第35話 契約

 ソフィアが星幽アストラルに触れると同時、メアリの身体がビクンと跳ねる。

 同時にもやが身体からずるりと抜け出た。

 現れたのは目に刺さるような極彩色のクジャクだった。目をぱちぱちと瞬かせたクジャクはやかましい鳴き声で威嚇した。


『KEAAッ! KEEAAAAAAAAAッ!!』


 耳に刺さるような甲高い鳴き声にソフィアが思わず顔をしかめる。

 周囲の人垣も、聞こえていなくとも何かしら不快を感じたらしく、表情が苦くなっていた。


 ――メアリの雰囲気が変わる。


 目が離せなくなるような魅力が急に感じられなくなり、誰の目から見てもただの礼儀知らずな少女として映るようになった。

 見た目には何も変化していないはずなのに、彼女を輝かせていた魅力が衰え、体そのものが萎んでしまったかのように感じられた。

 エルネストの竜が本能的な恐怖心を煽るのと同じく、メアリが人を惹きつけていたのはクジャクの精霊によるものだったのだ。


 大きな反応が二つあった。

 もっとも顕著で大きな反応を示したのはメアリを溺愛していたはずのセラフィナイト伯爵だった。


 精霊の影響とともにソフィアへの怒りまで抜けたのか、ぽわんと呆けた顔をしていた伯爵は我に返るとメアリの首根っこを掴んだ。

 そのまま無理矢理引き倒し、エルネストの前に跪かせる。力任せに体を倒されたメアリが驚きと痛みに悲鳴をあげた。


「きゃぁっ! お父様! 痛いっ、やめて!」

「うるさいっ! 殿下になんて無礼な態度を取っているんだお前は! 少しはソフィアを見習ったらどうだっ! 家を出て自らの力だけで殿下の目に留まり、あまつさえパートナーとしてここに――」

「お父様! メアリが痛がっています! 離してあげてください!」

「ソフィア! 私が間違っていた。さぁ、我が家に帰っておいで。いくらお相手が殿下とはいえ、お前程度じゃどうせ遊び相手――どれほど上手くいっても愛妾が関の山だろう。伯爵家の籍があれば側室くらいにはなれるかもしれないぞ?」


 縁を切ったとはいえ、実の娘に掛けるものとは思えない下品な言葉だった。ソフィアを貶めているのはもちろん、エルネストの人間性までもを貶めた発言にソフィアの怒りが限界を超えた。


「いい加減にしてくださいっ!」


 ソフィアの声に、ホールがしんと静まり返った。

 人垣のみならず、今まで反抗らしい反抗をされたことのなかった伯爵も驚いた顔で固まっていた。凍り付いた空気の中でしかし、ソフィアの怒りだけが烈火の如く燃え盛っていた。


「今までメアリを散々可愛がり、まともな家庭教師すらつけなかったのは誰なのよ! メアリが無礼なことをしたのは、あなたの責任だわっ!」

「なっ」

「そもそも私のことはさっさと放り出したじゃない! 修道院に行かせようとして、伯爵家から籍も抜いて! 今更勝手なことを言わないで! あなたはもう、私の父親なんかじゃないっ!」

「ソフィア! 何を――!?」

「エルネスト様にも謝ってください! エルネスト様は私なんかにも優しくしてくださる、本当に素敵な紳士です! 何も知らないくせに失礼なことを言わないで!」


 ソフィアは泣いていた。

 今まで我慢していた気持ちが溢れ出したのだ。

 ぐっと身体を引き寄せられ、エルネストの胸元に抱えられた。


「ソフィア。泣かないでおくれ」

「ごめんなさい」

「謝らなくていい。――どうすれば泣き止んでくれる?」


 ソフィアを気遣うエルネスト。

 ソフィアだけをまっすぐに見つめるエルネストに、女王のお茶会でのやり取りがソフィアの脳裏に蘇った。


『どこにもいかない』

『君を離したりしない』

『君が嫌がったって離してやるもんか』


 じわりと胸の中に広がるのは、自らの身体を包むのと同じ温もりだ。

 どこまでも自分を気遣い、優しくしてくれるエルネスト。このまま身も心も委ねてしまいたくなるが、ソフィアは自らを奮い立たせて顔をあげた。

 触れてしまうほどの距離にエルネストの顔があり、心臓が跳ねあがる。破けてしまうんじゃないかと思うくらいに心臓が早鐘を打っていた。


「大丈夫です。取り乱してすみませんでした」

「もっと頼ってくれ。ソフィアになら、頼られたい」

「ソフィア! 話は終わっておらんぞ!」


 いきり立った伯爵が、エルネストに抱えられたソフィアに手を伸ばしたその瞬間。


(……ッ!)


 エルネストの背後に、竜が現れた。

 アイスブルーの鱗に覆われた竜が、目を薄く開けて身じろぎしていたのだ。トトの話では眠っているはずではなかったか。


(目を、開けてる……!)


 まだ寝起きなのだろう。瞼を少しだけ持ち上げたその姿は如何にも眠そうだった。

 だが、その状態ですらメアリに憑りついていたクジャクとは比べることすら不遜になりそうな強烈な気配がしていた。

 言葉を掛けるまでもなく、竜の感情が手に取るようにわかる。


 不機嫌。


(なんで起きてるの? どうしてこんなに不機嫌なの?)


 目の前の竜が暴れれば、ここにいる全ての人間が危ない。

 誰一人として気付かない危機をどうやって回避すれば、と思案したところでれた伯爵が手を伸ばした。

 無遠慮で乱暴。強引にソフィアをつかまえようとして、


「聞いているのか、おいっ!」

「ソフィアに触るな」


 エルネストが伯爵の手をはねのけると同時、竜の存在に気付いたメアリのクジャクが再び耳に刺さるような鳴き声をあげた。竜の恐ろしさに混乱しているのか、バタバタと暴れながら鳴いたクジャクは、そのまま飛び去ってしまった。


『KEAAA! KEEEEAAAAAAAAAAAAAッ!!』


 逃げる間際に放った甲高いクジャクの鳴き声。

 それに眉を寄せながらも、ソフィアは見た。


 同じく、クジャクの声に反応して竜の瞳が見開かれるのを。


 ソフィアと同じく鳴き声が耳に障ったのだろう、竜は出会った時のエルネストよりも不機嫌そうな気配を撒き散らした。

 その瞳に、知性の色は見られない。

 

(ね、寝ぼけてる……!?)


 竜はろくに周囲を確かめることもせずに、大きく息を吸った。


『GRUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッッ!!!』


 大ホールに、烈風が舞う。

 身を切る痛みにも似た、極寒の烈風。

 吹雪だ。


 精霊の起こす奇跡。

 それが今、最悪の形で牙をこうとしていた。


 エルネストの背後、竜の精霊が怒声をあげたのを、ソフィアは確かに聞いた。竜の咆哮は極寒の吹雪となり会場に霜を降らせた。ソフィアが聞いても意味のない吼声だったことからも、竜の意識はまだ覚醒していないことは間違いなかった。


 クジャクの鳴き声に起こされた不快を、本能のままに当たり散らそうとしているのだ。


 悲鳴があがりパニックが起きかけるが、靴や洋服までもが凍り始めていたため、地面につい付けられて誰も動くことができなかった。

 異変に気付いたのか、外を警備していた騎士たちも次々にホールへと足を踏み入れるが、結果は分からない。入ると同時に装備や衣服がて付き、被害が拡大するだけだった。


「くっ!? 何が……!」


 吹雪の一番強いところにいたエルネストは、全身を凍て付かせながらもソフィアの盾となっていた。精霊の姿は見えずとも、咄嗟に吹雪が吹いてくる方向に背を向け、ソフィアを守ったのだ。

 ぴき、と人体からは聞こえてはいけない音が響く。

 極低温にむしばまれ、凍結が始まっているのだ。


「エルネスト様っ!」


 苦悶の表情を浮かべたエルネストは、それでもソフィアに笑みを向けた。


「大丈夫か? 心配しなくていい。何があっても、俺が必ず守る」

「何を仰っているんですか!? 私のことなんて捨て置いて――」

「捨て置けるわけないだろう!」

「何でですか!?」


 氷がエルネストの首筋を伝って昇っていく。

 体を霜が覆う。樹氷が伸び、エルネストから生きていくのに不可欠な熱を奪っていく。あらゆる生命を拒絶する極寒の吹雪が、エルネストを包み込もうとしていた。


「ソフィア。――君を愛しているからだ」

「ッ!?」


 息を呑み、目を見開いたソフィア。

 しかし吹雪はそれを待ってなどくれない。

 エルネストの頬が凍り付いていき、縋りつくソフィアにまで霜が侵蝕してきた。蛇が這うように伸びていく氷が、エルネストの黒曜石のような瞳を覆う。


「待って」

「……ああ、やっと言えた」

「お願い、待って!」


 苦笑の残骸を浮かべたエルネストが氷像へと転じるその直前。ソフィアの視界の端に、トトが飛び込んできた。吹雪が嵐のごとくホールを襲ったことで、ようやく異変に気付いたのだ。


『ソフィア! 契約を――』

「トト! 何でもする! 欲しいもの全部あげる! だからお願い、エルネスト様を救って!」


 そうして、ソフィアは精霊の御子となった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る