麗しの婚約者様は私のお義兄様を睨みつけている。
「待たせたね、レオーネ」
その声とともに私は後ろから抱き寄せられた。
お腹に手が回り、広く逞しい胸元に背を預ける形になって慌てて離れようとしたが、相手が私を抱きしめる力を緩めなかったので途中であきらめた。
「フェルベーク、またレオーネにちょっかいを出しているのか」
彼の声は警戒でいっぱいだった。
「殿下、今はレオーネもフェルベークですよ」
それに対して気を悪くした風でもなく、オーギュスト様はニッコリ笑っていた。……これは楽しんでいるのか、それとも作り笑顔なのだろうか。
「そもそも僕はレオーネの兄ですよ? もうちょっと警戒を解いてくださってもいいではないですか」
「戸籍上のな」
「血縁上、再従兄ですよ?」
何がステフをこんなにも警戒させるのかは謎だ。私がいるときにふたりが顔を合わせるといつもこんな感じで、仲がいいのか悪いのかわからない。私の知らない何かがあるのかな。
「かわいい妹を構いたくなる兄心というものをご理解いただきたいですね」
「生憎私は末子なもんで、理解してやれないな」
仲が悪いのかなぁと心配していたけど、口論する内容がそもそもしょうもないことばかりなので、政敵とか個人的な恨みがある間柄というわけじゃなさそうだ。
「また口喧嘩しているのかい?」
「レオーネ嬢を見てご覧、困った様子で可哀相じゃないか。程ほどにしなさい、ステフ」
見かねて口を挟んできたのはステフのお兄様方だった。
私は臣下の礼をしようと思ったのだけど、ステフに拘束されたままで不格好な動きをお披露目した。それを見た王太子殿下が手を横に振って、礼は省略していいと言ってくれた。
「何かあったのかい? 近衛を動かしたみたいだが」
「怪しい使用人がレオーネを誘き寄せようとしていたので、追わせました」
王太子殿下の問い掛けにオーギュスト様が返すと、私の身体に絡み付くステフの腕の力が増した。ちょっと苦しい。
「……やっぱり離れるんじゃなかった。無事で良かった」
私の無事を喜んでくれるのはうれしいけど、もう少し腕の力を……目で訴えようと振り返る。すると身を屈めた彼の美麗なお顔がどんどん近づいてきて、私の唇を塞ごうとしていたので、その前に手の平で遮っておく。
私の手の平にキスをする形になったステフはムッと眉をひそめていた。不満そうにしてもダメです。
「殿下、人前です」
「……ステフって呼んで?」
私の手の平から口を離したステフは言うに事欠いておねだりしてきた。
ダメに決まっているでしょう、時と場合を選んでほしい。
「公式の場ではいけません。ほら、お兄様方が笑ってますよ」
「レオの意地悪」
むぎゅうと私を抱き込んで首にぐりぐりと顔を押し付けられる。
駄々っ子か。麗しの王子で有名なのにそんな子供っぽいことしてたら、貴族のお姫様達の夢が崩れちゃうよ。
端から見たら熱く抱きしめ合っているように見えるかもしれないけど、近くで見ていた彼らからしてみたらそうじゃないんだろう。
オーギュスト様だけでなく、王太子殿下、第二王子殿下の生暖かい視線が突き刺さってきて私が恥ずかしい。
彼らの視線には咎めるものはない。むしろ安心している雰囲気すらある。
「レオーネ嬢、この場を借りて君にお礼が言いたい」
「……?」
突然お礼を申し出てきた第二王子。
私に対してお礼とか……何かをした覚えがなくて怪訝な顔をしてしまった。
「10年以上も前のことだが……静養先から戻ってきた弟は見違えるほど健康になっていた。それはステファンの側に君がいてくれたおかげなんだ」
「あ、いえ……私もステファン殿下と過ごすのが楽しかったので……」
そもそも当時はステフが王子だとか知らなかったし、ブロムステッドでは私には同年代の友達がいなかった。年の頃が合う私たちがたまたま出会って意気投合しただけだ。私も彼に心を癒してもらったこともあるし、お互い様である。
健康になったのは当時の主治医の努力と本人の忍耐の賜物だと思うので、私のおかげではないと思う。
「好きな女の子と結婚の約束をしたからと健気に頑張るステフを見てたら、身分違いだとか、占いで結婚相手決めるんだよとか、そんなこと言えなくて……年頃になれば、他のレディに目移りするかと思ってたらそんなことないし、物凄い勢いで力を付けていってね……もしもの時を考えると心配だったんだ」
お兄様方の心配はごもっともだ。
ステフは一途すぎるところがあるので、他のご令嬢を宛がわれた場合うまくいくかを考えてみた場合ちょっと不安がある。
人によってはなんとかなったかもしれないけど……いや、うーん…
「だからこうして婚約に運べて、私達もステフの兄として嬉しく思うよ。二人とも、困ったことがあったらいつでも相談してくれ。できる限り尽力すると約束しよう」
「兄上達、お止めください。改めて言われると恥ずかしいではないですか」
照れ臭いのだろう。ステフが頬をほんのり赤らめて恥じらっている。
そんな姿すら美麗なのだ。眼福である。
「……もしもの話ですけど、レオーネが他の男性と結婚してたらとか考えなかったんですか?」
そこに切り込んできたのはオーギュスト様である。
余計な発言を投げてきた彼にはもれなくステフの鋭い眼光が送られた。それを目にした私はとばっちりを受けて「ヒェッ」と引き攣った声を漏らしてしまった。
ステフからおっそろしいお顔で睨まれたのに、オーギュスト様の神経はどうなっているんだろう。相変わらずへらへら笑っているではないか。
「レオーネは12になる前から縁談が持ちかけられていて、引く手あまただったって話じゃないですか。ご両親が婿選びに慎重な方々だったから運よくまだ独身でしたけど、これだけ美しくて17ならもう既に人妻だった可能性が……って怖いな」
オーギュスト様、なんでそこまで詳しいの、そんなこと話したことないよねと聞きたかったが、それよりもステフだ。視線で人を殺せるとは正にこのことであろう。
瞳孔開いているよ。あかん。暗殺者の目をしている。それは王子様がしていい表情じゃないよ。
ステフに私の歴代の縁談話は禁物なんだよ。すぐに機嫌が悪くなっちゃうんだから!
私は慌てて自分からステフに抱き着いた。彼の意識はすぐに私に向かったので、「私ともう一度踊りませんか?」とお誘いした。
オーギュスト様とステフを一緒にしていたらダメだ。どうにもこのふたりが一緒にいると空気が悪くなる。今すぐに引き離そう!
私から甘えてもらったのがうれしいのか、ステフの表情がデレッと甘くなった。
当初は睨み顔ばかりだと思っていたけど、この人割と表情豊かだよね。
「そうしたいのは山々なんだけどね……レオーネには踊ってほしい御方がお一人いらっしゃるんだ」
「踊ってほしい御方…ですか?」
自分以外の男性(※身内を除く)とは踊ってほしくないとあからさまなステフが踊ってほしいと頼んで来る相手とは……?
不思議に思って彼を見上げていると、ステフの視線が斜め横にズレた。彼の視線をたどると、そこには一人の老紳士の姿。彼はヴァイスミュラー老公爵だ。近い将来、ステフの義父になる御方である。
なるほど、そういう訳かと合点した私は快諾した。
「是非にとのことだ。彼と踊って差し上げて」
「はい、わかりました」
私はステフから離れると、ヴァイスミュラー公爵にそっと近づいた。
老公はすっと私の前に手を出すと、懐かしいものを見つめるような瞳で私を見つめてきた。
「老いぼれ相手で申し訳ないが、一曲お相手願えますか? 美しいお嬢さん」
「よろこんで」
彼の手を取ってダンスフロアに入ると、音楽に合わせて動きはじめた。お年を召した方なのでそんなに派手な動きはなく、必要最小限の踊りだったけど、年の功なのかこちらを気遣かった踊りをしてくれたので楽に踊れた。
「近くで見れば見るほど、あの御方と鏡映しだ」
その言葉は何度も耳にした。
きっと彼もミカエラ大叔母様に似ていると言いたいのだろう。
「ここだけの話にしたいのだが……私も彼女に恋をしていた一人なんだ」
「そうだったんですね」
ミカエラ大叔母様すごいな。お若い頃は何人もの貴公子のハートを射止めたのだろう。末恐ろしい御方である。
「彼女がデビューした頃すでに私には妻がいたので、想いを伝えられなかった。妻にも失礼だからこの想いを封印し続けていたんだ」
口や態度には出せなかったけれど、密かにミカエラ様に憧れていたと言う老公は私を通じてミカエラ大叔母様の幻影を見ているようにも思えた。
「彼女に似た君と踊れるなんて夢のようだよ。……ありがとう」
「いいえ、お安い御用です」
誰かの代わりに見られるのは正直気分は良くない。
だけど彼の場合は話は別だ。
若い頃の思い出は特別なのだろう。それを押し殺して燻らせていた想いなら尚更に。
今晩、初恋の人に似た私と踊ったことでその想いが昇華されたのなら、私としてもいいことをしたなって気分になれるから。
そんな訳で、一緒にダンスしたからか、ミカエラ大叔母様に似ているからかは知らないけど、ヴァイスミュラー老公の後ろ盾も頂けることになったのである。
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