――――ぜんぶ知っている。
菟月 衒輝
いっしょ。
――
ゆっくり、目を覚ました。
冬眠していたかと思うくらいとても深い眠りだった。
――君の夢を見ていた。
だからまた、目を閉じたくなったけど、さっきまで散々泣き喚いていたデジタル時計を、鉛のような腕を擡げて取った。
「…………あ!?」
――今日は君とのデートの日だった。
掛け布団を足で蹴飛ばして、飛び起きる。
壁にかけてあるカレンダーを見る。今日までの日付に全部バツが入っていた。
もう一度、時計を見る。
「ふぅ…………」
寝坊したかと思ったけど、意外と余裕があることを確認する。
机に置いてあるマジックを手にとって、今日の日付のところにはバツ印ではなくて、ニコちゃんマークをつけておく。ちょっとだけ
顔を入念に洗ってから、ハンガーにかけてあった勝負服に着替える。ボタンを掛け間違えないように鏡を見ながら、一つ一つつけていたら、もう心臓がバクバクとビートを刻んでいた。
くるりと回って、糸くずでもついていないか確認する。そして髪の毛を整えて、しばらく鏡とにらめっこする。よし。問題なし!
スマホを見て時間を確認する。まだ若干早いけど、早くてこしたことはない。時間ギリギリで駆けてって、整えた髪が崩れたり、服に汗が滲んだりしてはいけないし。
「行ってきまーす」
開け放たれた快晴には寛容な包容力があった。
太陽は燦々と照っているけど、秋が枯れて冬になろうとしている季節。寒くなってきたけど、ちょっとあったかさも残ってる。
別に、いっそ、寒くても良かったかもしれないけど。そしたら、君と身体を寄せ合う理由ができるから。
待ち合わせはありきたりだけど、外せない駅の前。やっぱり、目的地集合じゃなくて、目的地まで一緒に行ける過程も楽しめるのがいい。よかった、二人共最寄りの駅がおんなじで。
駅が見えてくると、反対側から君がやってくるのが見えた。君もこっちに気がついたようで、そうしたらいきなり駆け出した。ううん、殆ど同時に駆け出してた。
「僕の勝ち!」
「ううん! わたしの方が早かったよ!」
あれだけ走りたくなかったのに、結局走ってしまった。「待った?」「ううん、いまきたとこ」みたいなやりとりをやってみたかったけど、君もおんなじだったのかな。
「じゃあ、行こうか」
「う、うん」
PASMOは本当に便利だと思う。昔だったら、引っ掻き回された蟻の巣みたいな難解な路線図を紐解いて、膨大な駅から目的の駅を探して、金額をタッチして、きっぷを買って、改札に入れる。いまでもきっぷはあるけど、電子マネーを使える人がわざわざきっぷを買うことなんてない。
――でも、いまだけはきっぷでも良かったかなとも思ってしまった。
「来たよ」
駅でアナウンスがあるから、言わなくても互いに分かっているわけだけど、なんかぎこちなくなる。駅で走ったときはいつも通りを振る舞えていたけど、デートがこうして始まろうとすると、意識してしまって、なんかいつも通りができない。
「うん」
急行列車だったけど、ガラガラで、でも、二つ連続で空いている席もなくて、座りなよ、いや、君の方こそ、みたいに譲り合ったけど、結局仲良く立つことにした。乗ってる時間もそんな長いわけでもないし。
――帰りは乗れたら、各停に乗りたいな。できるだけ長くいたい。
急行だったから、目的の駅まですぐに着いた。ちょうど話題が枯渇してきていたから、都合が良かった。
「どこから行く?」
「先にお昼ごはん食べない? ちょっと早いかな」
「ううん。いいよ」
正午手前。いまからどこかに入ってしまうと、昼食を食べるタイミングを逸してしまう。だから、ちょっと早めの昼食は良い提案だと思う。
都会は本当にいろいろなものがあって、ご飯を食べるところだけでも、迷うほど選択肢がある。
「何が食べたい?」
「うーん、いまの気分は和より洋かなぁ」
「それじゃあ、あそこのイタリアンとかにする?」
「うわ、おしゃれなお店だね」
「…………き、君も、その、おしゃれだね。服、似合ってるよ」
「え、あ、ありがとう………」
また心臓バクバクだ。知ってたけど、やっぱ顔も紅くなってしまう。君の方をちらっと見てみる。そしたら、目があって、逸らす。そして目を合わせる…………。
「ふふっ……」
「い、いこうか」
他にもお客さんはいたにはいたけど、ガラガラで、それもそうか。これから昼時だから。
四人がけの席に案内されて、君と向かい合うように座る。脇に置いてあるメニューを取る。メニューを見てから、君の顔をちらと見遣る。君はメニューを見ていた。
何を頼むかはもう決まってるけど、急かしては悪いから、敢えて決めかねているふりをする。
君は結構優柔不断みたいだ。メニューとずっとにらめっこをしている。
「うーーん…………よし、これにしようかな。あ、決まった?」
「うん。ちょうど決まったとこ」
「じゃあ、店員さん呼ぼうか」
「結構悩んでたけど、どれにしたの?」
「ああっとね、あ、じゃあ、同時に言わない?」
「……いいけど」
「それじゃ、せーのッ………!」
――ナポリタン。
「「ナポリタン」」
声が面白いくらいハモった。でも、あれだけ悩んで、結局選んだのは一番上にあるナポリタンって。
「え、同じ! すごいね!」
「そうかな。まぁ、すごいか……」
「うん。すごいよぉ〜」
初めて入った店だったけど、味は良かった……と思う。というのも、食べている間も、やっぱ何か緊張してしまって、イタリアから来た味が舌からそのまま滑っていってしまった。
「腹拵えも済んだし、どこ行こっか?」
「うーん…………あ! わたし、観たい映画があるんだ!」
「フッ。そういうと思ってね」
二枚の映画の前売り券。ちょうど今日が上映初日。
この映画はものすごく話題になっているわけではないし、いまは他に話題作がたくさんあるから、たぶんこれは隠れた名作的なやつになるんだと思う。
「そ、それわたしが観たかったやつ! ど、どうしてわかったの!?」
「え、あ、そりゃ…………す、好きな人の好きなものは抑えておきたいだろ?」
空気が熱くなる。逆上せてしまいそうだ。突発的な異常気象のせいじゃないから、傍から見たら、微妙な距離感の二人に見えてるかもしれない。
「い、行こう!」
「う、うん」
自然と手が繋がった。
あれ、自分から手を繋いだんだっけ?
どっちだったっけ?
そんなことより、手汗とか大丈夫かな。気をつけようと思ってたのに、さっきの会話で全部吹っ飛んでしまってた。
「あ、好きな人の好きなものは抑えたいんだよね?」
「え、ああ、うん」
「それじゃ、ホラーとか…………」
「そ、……それは無理! それだけは無理!」
「じゃあ、さっきの言葉は嘘?」
「う、嘘じゃないけど、ほ、ホラーだけは勘弁してください……」
実は前にホラーを一緒に観たことがあったんだけど、終始ガクガクブルブル震えていた。
――でも、いっしょだから、もう一緒にホラーを観ることはないのだと思うけど。
映画館に着く。「どれ見る?」とか一緒に選んでみたかったりもしたけど、前売り券があるからできないんだった。
「ポップコーン買う?」
「映画館だしね。定番だし買おうと思ってるよ」
「なに味が好き?」
メニューの方を見上げる。あったのは、塩、キャラメル、チョコキャラメル、バター醤油、メープルの五種類。やっぱ、定番は塩。次点でキャラメル。
ポップコーン界だと、塩とキャラメルが二大巨頭だと思う。ポテチで言うところの塩とコンソメみたいな。
「うーん、あ、また同時に言う?」
「うん! いいよ」
「よし、じゃあ、せーの」
――キャラメル
「「キャラメル」」
互いに顔を見合わせた。
「え、すごいすごい! また被った!」
「って言っても、ポップコーンって実質、塩かキャラメルの二択じゃない?」
「それでもすごいよ! だってさっきも『ナポリタン』一緒だったじゃん」
「まぁ、そうか」
店員さんが「おまたせしました」と言う。ペアセットがあって、二人とも好きな味も一緒だったから、これを注文することにした。
「それに、好きな味が一緒だったほうが、将来もうまくいきそうだし…………」
待っている間、君は小さな声でなにか呟いた気がしたけど、店員さんの「できましたよ」というにこやかな声で、かき消されてしまった。
「あ、待って。お金ならわたしが払うよ。さっきおごってもらったばかりだし」
「いや、いいよ。いま財布が潤ってんだ。潤いすぎてて溢れそうだから、むしろ払いたいまである」
「え〜なにそれ」
「まぁまぁ、ここは僕に持たせておくれよ」
ポップコーンとオレンジジュースを持ってシアターに入った。席は真ん中の方だったけど空いていたから、「すみません、前通ります」なんて言うことはなかった。
席に座ってから程なくして、例のカメラ人間が登場したり、映画の広告が騒いだり、上映中のマナーが粛々と宣言されたり、スクリーンは千変万化だった。そして、優しくろうそくを一本一本消していくように暗転して、上露が凪の水面に落ちるように、しじまは口を引き結ぶ。
暗闇が覆いかぶさった空間で、君の横顔は見られないけど、熱は感じていた。一緒にいる。見えなくても一緒にいる。
「始まるね」
「うん。始まる」
静寂が支配する空間で、番人にバレないように、ひっそり、言葉を交わした。
目の前で光が爆発するのはすぐあとのことだった。この映画はハス畑の真ん中で目を覚ましたようなカットから始まる。
会社クレジットが消えて、本編が終わりに向かって進み始めた。
映画館に寝に来る……なんて人も世の中にいるって聞いたことがあるけど、多くの人はスクリーンに映し出される特別な物語を観に来る。だから、本来なら、くすりと擽られても、迫力に圧し潰されそうになっても、体中の水が目に集まってきても、ずっと屑屑と移りゆくスクリーンを見ているべきなんだと思う。
でも、やっぱり、たまに、時々、物語に照らされた君の横顔を、幾度となく見てしまっている自分がいた。
――君はずっと映画に集中していたね。それを見るたびに安心できた。
「映画、面白かったね!」
「うん」
「どのシーンが一番好きだった?」
「そうだなぁ…………。あ、これも同時に言う?」
「じゃあ、せーのでね。せ、え、の、」
「「主人公が、
声がハモった。この映画は指輪がすごい大事な意味を持つ話なのだけど、物語の終盤に主人公は昏睡状態から目覚める。重い身体を徐に起こして、自分の手を見やると、つけていた指輪がいちばん大切な友達のものと入れ替わっていた。
一番盛り上がったクライマックスはこの後にあるんだけど、やっぱり君はこのシーンを選ぶと思っていた。
――でも、その選んだ理由はきっと自分とは違うのだろうけど。
「すごい! またいっしょだ!」
――いっしょ。
「本当に、趣味が合うね」
――一緒にいられたら。
「ねね、語り合おうよ!」
「ん? さっきの映画のこと?」
「うん!」
「じゃあ、どっかカフェとか行く?」
「あ、そういえばクーポン持ってた気がするー! ちょっとまってね探してみる…………うん、あったあった。しかも今日までじゃん! 行くっきゃないね!」
「そのお店なら、向こうの通りにあったよな」
「そうなの? じゃあ、そこにしよう!」
並んで歩き出した。手を繋ぐ。今度は思い切って繋ぎ方を変えてみた。そしたら肩が寄った。温もりの優しさが伝わってくる。
――しあわせだった。
そのときにはもう、足で歩いてんだか、心臓で歩いてんだか、わからなくなっていた。
これだけ緊張していることが、君にどうか伝わらないでほしい。でも、君ともっともっと近くにいたい。
カフェに着いた。昼に行った老舗みたいな感じではなくて、全国規模で展開しているチェーン店だ。
やっぱり、注文は同じものになって、今度は映画館と違って席が全然空いていなかった。
――やっぱり、いっしょだ。
空席は、もうなくなっているのかもしれない。
店の奥の方に行って、窓際の席が二つ連続で空いているのを発見して、トレーを置いた。映画館みたいに、並んで座った。
カフェには小一時間くらいいたと思う。映画館とは逆で、カフェにいるとき、君の横顔じゃなくて、スクリーンの方を見ていた。
どうか、悪く思わないで。いま、君の顔を見てしまうと、覚悟がゆらいでしまう気がしたんだ。映画で流さなかった分の涙を流してしまう気がしたんだ。
――君と一緒にカフェを出た。
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