第20話 フィーネ①

 フィーネ・ラル・ヴィルージュは完全無欠の美少女だ。

 夜空に星を散らしたよう、と表現される黒髪に透けるような白い肌。すらっとした肢体にまとうのは公爵家の贅を凝らした逸品ばかりだ。

 ユークレース王国で4つしかない公爵家の姫として相応しいだけの知識と教養も得ており、将来は国母として第一王子アルフレッドを支えることが決まっていた。

 誰もが憧れるような、物語の主役のような姫。それがフィーネだった。


 とはいえ、他者に敷かれたレールが本人の希望に沿うかどうかは別問題である。


 ヴィルージュ公爵家の屋敷に、今日もヒステリックな声が響き渡る。


「紅茶はガラハッド産の二番摘みにしなさいって言ったでしょ! なんでそんなこともできないの!」

「も、申し訳ございません!」

「紅茶一つまともに淹れられない侍女なんて要らないわ! 出ていきなさい!」

「そんな! お嬢様、ご慈悲を――」

「目障りだわ! さっさと連れて行って!」


 フィーネの望みを叶えられなかった侍女が即日解雇を言い渡され、引きずられるように部屋を追い出される。

 怯えるような視線を向けた使用人たちが、聞こえないように囁く。


「またか……今回はどうして荒れてるんです?」

「ほら、第二王子の件だよ」

「フィーネ様はアルフレッド様と婚約なさっているでしょ。女王陛下から名指しで指名までされたんでしょう?」

「ええ。ようやく文句を言わなくなったと思ってたんだけど」


 意中の相手であるエルネストに婚約者が出来た。

 フィーネの機嫌が悪いのはそんな噂を耳にしたからであった。噂と言ってもヴィルージュの抱えている密偵たちからの情報で、聞き流すには確度が高いものだ。


(何で! 何でよ! エル様は私と婚約するはずだったのに!)


 そもそも第一王子のアルフレッドと婚約を結ばされるというのがフィーネにとっては大きな誤算だった。


 エルネストの実母たる側姫の葬儀。

 そこで、口を引き結んで必死に悲しみをこらえるエルネストを一目見て恋に落ちた。 

 始めはただの興味だったかもしれない。

 あるいは、美しい外見に惹かれただけなのかもしれない。それまで、すべてが自分の思う通りになっていたフィーネだが、エルネストだけはそうはいかなかった。

 恋愛に興味がないのか、それとも別の理由が。いくらフィーネが近づこうとつっけんどんで適当な反応しか返ってこなかったのだ。

 フィーネ自身に欠片も興味を持っていないかのような態度は彼女のプライドを大いに傷つけた。


(何があっても、絶対に好きだと言わせてみせる)


 公爵令嬢の立場を利用して女王に近づき、自らを売り込んだ。王族に名を連ねられるよう、必死で教育を受けた。

 エルネストが頭痛に悩まされていると聞いて医学や薬学への知見を深めたし、騎士団に入ったことを聞いてからは経済や流通、騎士団の運営に関わりそうなことも学んだ。

 ようやく招待された女王のお茶会では、女王の関心と評価を得るために政治や経済の話題や他国の時事を積極的に出した。


「フィーネさん。あなたは将来、何を目標としているの?」


 幾度目かのお茶会で女王からそう訊ねられた時に、思わず快哉を叫びたくなるほどだった。

 エルネストの名前を出そうとしたフィーネだが、ぐっと我慢した。


 自分がエルネストに恋をして切望した、というのは何だかみっともないと感じたのだ。


 確かにそれでも婚約は叶ったかもしれない。しかしエルネストのつっけんどんな態度が変わるようには思えなかった。

 王家から請われたのと、フィーネが望んだのではエルネストの態度も変わってくるだろう。


 そう考えたフィーネは「国を支えるのは貴族として当然のことだ」と優等生のような解答をした。

 つり合いを考えても、フィーネの相手はエルネストになるはずだと考えた。


 第一王子はフィーネより11歳も年上だし、エルネストと違って誰が相手でも人当たりが良かったこともあって、婚約者の人選にも困らないはずだ。

 フィーネほどではないがそれなり優秀で美しく、身分も問題ない相手も何人か思い浮かんだ。

 そうなれば当然、5歳違いの第二王子との婚約を打診されると踏んでいたのだ。


 しかし、ふたを開けてみれば女王からの書状では第一王子との婚約が提案されていた。

 フィーネは泣いて嫌がったが、さすがに王家からの打診をまともな理由もなく断ることは難しい。

 ましてや、フィーネは自身の望みを告げる機会があったのだ。


 結局、フィーネは王妃となることが決まった。

 第一王子のアルフレッドに不満があるわけではない。王として立てるよう努力を重ねているのも間違いはないし、歳が離れたフィーネを気遣うだけの優しさもある。

 しかし、フィーネの心にいるのはいつもエルネストだけだった。


 荒れたフィーネがエルネストの婚約者について詳しく調べるよう厳命したところで、部屋にノックが響く。無視するフィーネの代わりに侍女が応対すれば、訪ねてきたのは婚約者にして王太子のアルフレッドだった。


「ご機嫌麗しく……はないようだね、我が姫君は」

「ええ。分かったのなら出て行ってほしいのですが」


 不機嫌を隠すどころか全力でぶつけたフィーネだが、アルフレッドは苦笑とともに部屋の中に入ってきた。

 手に持っているのは小さな花束。


「エルのことかい?」

「……そうよ」


 アルフレッドはフィーネの気持ちに気付いていた。フィーネ自身が隠そうとしなかったせいだが、当のアルフレッドは義弟に婚約者の心を奪われているというのにどこ吹く風、悠然とした態度を崩そうともせずに接してきた。

 贈り物の頻度や質も変化しない。


(まるで、私がエル様に向けた想いなんてどうでも良いものみたいに……!)


 それもまたフィーネを苛立たせる要因だが、どれほどキツいことを言われようが正面から八つ当たりをされようが、アルフレッドは態度を崩さなかった。


 何を考えているが分からない。


 使用人や他の貴族たちからすれば『穏やかで優しい、包容力のある婚約者』とのことだったが、フィーネからすれば苛立ちとともに不気味さも感じさせる婚約者だった。


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