第37話 魔王降臨
竜が振るった尾を受け流す。
吐き出される吹雪を炎の剣で切り裂く。
エルネストは焦ることなく、悠然と歩みを進めた。
一面の吹雪の中、黒曜石の瞳だけがトトの炎を受けて
「……魔王」
貴族の一人が呟いた通り、その姿はまさに魔王であった。
竜が暴れる。
引き裂こうと爪を振るえば切り飛ばされ、尾を振るえば
エルネストの卓越した剣技に、トトが憑依した宝剣の力が合わさった結果である。
吹雪の中、ソフィアを守りながら魔王が進む。
普通の人間であればただ存在しているだけで疲弊してしまう極寒の世界を悠然と進む姿に、竜の本能が警鐘を鳴らした。
いまだ意識が覚醒していない状態ではあるが、天変地異をも引き起こせる強大な精霊が、ただ一人の人間に脅威を感じたのだ。
「大丈夫か?」
「はい」
トトが剣の中に宿り、ソフィアから奪う
『ソフィア、あのバカ竜は寝ぼけてるわ! エルネストに思いっきり頭をぶん殴るように伝えなさい!』
トトの声に従ってソフィアがお願いすれば、エルネストは安心させるためににっこりと微笑んだ。
「精霊相手は何すれば良いか分からなかったが、それなら分かりやすいな」
『分かりやすいってアンタ……どんだけ不遜なのよ』
「お願いします……!」
「ダンスの時と同じだ。俺に身を任せて」
冗談めかしてウインクを一つ。
それから剣を振るい、力強く歩み始めた。ソフィアを気遣ってか、歩み自体はゆっくりとしたものだ。しかし振るわれる爪や尻尾を往なし、吹雪さえも切り裂いて進む姿は力強い。
業を煮やした竜が自らの尻尾を刺突のように突き込む。
エルネストとソフィアの体を貫通する勢いで襲来した尻尾はしかし、エルネストの剣によって逸らされる。
耳障りな音とともに火花が散り、エルネストのすぐ脇を掠める尻尾。
それを好機と捉えたのか、エルネストはソフィアを抱えたまま跳んだ。
竜の体を足場に駆け上がり、吹雪を吐き散らかす竜の眼前に到達する。
「起こすぞ、ソフィア」
言葉とともに、剣の柄頭で竜の鼻っ柱を思い切りひっぱたいた。
――轟音。
おおよそ生命体から出るとは思えない音がホールに響き、炎の嵐が竜の周辺にだけ吹き荒れる。
そして吹雪が止まった。
「……んん……?」
見たところ、竜に怪我はない。しかし、目を覚まさせるには充分なものだったらしく、竜の瞳に知性の色が宿った。
『我が愛し子か……なぜ我が見えている?』
マイペースな、そしてややズレた問い。それに答えたのはトトだ。エルネストの握る剣から抜け出し、いつもの姿に戻ったトトは、攻撃かと思うほどの勢いで竜に体当たりする。もちろんダメージはないが、代わりに気炎を吐いた。
『アンタが暴走したせいでしょ!? ソフィアもエルネストもアンタのせいで大迷惑してるんだからっ!』
『む……すまん』
竜はトトに頭を下げてからエルネストに向き直った。
『愛し子も済まなかったな』
先ほどまでの暴走ぶりが嘘のように素直な態度である。しかし、問題があった。
精霊の言葉を、エルネストは理解できないのだ。
「……何て言ってる……何を伝えようとしているんだ……?」
「えと、『ごめんなさい』だそうです」
ソフィアが伝えれば、竜が喉を鳴らして笑った。
『珍しいな。精霊の御子か』
竜の大きな瞳がソフィアを捉えたところで、ソフィアも覚悟を決めた。
「いと畏き精霊とお見受けします。私はソフィア。故あって家名はございませんが、御身の怒りを鎮めていただきたく存じます」
『ふむ、良いぞ』
「まずは精霊様のご要望を――……って、ええ?!」
覚悟を決めて精霊との交渉に臨もうとしたソフィアは初手から肩透かしを食らって思わず狼狽える。訝しげな視線を送るエルネストを尻目に、竜は再び笑った。
『久方ぶりの精霊の御子、それも我が愛し子の
それはつまり、エルネストの伴侶のことだ。
そう理解した瞬間、ソフィアの頭に熱が生まれる。
「えっ!? いや、その、それは――」
「ソフィア? 何て言ってるんだ……?」
エルネストに訊ねられるも、まさかエルネストとソフィアが番と勘違いされているなどと言えるはずもない。
さらにソフィアの脳裏に、氷像と化す直前にエルネストが口にした言葉が浮かぶ。
『ソフィア。――君を愛している』
ソフィアだけに向けられた、まっすぐで真剣な眼差し。
動揺を隠せずに真っ赤な顔をしたソフィアに、エルネストが笑みを深めた。ソフィアが動揺している事柄に、思い至ったらしい。
「そういえば、答えを聞いていないな」
「こっ、答え!?」
「ああ。俺はソフィアを愛している。妻にするならばソフィアしか考えられない。ソフィアはどうだ?」
エルネストに問われ、思わず口ごもる。
横で見ていた竜がふすん、と鼻を鳴らす。
『好き合っているのだろう? はやく
「つ、つがえって……もう少し言い方を考えてください!」
『くかかか。そう怒るな』
強大な力を持つ精霊に、当たり前のように怒る。しかも怒られた精霊は気分を害するでもなく、笑い声をあげた。
周囲で事態を見守っていた貴族たちは、それを見てとある事実に行きつく。
「……精霊の御子であらせられたか」
「身を挺して暴走を鎮めてくださったに違いない」
「ありがたい……精霊さえいれば我が領の荒廃を止められる」
「エルネスト殿下の婚約者か」
「精霊の御子が我が国の姫となるか……これはめでたい!」
「精霊の御子に祝福を! ユークレース王国に栄光を!」
ソフィアを見る目が一気に変わっていく。
尊敬、あるいは敬服。
口々に勝手なことを言い、貴族たちは頭を下げ始めた。
「ちょっと待ってください。私は御子なんかじゃ――」
『御子だろうが。我の言葉を理解しておっただろう』
『ソフィア……さすがに誤魔化すのは無理あるわよ。諦めなさいって』
「もう! 二人はちょっと黙ってて! このままじゃ精霊の御子ってバレちゃうんだから!」
トトと竜を叱るが、その発言は自分が精霊の御子と認めたも同然だった。完全な墓穴に、周囲からはますます畏敬の念が強まった。
もちろん、全員が全員、まともな敬意を払ってくれるわけではない。
「ソフィアッ! お前、精霊が見えることを黙っていたなっ! 精霊を使えればどれほどの利益になると思っているんだ! 今すぐウチに帰ってきなさいっ!」
セラフィナイト伯爵だ。先ほどまで精霊たちの猛威にさらされていた伯爵はボロボロになったタキシードのまま前に出た。
精霊の御子としての力を自らの利益に繋げようとする伯爵は、国を滅ぼしかねない強力な精霊を前にして、当たり前のようにソフィアに近づき、そして手を伸ばした。
「家に帰るぞっ! この愚図がっ!」
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