お花摘みくらい静かにさせてください。
モートン兄妹の登場で一時は憂鬱な時間の始まりかと思ったお茶会は、その後何事もなく平穏に始まった。
途中、主催者や他の貴族たちがステフ目当てに挨拶しに来て、色んな人と挨拶返しをしていく内に彼らのことはすっかり頭の中から消え去った。
その際に私のことが気に入らないらしいレディに深読みしなきゃわからない嫌味を言われたりもした。
だけどそれを褒め言葉だと受け取ったステフが私の肩を抱きよせてニッコニコ笑っていたため、逆に嫌味を言った人が傷を負ったような顔をしていた。
彼女もステフに恋をしていた1人だったのかなと少し同情したりしなかったり。
会場内から注目を浴びて一時も息を抜けなかったけど、ステフはそんな視線なんかなんのそのだった。挨拶が終わると席についてクレイブさんとのおしゃべりに集中していた。
私も同じくポリーナさんとおしゃべりしていたのだけど、ちょっと催したのでお花を摘みに行ってくると告げて、会場内の使用人に化粧室の場所を確認した。
行きは案内してもらったが、帰りは遠慮した。幸いここまでの経路は複雑ではないので1人でも問題なく戻れる。
身だしなみを整えて、最後に自分の姿を鏡で確認し終えると、化粧室の扉を開く。──すると順番を待っていたらしい人が目の前に立っていた。
待たせてしまったかもしれないと思って気持ち速歩きで化粧室から出ると、「お待ちなさいな」とその人に呼び止められた。
えっ…待たせたことに苦言言われるのかな……と私はげんなりした。なぜなら、順番を待っていたのはマージョリー嬢だったからだ。
「…なんでしょうか」
「なんでしょうか、ですって? とぼけないでちょうだい。さっきのはなんなの。あなたがステファン殿下に言ってお兄様とわたくしをあしらわせたのでしょう。お陰でわたくし達はとんだ恥をかかされましたわ」
えぇ…そんなとんだ言いがかりである。
私は何も言っていないよ。ステフが個人的にあなた方を好きじゃないのと、あなた方がマナー違反していたから追い払われただけじゃない。
「あの」
「殿下はいつまでこの育ちが悪い成り上がりをそばに置いておくおつもりなのかしら。わたくし、殿方の愛人や妾に関しては寛容な方だけど、あなたは気に入らないわね」
私が口を挟むのを遮った彼女は、はん、と鼻を鳴らして偉そうにふんぞり返っていた。
なんか色々と突っ込みたいことがある。 愛人? 妾って?
私はあなたの婚約者とは面識がないと思うし、仮にどこかで会ったことがあったとしても親密になった覚えもない。
愛人や妾になるつもりは一欠片もないんですけどそれは一体どういう意味なのでしょうか。私があなたの婚約者に粉かけると思われてる?
「えぇと…マージョリー様に置かれましては、ご婚約が決まったそうで…」
そう、それなのだ。
婚約が決まったのなら、もうステフに接近する必要はない。
臣下として親しくしようとするのならまだわかるんだけど、モートン兄妹のはそういうのじゃなくて、まるでステフとマージョリー嬢の縁を結ばせようとしているように見えるから不思議なのだ。
「失礼ですが、結婚が決まったというのになぜ、私の婚約者に接近しようとなさるんですか?」
なんの目的があるのかと問いかけてみた。
まさかステフの愛人や妾の座を狙っているというそういう意味なの?
「そういう行いは婚約者様に誤解されるのではありませんか?」
私がそういうのは余計なお世話かもしれないけど、自分の行動を今一度振り返ってみたほうがいいと思う。
ついでにステフを巻き込まないでほしいという本音を交えて言及したのだが、彼女の癇に障ったようだった。
マージョリー嬢は熟れたミフクラギの実のように顔を真っ赤にさせていた。
あ、まずい事を言ってしまったかも。
「わたくしはあんな格下の男やもめに嫁ぐことなぞ望んでいない!」
ツバを飛ばされる勢いで怒鳴られた私は目を丸くして固まる。
先程までの高飛車かつお上品な令嬢はどこにいったのだ。
「…や、やもめ?」
やもめって…配偶者を失った人ってこと?
……婚約相手は子爵家って聞いたけど、マージョリー嬢は後妻として入るの?
下位貴族ならまだしも、侯爵家の初婚の令嬢なのに?
知らなかったとはいえ、触れてはいけない話題に触れてしまったらしい。
まずいと口を抑えた時にはもう遅かった。彼女の怒りは最大限に達していたからだ。
「気高きモートン候爵家の娘であるわたくしはもっと地位の高い男性の元に嫁ぐのが相応しいのに…! 何故子爵など…! 何故お前のような小汚い平民女が王子に選ばれるの! その座はわたくしのような高貴な娘にふさわしいというのに!!」
彼女からぎりりと歯を食いしばる音が聞こえた。
怒りが抑えきれないとばかりに、怒りの矛先を私に向けてきた。
婚約相手が気に入らないから、私からステフを奪おうとしているんだこの人…
危険を察知して彼女から距離を開ける。
逃げたほうがいいかも。これぶん殴られる流れかもしれないし…
「このしぶとい小虫め! あのベラトリクスがしくじっただけある! お前など他の男の手垢に塗れてしまえばよかったのに!」
彼女の手が振り上げられた。
私は顔を庇おうと腕を持ち上げて身構えたのだけど、痛みは一向に訪れなかった。
「──何をしている」
「…! ステファン殿下!」
怒りを堪えた冷たい男性の声と、焦ったマージョリー嬢の声に、私は目を開いた。
私の前には大きな背中が立ちはだかっていた。彼だ。ステフが私を守るために割り込んで彼女の攻撃を受け流したんだ。
彼は持ち上げた腕で受け止めたマージョリー嬢の手を軽く振り払うと、片腕を横に広げて私を庇う姿勢を見せた。
「私の最愛のレオーネに対して、他の男の手垢に塗れてしまえ、だと?」
ステフ…! と背中に抱きつこうとしたけど、彼の怒りに満ちた声にぎょっとした私はぴしりと固まった。
「貴様……彼女を誰の婚約者だと思ってそのような事を申すか」
この上ないほどお怒りだ。
私を庇ってくれるのは嬉しいんだけど、このピリついた空気は慣れない。こちらまでヒヤヒヤする。
「殿下! 貴方様はこの女に騙されているのです! 汚れた平民の血を引く娘などが王子殿下の花嫁になるなぞ、前代未聞。どうかお考え直し下さい」
しかし今のマージョリー嬢にはステフの威圧感が効かなかった。いやむしろ開き直っているのかもしれないけど。彼女は私達の婚約に反対だと訴えてきたのだ。
聞き飽きた悪口を言われた私は遠い目をしてしまう。汚れたは言い過ぎだろう。汚れてないもん別に。
怒っているステフにそんなこと言っても逆効果なのは目に見えている。それなのにマージョリー嬢は「ね? 貴方様さえ望んでくだされば、わたくしは身一つであなたの元へ嫁ぎますわ」と言っている。
よほど子爵との結婚が嫌なんだな、この人。
ステフは一言も彼女に結婚したいとか好意を向けている発言はしていないのにすごい自信だ。
一方のステフは言い寄られても全然嬉しそうではなかった。
「……バレてないと思っているようだが、ある程度当たりをつけているんだぞ」
含みを持たせたような彼の発言に私は首を傾げる。
何の話?
「自分の手を汚さずに相手を傷つけようとするところはヘーゼルダインと同じだな」
ははっ、と面白くもないのに笑ったステフは、背後にいた私を抱き寄せると、マージョリー嬢を軽蔑した眼差しで見下ろしていた。
「自分の首を絞めたくないなら、兄妹共におとなしくしているんだな」
「…っ! 失礼しますわっ」
なにか思い当たるフシがあるのだろうか。
マージョリー嬢はドレスの端を持ち上げると貴婦人らしくもなく、小走りでその場から逃走していった。
何だったのだろう…とマージョリー嬢が立ち去ったあとを見送っていると、頬を包んだ手に上を向かされた。
「怪我はないか?」
ステフが心配そうに私の顔を覗き込んでいたので、私は大丈夫という意味を込めて笑った。
「こんなことなら、一緒に行けばよかった」
「いえ、お花摘みに王子殿下を伴うのは流石に恥ずかしいです」
やめてください、お花摘みのときはそっとしておいてください。
私の懇願にステフは困った顔をしていた。
それじゃあ私のもしものときに駆けつけられないと言いたいのだろう。
「今度からこういう茶会でも侍女を近くに置こう」
こういう茶会や夜会のとき、付き添いの使用人は会場入りせず、待合室で待機している。そういう決まりなのだが、ステフはそれを破って私の身の安全のために侍女を置こうと言い出した。
「君の毒味役とかどうだ? 彼女は度胸が据わってて頼もしい。最近貫禄が出てきたし、いい人材だと思う」
彼が指定した人物は、毒見役が天職だといってのけた食いしん坊な彼女のことだろう。
でもステフ…貫禄って……
言外にそれは彼女が横に成長していると言いたいのだろうか。それとも単に頼れる人材と褒めているだけなのだろうか。
でもそれ、女性の前で言っては駄目だからね。悪口として受け取られかねないから。
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