、バックボーンが例外的すぎるのだ。

 まず、俺を燃やしている者たちには悪意がない。皆無とは言わないが、そんなのは極一部。大半は推しに対する善意と正義感からの暴走。

 ウタんちゅ、そしてライブラのファンたちからすれば、俺は生死の境を彷徨っているであろう推しを救える数少ない可能性。しかも野良猫に高価な薬を使用する善人、またはお人好し。

 だからこそ彼らは縋りにきた。ウタちゃんを助けてくれと、お前の持っている薬を提供してくれと。……まあ、最終的には数が増えたことで強気になったのか、要望から『寄越せオラァ!』という恫喝に変わりつあるのだが。愉快犯も扇動してるっぽいし。


「ミャアッ! ミャアンッ!!」

「……あー、この感じあれか。お腹すいたんか。ちょっと待って。今ミルク作るから。えーと、作り方は……」


 そして一番問題なのが、彼らが【ライブラ】の名前を出してしまっていること。その上で犯罪スレスレの集団圧力を掛けてきてしまっているので、事態は事務所同士の問題にまで発展してしまっているわけだ。

 ライン越えの発言をしている一部の馬鹿たちは、開示請求からの刑事告訴で対処完了ではあるのだけど、それ以外は扱いが極めて難しい。デンジラス側としても、業界最大手のライブラとことを構えたくなどないだろうし。……いやまあ、多分やり合うことになっても、状況的にこっちに分があるんだけどさ。

 それでも余計な波風は立てないに限る。なによりウタちゃんが哀れだ。自分が重体になってしまったせいでファンが暴走し、無関係な他所の事務所とライバーが燃やされ、所属事務所にも迷惑を掛けるなど……。

 普通に考えればケジメ案件というか、よほどの図太い人間でもなければ罪悪感で鬱になりかねない。もし体調が回復したとしても、違う種類の地獄に叩き落としては本末転倒だろう。


「ミャアッ、ミャアァァ!!」

「だから落ち着けと! 今ミルク作ってるから暴れるんじゃないよ!?」

「ミャアァァッ」


 ……止めた。延々とケージの中で暴れ回る子猫君のせいで、シリアス方面に思考を割けない。今後のアレコレよりも、目の前の欠食児童を落ち着かせる方が急務というね。

 まあ、明日の話し合いまでこちらができることなど皆無なので、子猫君の方を優先してもなんら問題もないのだけど。下手に騒ぎを大きくしないように、ツイートも配信も完全にストップすることになってるし。

 てことで、完全に意識を切り替える。ミルクの香りに釣られて荒ぶる子猫君をケージから引っ張り出し、膝の上にのせて哺乳瓶を……


「ミャアッ、ミャアッ!!」

「哺乳瓶を弾くな! 大人しく咥えなさい! そんなに荒ぶるっ、コラ零すな!?」

「ミャアァァ!!」


 ちょっ、タオルタオル!? なんでこんなにミルク零すのこの子!? 子猫だからって食事下手すぎない!?

 てか、マジで荒ぶるなこの子。やっぱり瀕死の状態から一気に健康体になったから腹減ってるのかな? ポーションで活動に支障がないレベルまで肉体が回復していても、これまで蓄積していた飢えの感覚が消え去るわけではないし。

 健康になった分、余計に腹が減ってるように感じているのかも。……それで荒ぶった挙句、上手くミルクを飲めてないあたり本末転倒感が凄まじいが。


「ミャアッ、ミャアッ!」

「頼むから大人しく……ん、なんぞ?」

「ミャアッ、ニャウッ!」


 哺乳瓶を片手に悪戦苦闘していると、脇に置いていたスマホに着信が入った。

 マネさんから追加の連絡かなと思って覗いてみると、画面に映っていたのは雷火さんの名前。なにか用事だろうか?


「はい、山主ですけど」

『あ、ボタン? 今って大丈夫?』

「大丈夫だけど。……あ、だから暴れるなと」

『……暴れ? なんかお取り込み中?』

「いや違うよ。ツイートで説明した子猫にミルクやってるんだ。初めてだからちょっと苦戦してるけど」


 実際は苦戦なんてレベルじゃないけど。なんだこのリトルモンスター。哺乳瓶を奪おうとガンガン爪立ててくるし、これ俺が硬化使えなかったら手がズタズタになってるのでは? ついさっきまで野良猫だったし、感染症とか起きたら……自力で回復できるから特に問題ないか。


『ふーん。なんか凄い大変なことになってるから心配てたんだけど、全然大丈夫そうじゃん』

「そりゃまあ、舌禍とかじゃなければ炎上なんて気にするだけ無駄だし。ネット越しの誹謗中傷よりも、モンスターの攻撃の方が億倍怖いよ」

『価値観が武闘派すぎるんだよなぁ。いやうん、私の杞憂だったらのならそれでOKなんだけど。……例の事故以降、いろいろと大変だったからね』

「あ、やっぱり?」

『うん。リスナー側もそうだけど、ライバー側、特に企業勢に走った衝撃が凄くてね。というか、一花先輩がヤバかった。表には出してないけど、裏ではかなり動揺してた。なんなら今も引きずってる』

「天目先輩が?」


 デンジラスの母と名高いあの人が、どうしてここで? いや、確かに慈母みたいな性格の人だけど、それでも他人の事故だろうに。

 まだ交流のあるライバーとかなら分かるけど、デンジラスとライブラの間に交流なんかないし……。


「なんか絡みでもあったっけ? 俺の記憶だと、先輩たちがライブラのライバーとコラボしたとか、そういう記憶はないんだけど」


 黎明期から存在しているライブラは、紆余曲折を経てVTuber界のガラパゴスと化している。アイドル路線に入ってからは、男性ライバーとのコラボはほぼ皆無で、他の箱とすら滅多にコラボなんてしなくなった。

 例外は、年末などで行われる箱を超えた超大型企画ぐらい。それ以外では、ライブラ内でほぼ完結しているのが現状だ。

 なので、デンジラスとライブラの間には、交流なんてない。デンジラスが誕生した頃には、すでにライブラは現在の方針で運営されていたので、絡む余地などないはずなんだ。


『いやー、それがさ……。あんま大声で話すことじゃないんだけど、前世の方で友達だったらしくて……』

「あー……」


 前世、前世かぁ……。忘れてた。そうか、そっちの線があったか。

 ここでいう前世というのは、その人がVTuberとして活動する前の姿を指す業界用語だ。中の人、魂とも言われたりもする。

 配信者というのは、中々に敷居が高いものだ。特に事業として行っている企業勢となると、完全な素人を採用するのは中々にリスキーで、配信経験者を引っ張ってくるというのは、よくある話だったりする。……実のところ、素人採用だった俺と雷火さんは、かなりの例外パターンというやつだ。

 そんなわけで、結構な数のライバーには、前世というものが存在するわけだ。で、今回はその前世同士の縁があったということらしい。

 その手の情報は興味なかったから知らなかったけど、確かに二人のデビュー時期は同じ年度だったりするので、前世の活動期間も案外近かったりするのかも。


「そっかそっか。お友達がそうなったら、確かに落ち込むかもね」

『うん。正直、チャット越しでも空元気なのが分かるから、かなり気の毒。そんな状態で、今回の騒ぎだから……』

「oh……」


 それは、その、うん。なんというか、申し訳ないないなと。いや、俺のせいでもないんだけど。


『多分さ、一花先輩は板挟みになっちゃうと思うんだよ。友達は助けたいけど、後輩に無茶振りするのもって。だから私が、ボタンの安否確認も兼ねて訊いておこうかなって。……これ、私の独断専行ね?』

「なるほど。そして了解。雷火さんは優しいねぇ」

『でしょー? こんな同期をもって誇らしく思えよー?』

「それを誇るのもなんか違う気がするけど……」


 ただ、個人的には嫌いじゃないよ。そういうお節介は。いい後輩してるじゃないの。


「そうだね。じゃあ、天目先輩にはこう伝えといて。了解ってね」

『──なんとかなるの?』

「なんとかするんだよ……ああっ、コラ! だから哺乳瓶にぶら下がろうとすんな!? 中身零れるでしょうが!?」

「ミャアァァッ!!」


 ちょっと子猫君!? 人がせっかくカッコつけてんだから、空気読んで大人しくしててくれません!?

 あのねっ、哺乳瓶はお前さんを支える構造をしてないんだよ! だからひっつこうとするな、猫パンチも止めなさい!


『……ふふっ。締まらないなぁ。ミルクあげるの苦戦してるなら、タオルかなにかで首から下を包んじゃった方が楽だと思うよ。猫ちゃん動画でやってた』

「っ、ありがと雷火さん!」


 なるほどその手があったか! えっと、タオルはペット用品と一緒に買ってたから……!!


『うん。大丈夫そうなのは確認したし、聞きたいことも聞けた。だからもう切るね。そっちも忙しそうだし。猫ちゃんのお世話頑張って。あと写真か動画ちょうだい』

「あ、了解! 心配してくれて本当にありがとうね。あとアドバイスも! んじゃ、ばいばい」

『ばいばーい』


 通話が切れる。それと同時に簀巻きになった子猫の口に哺乳瓶を突っ込むことに成功。


「んにゃ、んにゃっ……」

「ッシャア!!」


──通話が切れててよかったと思うぐらいにはガチで叫んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る