6話 「痛みと望み」
―
――
―――
「随分粘るのね、正直驚いたわ」
膝から下に、肘から下に、肩に、無数に空いた穴。
床には飛び散った血飛沫が、顔には多量の汗が女を包む。
それでもなお、彼女は座る態勢を堅持している。
「命欲しさに依頼を反故にすれば…、結局死ぬのよ。あたしの事務所、結構そういうことに厳しいの」
「……」
「あんたも大変だね…毎日こんなことしてるの?」
「必要な時だけよ」
「そう…、やっぱり大変ね…。どこの事務所も」
「嫌なら止めなさい」
「言ったでしょ。それができたらこんな仕事してないって」
「ただ勇気が無いだけよ」
「ふふっ。1等級の人ってみんなそんなに無神経なの?ちょっと失望しちゃうな…」
顔を上げて嘲笑するように笑うが、その目は笑っていなかった。
「……弟がいるのよ。あたし1人の問題じゃない」
「なら尚更生きるべきよ」
「あたしもそう思ってる。でもこの安い命を懸けるしか、稼ぐ方法を知らないの。あんたみたいな能力があれば、少しは違ったのかもね…」
シルヴィアは呆れた顔をしながら溜息をつく。
「貴方のカウンセリングもここまでよ。弟の顔を思いだしながら答えなさい…。欲しいものは?」
「未来…」
「真面目に答えなさい。穴を開ける場所はまだあるわ」
「あたしは充分真面目だよ…」
真っすぐとした眼差しは、痛みを感じていないのかと思うくらいだった。
「知っていると思うけど、それは物ではないわ」
「そうね…、だから手に入らない」
女は再び頭を下げた
(意思の固い人間は面倒くさい…)
「知らないと思うから言うけど、貴方の愚痴を聞くのにうんざりしているの。答えないのなら、今と同じ方法で貴方の弟を殺すわ」
「っ!!」
血だらけの体が一瞬、ビクリと反応した。
効果は抜群だと思った。
――その目を見るまでは
少し顔を上げ、空いた隙間からギロリと睨む眼球には、殺意が宿っていた。4等級の冒険者が放つものではない、明確な殺意が。
「…あんたが望む答えを教えてあげる。鳥籠は一度入ったらあたしの意思でしか開かない。あたしが死ねば、あんたもここで干乾びるだけ。そしてシルヴィア、あと1回でも弟を出しに使ったら、あたしの安い命であんたを殺す」
「……」
嘘じゃない。あの眼は本気だ。
「あんたの質問に、正確に答えた」
血みどろの四肢で、女は立ちあがる。
「今度はそっちが考える番だ。あたしの望む未来をあんたはどう提供してくれるの?」
――拷問、恐喝、恥辱。ただ耐えるだけで守れるなら、あたしはいくらでも耐えられる。
「ふふっ…」
「今の状況、あたしだったら笑えないね」
「4等級って貴方のような人が多いの?」
「さぁね……、生憎知り合いは少ないほうだから」
素っ気なく女が答える
「お金が望み?」
「中央区に住めるだけの金があんたに払えるのか?生涯平穏で暮らせる金額がどの程度かあんたは知ってる?」
「考えたこともないわ」
「じゃぁ駄目だね」
ハッと思いついたようにシルヴィアは次の提案に移る。
「私の事務所で働いてみる?」
「2等級事務所に?随分な出世だけど、そんなことしたら事務所の等級が落ちるよ」
「落ちるなら上げるまでだわ。生憎今人手が足りないのよ…」
事務所の鞍替えは珍しいことじゃない。そこは各々の事務所の規約により様々だ。
「あたしを裏切ったと思う奴がいるかもよ。そしたら朝日が見られなくなる」
「私の事務所に所属する人間を襲う?あり得ないわ」
「……」
「守ってあげる。弟さんも含めてね」
「そもそもここを出た瞬間の命の保証は?あんたの脅しが、脅しじゃなかったらどうなる」
「殺せるなら、貴方が能力を発動する前に殺していたわ」
「あの時とじゃ、全然状況が違うでしょ」
「私だって鈍くないわ、抜け出したいんでしょ?今の境遇から。本当に私をここから出す気がないなら、こんな喋らないでしょ?」
そう。本当に抜け出したいのは私じゃない。
私は知っている。必死に掴み取ろうとあがき続けた人間が、手に入らないと知った時の顔を。
叶うはずのない夢。
敵うはずのない相手。
薄暗い鳥籠に囚われているのは彼女。
そして今も、もがき続けている。
これは、相手を閉じ込める牢獄じゃない。
弟を守るために築かれた2人だけの最後の砦。
大事なものを入れておくために……。
(だから言ったのよ。いい能力ってね……)
「嘘かもしれない……」
「どうするか決めたかしら、ティナ?」
「な、なんで!……あたしの名前を」
「さぁ、どうしてかしら。この提案は一度だけ、信頼出来なくて当然よ。でも…」
―――でも…もう一度、その安い命を懸けてみる時が来たんじゃない?
強い日差しが降り注ぎ、目頭が痛くなる。
「あら…、まだやってたの」
シルヴィアは興味ありげにつぶやく。
そんな彼女の肩を借り、真っ青な顔の女が答えた。
「あんたが助けに入るべきじゃないか?」
「……ティナは甘いわね」
目下、黒い仮面の男は地に伏せていた。
「読みは良かった。だが、待ったのは指輪と、周囲を巻き込まないためだ」
「ぐ…、がはっ…」
「楽にしろ、すぐ終わる」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます