第40話 精霊姫
視線を逸らしながらもトトの言葉を否定しない竜。
ソフィアは危機が去ったことを悟って胸を撫でおろす。
「えっと、じゃあ槍を、」
消してとお願いしようとしたところで、トトが食い気味にことばを被せた。
『ソフィアが説得してるっぽいことテキトーに言ってくれれば槍は消すわ。できるだけ大げさにね』
「えっ。どういうこと?」
『せっかくだから難しい交渉をまとめた風にして、ハクをつけましょってことよ』
「いや、そう言われても」
『難しく考えなくていいのよ。アタシたちを説得できたって功績でソフィアは褒められる。この場に御子はソフィアだけだからバレる心配もなし! 最高でしょ?』
『……人の営みは面倒事が多いな。我はただ愛し子が幸福ならそれで良いのだが』
『我慢なさい。エルネストの幸せはソフィアが幸せになることよ! つまり二人がイチャつける環境をつくるの!』
「ちょっと、トト!?」
あまりにも落差の激しい言動に、張り詰めていた空気が霧散する。それどころかソフィアの瞳に溜まっていた涙までが引っ込んでしまった。
『とりあえずビビらせましょうか。その方がソフィアに対する畏敬の念は強まるはずよ』
『ふむ。どうすればいい? 何人か殺すか?』
『それはダメ。周囲をビビらせるために吼えてちょうだい』
『GURAAAAAAAAAAA!』
「やめてくださいっ! 何してるんですか!?」
『良い調子よソフィア! 精霊と対等に交渉できるところをたくさん見せつけなさい!』
「トトもやめてったら! そんなこと言われても困るだけなんだから!」
怒り始めたソフィアを見て、精霊たちは示し合わせて槍を消した。ぺたんとへたり込んだフィーネを、凍り付いたアルフレッドが支えた。
『その男は死を覚悟して我が氷槍を握った。その覚悟に免じて赦す、と伝えよ。ーー
最後の最後でそれらしいことを言ってまとめようとする竜に納得がいかないものを感じながらもソフィアが伝えれば、フィーネが泣き出した。
彼女の瞳が映しているのはエルネストではなくアルフレッドだった。
「なんで!? 私はあなたに酷いことをたくさんしたのに! 興味ないって言ったのに! なんで私なんかのためにそこまでするのよ!?」
「決まっている。そなたを愛しているからだ。下級貴族でも、平民でも、何なら流民でも良い。そなたのためならば王位も、腕も、命でさえも要らぬ」
「その腕! どうするのよ!」
「どうもせぬ。感覚もない。使い物にはならんだろうな」
「ばかじゃないの!?」
「腕一本と引き換えにそなたを守れるなら、何本でも差し出すつもりだ。あと一本しかないから、一度しか救えないがな」
「……ばか」
「知らなかったのか?」
小さく呟いたフィーネに、微笑みを零す。
「馬鹿だよ私は。だから、そなたが望むなら全て叶えたくなるのだ。
諭すような言葉。
フィーネが力なく、しかし確かにアルフレッドを抱きしめ返したところで事態を見守っていた女王が口を開いた。
「本当、ばかな息子です。アルフレッドとフィーネさんの処遇は後で決めます。エルネスト。王位を継ぐつもりがあるならば、王太子として事態の収束を宣言しなさい」
エルネストは頷き、ソフィアを抱き寄せた。
何を、と訊ねるまでもなく、力強く宣言した。
「
誰もが
「我が最愛を守るのは冷たく孤独な宮殿などではなく俺の加護とする。古き規則は、廃止する」
水を打ったように静まり返るホールに、エルネストのことばだけが響いた。
「貴族憲章を変えるのは大変なことだろう。抜け道を作ろうとする不届き者がいるかもしれないし、見落としで不備が生まれるかもしれない」
だが、と周囲に視線を向ける。
「先ほど我が姫が竜に伝えたように、誰かの愛する者を理不尽に奪われない世を作りたい。協力してほしい」
何の拘束力もないお願いだ。
理想といえば理想だが、夢物語と言えばその通りだし、現実が見えていないという者もいるだろう。貴族社会とは本音と建て前がゴチャゴチャに絡み合った伏魔殿なのだ。
しかし、エルネストの言葉に誰もが惹かれた。
あらゆる精霊をも惹きつける美しい魂の持ち主が語る理想に夢を見たのだ。
エルネストの部下でもある騎士の一人が、エルネストの言葉に反応した。
どれほど恐ろしい上司だとしても、命を預けられるほどに信頼した相手である。その言葉に偽りがないことを理解し、エルネストの理想に賛同していた。
そして、日頃からエルネストに厳しい訓練を課されていた騎士はどれほどボロボロになろうと、声を張ることが癖となっていた。
「エルネスト様バンザイ!」
思わず叫んでいた。
部下は、ただ己のこころが望むままにことばを発したのだ。
部下の声に籠った熱は、波のように周囲へと伝播していく。
騎士が。
貴族が。
令嬢が。
給仕が。
誰もが、自らのこころに従い、想いを口にした。
「ユークレース王国に栄光あれ!」
「エルネスト殿下万歳!」
「若き王に幸あれ!」
夢物語と見紛うような出来事に浮かされた貴族たちは、ソフィアとエルネストを称えた。それは波のように広がり、うねり、声の大津波となった。
ボロボロになったホールが壊れてしまうのでは、と心配になる程の歓声が溢れた。
ソフィア以外の誰もが気付けないことだが、今まで遠巻きに様子を窺っていた力の弱い精霊たちが歓声に釣られてホールへと集まり始める。
そしてまばゆい
歓声の中、ソフィアのまとっていた
夜の虹などという大人しい色合いではなく、雨上がりの青空を彩る、鮮やかな色に。
「おおっ!?」
「いったい何が!?」
「精霊の祝福……!」
虹を
「精霊の姫だ」
誰かが呟いたその言葉は、すぐさま歓声の津波に混ざり、しかし潰されることなく返ってきた。
「精霊姫」
「精霊姫様だ!」
「精霊姫様ばんざいっ!」
「魔王陛下と精霊姫様に幸あらんことを!」
「精霊姫万歳! エルネスト殿下万歳っ!!」
「エルネスト様に栄光を! 精霊姫様に祝福をッ!」
「ユークレース王国に永久の栄光あれ!」
事態を収束させるどころか、収拾がつかないほどの騒ぎになっているのを見て、女王は苦笑した。
「まったく。本当に、ばかな息子たちなんですから」
歓声の中、エルネストとソフィアが見つめ合う。
「さて、改めて」
慈愛に満ちた笑みが消え、はっとするほど真剣な眼差しを向けられた。
「ソフィア。面倒事に巻き込まれることもあるかもしれない。大変なこともあるかもしれない。それでも俺は君を諦められない」
まっすぐな瞳。
ソフィアを虜にして離さない、黒曜石の瞳が静かに輝く。
頬を赤らめたソフィアの前で、エルネストは
「結婚して欲しい」
喜びが全身から溢れそうになるのを必死で堪えたソフィアは、必死に自らの体を支えた。
「私で、良いんですか……?」
「君じゃなきゃ駄目なんだ」
エルネストの言葉に、ソフィアはこくりと頷いた。
差し伸べられた手を取れば。ソフィアの手はすぐさま握り返され、優しく、しかし力強く引かれる。
バランスを崩したソフィアが飛び込むのは、立ち上がったエルネストの胸の中である。
『魔王』と呼ぶにはあまりにも優しい温もりに包まれる。
「嫌だと言っても、もう絶対に離さないからな」
「はい。よろしくお願いします」
二人の顔がゆっくりと近づき、そしてひとつに重なる。
ホール内を、大歓声が満たした。
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