妹様の分まであなたにお返ししたします!
──自ら首元を緩めて急所をさらけ出してくれて助かる。
私はふぅぅぅ…と息を吐き出して、手を繰り出した。
相手の鎖骨の間のくぼみをひとまとめに尖らせた指先で力強く突く。
そこに加減など必要ない。突き指するくらい、力いっぱい突いてやった。
「うぐっ!?」
突然の私からの攻撃に身構えていなかったモートン兄は目を丸くして固まった。
自分の胸元を押さえて苦しそうに呻いていた。
その隙を見逃さず、私は相手の股の間に足を繰り出した。
急所攻撃。男性によく効く攻撃技だ。
「…っ!?」
喧嘩慣れしていないのだろうか。
王侯貴族子息なら、一定の剣術と護身術を学んでいそうだけど、モートン兄は守りが薄々で、隙ありまくりだった。
私は攻撃の手を緩めず、指先で相手の目を掠った。
潰しはしないけど、目に触れるだけでも相手をひるませる効果は抜群だ。
「や、やめ…」
「やめない!」
拳をグーにして握ると、そのままモートン兄の顔や頭をぼこぼこに殴った。
相手は反撃してこなかった。
女に手をあげられないのか、それとも攻撃する方に考えが行かなかったのか。
そうだとしても私が攻撃を緩める理由はない!
「デザイナーさんにお願いして動きやすいドレスにしたの! 無駄な布を減らして軽量化、動きやすさに特化してるのよ! ──この間あなたの妹さんに殺されかけたからね!」
若干、彼の妹に対する恨みを代理でお返ししている気持ちもある。
これまで彼らの失礼な態度に我慢してきたこともあるし、今回も明らかに私を害そうとしてきたのがわかるから。
二度とそんなことをしようという気分にならないよう、徹底的に痛めつけてやろうと思った。
「貴族が聞いてあきれるわ! 故郷の男の子達の方がよほど紳士よ!」
今までの怒りをここで爆発させた私はモートン兄の胸倉を掴んで、ビンタをスパパパンと連続お見舞いしたのである。
「レオーネ!」
私は少々夢中になっていたらしい。
おおきく振りかぶってモートン兄の頬を張ろうとした瞬間、ステフが飛び込んできたことで我に返った。
顔に引っかき傷を拵えた騎士たちを引き連れたステフは、温室の一角で起こった惨状を見て悟った顔をしていた。
私は慌てて、モートン兄の胸ぐらから手を離した。
モートン兄はどさっと地面に崩れ落ちて唸っていた。…ちょっと大げさすぎない? 倒れるほど殴ったつもり無いけど……
ステフはふぅ、と息を吐いて落ち着いてみせると、私のもとへゆっくり歩いて近づいてきた。
「怪我は? なにされたの?」
「襲われたので自己防衛を……すみません、つい。貞操の危機を察知したので」
危険回避のためとはいえ、はしたない場面をステフに見られてしまった。両手をもじもじして私は恥じらっていた。
実家近所のおじいちゃんが元騎士で、子どもたちに体術を教えてくれていた時期があってそれが今回役に立った。
特に私は女の子だからと徹底的に急所への攻撃方法を叩き込まれたのだ。──不埒な男は容赦なく潰せとの教えは確かだった。
ステフは恥ずかしがる私と、鼻と口から血を出して両頬を腫らした男を見比べて、諦めたように遠い目をして笑っていた。
「私の出る幕もなかったな……ほら、殴ったことで怪我をしてるじゃないか。レオーネ、おてんばも大概にね」
血だらけになった私の拳は、モートン兄以外の血も付いていたようだ。怒りで頭に血が上って痛みを感じなかったみたいだ。
「錯乱状態の猫が数匹城内に放たれたと報告があった。……粗方、レオーネの周りにいるものを引き剥がす目的だったんだろう……なぁ、モートン」
ステフは血に染まったレースの手袋を私の手からそっと外し、それをぽいっとモートン兄の目の前に投げ捨てた。
それにはなにか意味でもあるのだろうか。
モートン兄は王宮騎士たちに囲まれた状態で、未だにうずくまっていた。
「その娘が、一方的に暴力を」
口を怪我してしゃべりにくそうな話し方で弁解するものだから、私は言い返してやろうかと思った。だけどステフが制してそれを止めるものだから渋々黙り込む。
「そうだね、君はレディに殴られていた。別に私はこれを公表しても構わないよ?レオーネのためだ。謝罪も喜んでしよう」
その場合、私が凶暴であるという事実が社交界に広がるんだけど、ステフは平気なのだろうか。
自分の身を守るためにしたことなので私は反省も後悔もしないけども。
「当然のことだけど、君がレオーネに危害を加えようとしたことも表沙汰にするけどかまわないよね?」
にっこりと笑うステフは麗しい。
なのだけど、目の奥が全く笑っていないので見惚れるなんてできない。ただただ恐ろしいだけである。
その笑顔を一身に受け取ることになったモートン兄はこころなしか怯えた表情をしたように見えた。
「そ、その女は、殿下にはふさわしいとは思えません。私は臣下としてそれをお伝えしたく……」
最後の無駄な足掻きなのだろうか。
そんなことしても、今更マージョリー嬢を王子妃にはできないのに。そうまでして、自分の地位や贅沢な暮らしを手放したくないのか。
自分がステフに全く信用されていないとわかっていながらよくもそんなことを言えたものである。
「……どうしても私を敵に回したいみたいだね」
案の定、ステフのお怒りに触れてしまった。
「兄が兄なら、妹も妹だ。君たちは本当にそっくりな兄妹だ。私を不快にさせるところまで同じ」
もうステフは笑っていなかった。
眼力だけで人が殺せるんじゃないだろうかと
「レオーネはお転婆なところがある。だけど、少なくとも君たちのように悪意で人を傷つけたり、人を陥れようとはしない。彼女は昔から変わらず心優しい私の愛する女性だ。君ごときが彼女を貶すのは私が許さない」
普段より低い声で凄んだステフは、とどめにギロリとひと睨みすると、周りにいた騎士たちに目配せした。
「その男を捕らえておけ」
「で、殿下!?」
捕縛されるとは夢にまで思わなかったらしいモートン兄がひっくり返った声を出した。相手は貴族であるが、王族に従う騎士たちには関係ない。王族であるステフの命令が絶対なのだ。
「覚悟しておくといい。沙汰は追って知らせる」
ステフはそう吐き捨てると、私の腰を抱き支えて温室から連れ出して部屋まで送ってくれた。そして、私が負傷したのは手の怪我だけなのに、侍医を呼ばれて安静にさせられた。
どっちかといえば猫に襲われた使用人たちを手当してほしい。
◆◇◆
その後の話になる。
社交界内で白眼視されたマージョリー嬢は、修道院に入れられる代わりに爵位を持たない、裕福な平民商人の後妻として嫁いでいったそうだ。
婚約などはなしに、式もせずそのまま。
結婚相手は彼女より年上で未婚の義息子、出戻りの義娘がいる相手なので、子爵のところよりも更に居所が悪いだろうと言われているが、彼女の態度や行いが良ければそこもいい居場所になるんじゃないかと思う。
この話の裏には大人の取引があったそうなので、決して救済策というわけじゃないらしい。
私やステフと二度と会えないように行動制限はかけられるし、家族とも二度と会えないという条件もある。それでもその選択をしたのは、貴族として受けてきた贅沢から離れたくないという意地なのだろうか。
兄の方は王子殿下の婚約者であり、公爵令嬢に対する乱暴行為未遂、王宮へ危険生物(猫)を放った容疑で捕縛された。
猫には危険薬物の含まれた餌を与え、禁断症状を起こしたところで放ったとのこと。目的はもちろん、私の周りの守りを緩めるために。
裏で取引があったようで釈放されたそうだが、彼は社交界で居場所を失ってそれ以降表には出てこず、自主謹慎しているとか。
モートン侯爵家は、領地運営が不健全と判断され、偉い人たちの話し合いの結果、領地割譲が決定した。近い将来モートン侯爵家という名前が消える可能性もある。これから末席に追いやられるのは必至だろうと言われている。
それらの決定に侯爵夫妻は反発してきたそうだが、周りは全会一致で賛成だった。
こうなったのは兄妹だけが原因じゃない。
自分たちがこれまでしてきたことが回り回って自分に返ってきたと言える。
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