07.ヒロイン、歪む。
サイレント様の言動が、冷たい。
『そっかぁ、ドォリィは優しいね』
「やめてください!それだけはっ、お許しくださいっ!クリスタ様は関係ありませんっ!」
「何が関係ないのよっ!!この靴は貴方がクリスタ様に強請ったんでしょ!?よくもまぁ図々しくできるものね。これで台無しにしてやるんだから」
朝、昨日クリスタ様から私宛に届いた高値の靴を学園に履いていくと、ドリータ派閥の令嬢たちにすぐに気づかれた。本当に、目敏いことだ。そしてその話はすぐにドリータへと伝わり、昼休みに空き教室に連れて行かれたのだ。
他の令嬢たちの嫉妬の視線も気持ちが良かったが、やはり一番はドリータの悔しがる顔だった。これまで私に数々の嫌がらせをしてきて、その度にウザいドヤ顔を見せられてきて溜まっていた鬱憤が、少しだけ晴れた気がする。
そして連れて行かれた空き教室で、彼女は鞄から取り出したインクのビンを手に私ににじり寄ってきているのだ。
馬鹿ね。今までの嫌がらせも全部ガキっぽくて馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど、これは本当にお馬鹿さんよ。
癇癪持ちの我儘令嬢はこれで溜飲が下がるのかもしれないけど、後のことを考えなくては。
例え靴にインクを零されたとしても、私が泣いてクリスタに泣きつけば一発なのだ。
これが頭脳明晰の面倒くさいタイプの悪役令嬢が出てこないゲームで良かったと心底思う。ここではヒロインが絶対。ヒロインが泣きつけば攻略者たちは全員私を守り、ドリータは悪役になるのだ。
含み笑いを零しそうになるのを我慢し、必死に靴を守ろうとしている演技をする。正直クリスタのセンスはクソ悪く一刻も早く脱ぎたいと思っているほどであるから、インクで台無しにされてもどうでもいい。それよりも、折角プレゼントを貰うならば愛しのサイレント様からがよかったと残念に思う。
そう思っていたとき、開いていた扉から私の望んでいた尊顔が現れた。
「ドォリィ?何をしているの?」
私の願いが通じた?一瞬、そう思った。
ゲームにはここで攻略者が登場する場面はなく、ここではただヒロインが黙ってドリータから嫌がらせを受けて終わりなのだが、この世界は少しだけゲームとは異なっている。だが、私にとってはこれ以上ないほど嬉しい誤算だった。
ここでサイレント様に泣きつけば、きっとドリータを悪者にしてくれる。そして私の可愛さに守ってあげたいと思い、そこから溺愛生活が始まるのだ。
サイレント様の無垢な瞳に見つめられ、今まで嫉妬に歪んだ醜い顔を晒していたドリータはビンを後ろ手に隠し必死になって場を繕っていた。
は?私にあげようとしたですって・・・?そんな嘘、ひっかかるわけ――
「そっかぁ、ドォリィは優しいね」
だが、見え透いた嘘を並べられたサイレント様の口からは甘い声が流れ、しかもドリータの頭を優しく撫でたのだ。
一瞬何が起きたのかわからなくなる。なんでドリータはサイレント様に頭を撫でられているの!?許せない。許せない・・・!!
純粋無垢なサイレント様を欺しあまつさえ頭を撫でてもらうなど、彼女の方が図々しいではないか。
「嘘よっ!サンドレア様は今、私の靴にインクを零そうとなさったの!!やめてくださいって言いましたのに・・・・・・」
私は叫んだ。悪女のついた嘘を暴くために、涙を流して悲壮さを出し弱々しさを演出しながら。
「そうなの?」
するとサイレント様は私を見てくださり、私の状況がわかったのかドリータに向かい直ってそう問いかけた。
サイレント様は私のために怒ってくれている。彼は静かに怒るのだ。大きな声で怒鳴ったりしないが、その分冷たい怒りの方が怖いと思う。
怒りの矛先を向けられたドリータは、自業自得にも慌てだした。口ごもり、何も言えなくなっている。
笑っているのに気づかれないよう口元を手で覆いながら、サイレント様の動作に目を向けていると、彼は滑らかな動きでドリータのビンを持った手を目の前に晒した。
やったわ・・・!!これで彼女の罪が明らかに――
「ドォリィ、ダメじゃないか」
サイレント様は、罪人にもお優しい。悪女なんて、そんな優しい目で見てあげる必要ないのだから。
ドリータの罪を暴き、傷ついた私を『大丈夫?』と言って抱き起こしてくれるのを想像していると、彼は麗らかな表情をして思いがけない言葉を放った。
「これはドォリィ専用に作ってもらったインクだろ?そんなの使ったらドォリィがやったってすぐバレちゃうよ。ほら、俺のを貸してあげる。これでやりなよ」
・・・・・・え?
彼の言葉の意味が理解できなかった。
「・・・・・・え、サイレント、様・・・・・・?」
私の呼びかけにも応じず、思わず顔を向けると彼の目は驚くほど冷たかった。脊髄の中を悪寒が駆け抜けるような感覚がする。
サイレント様は尻目に私を見下ろした後鼻で軽く笑い、麗しいお顔をドリータに近づけた。
口を彼女の耳元に近づけると、ぞくりとする声で囁かれた。
「彼女の靴、クリスタ様からの贈り物だって・・・・・・?
――『趣味悪いね』
その言葉は、少し離れた私にも聞こえた。
それを聞いたドリータは無邪気な顔でクスリと笑い、再び私の足下へ視線を向けてくる。その目にはもう、嫉妬の色は消えていた。
そして心底馬鹿にしているような目で私を見ると、
「ええ・・・、そうね。・・・・・・なんか冷めちゃった。もういいわ。貴方の靴は、その趣味の悪さに免じて許してあげる」
「もうすぐ昼休みも終わるから、教室に帰ろう?ドォリィ」
「ええ、そうしましょ」
すっかり機嫌の良くなった様子でサイレント様と共に教室から出ていってしまったのだ。
ぽつんと一人、残された私。二人分の靴の音が遠ざかっていくのを、じっとしたまま聞いていた。
・・・・・・羨ましい。頭を撫でられて『イイコイイコ』されて、顔を寄せられて耳元であの昇天ヴォイスを聞けて・・・・・・羨ましすぎる。
そして、・・・・・・欲しかった。彼の、インク。なんなら頭から掛けられても本望だ。
「はぁん・・・・・・何あの冷たい視線。背骨がぞくぞくっとして・・・漏れちゃいそうだったぁ・・・・・・」
トイレに行きたかったことを忘れ、ひたすらに先ほどのサイレント様を頭の中でリプレイする。
あの、心が凍るような視線。一瞬で射貫かれた。
もっと、もっと”あの目“を向けて欲しい・・・・・・。もっとあんな目で見られたい・・・・・・!!
「あぁん、やっぱりすてきだわぁ・・・・・・さいれんとさま♡」
転生者の恍惚とした声は、誰も居ない空き教室の中にぽつりと落ちた。
――07.ヒロイン、歪む。
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