あなたを失うと考えると怖い。これってどういう感情なんでしょう。


「……お前の主人は誰だ」


 王子は床にへばり付くメイドへ鋭い眼差しを向けた。そこに優しさなんてものはない。今もしも彼の手に剣があればそのまま斬り捨ててしまいそうな殺気すら感じる。

 ものすごい威圧感なのに、メイドはふっと笑った。面白くも何ともないこの状況で。


「馬鹿な王子め。最初からあの御方を選んでおけば、こんなことにはならなかったと言うのに!」

「貴様! 殿下に向かってなんという口の聞き方だ!」


 自分の犯罪行為が露見したことでメイドは自棄になってしまったようだ。王子に対して無礼な口の聞き方をして騎士にぐっと押さえ込まれるも、全く怯える様子がない。

 不敬罪になるかもしれないのに、怖くないのだろうか。


 すごい忠誠心だ。

 人殺しの罪を被ってでもその主人の命令を遂行しようとするのか。……誰なんだろう。彼女を従える主人は。

 王子はメイドを無表情で見下ろすとゆっくりと口を開く。


「もう一度聞く、お前の主人は……」

「殿下! ステファン殿下!」


 慌ただしくドタドタ駆けて来る足音と共に、焦った様子の騎士が飛び込んできた。その場にいた人間の意識がすべてそちらに向かう。

 その騎士は誰かの腕を拘束したまま、見せ付けるように前に突き出した。


「殿下のお部屋に侵入する者を見つけたので引っ捕らえました!」

「離しなさい! 離しなさいったら! わたくしを誰だと思っていますの!?」


 きんきんと喚く声が耳に痛い。

 突き出されたその人は煽情的なネグリジェにガウンを羽織っただけの薄着姿だった。布地が透けていて目のやり場に困るやつだ。……その格好で王子の部屋に?

 あ、さっきメイドが王子と誰かがお楽しみ中だと……私は思わず疑いの眼差しを王子に向けてしまった。私のことかけがえのない存在とか言ってそういう……


 なんだか面白くなくて、ジトッとした目で王子を観察した。

 私の視線に気づいた王子はぎょっとして首をブンブン横に振っていた。何を否定しているんだ何を。


「わたくしに触らないで無礼者! わたくしはステファン殿下の花嫁ですのよ!」


 怒鳴って拘束を解こうと抵抗しているが、ここは王城。いくら貴族でも、怪しい動きをしていたら不審者扱いされるだろう。

 貴族全員が王族に従順な訳じゃない。王城の騎士たちは王族を第一に守らねばならない。仮にそれが貴族令嬢だろうと、部屋に侵入して来るような招かざる客は不審者扱いを受けるってものなのだろう。


「ベラトリクス様!」


 メイドは答え合わせをするかのようにその人物の名を叫んだ。

 どうにかして騎士の拘束を解いたようで、床を這いずりながらその人物の膝元にたどり着くと、その足に縋り付いていた。


「お許しください、ベラトリクス様! あと一歩のところだったんです!」


 ベラトリクス・ヘーゼルダイン嬢へ向けて、涙を流して許しを乞うたのだ。

 当初から疑惑は持っていたけど、これで確信できた。

 私を亡き者にしようとしていたのはこの人なんだって。

 この人はなんとしてでもステファン王子の花嫁になりたかった。だから私を消そうとした。

 これまでに起きたあれこれもすべて、この人が仕向けてきたのだろうか……


 大勢の騎士や使用人、そして私やステファン王子の前で「雇い主はあなただ」と言われたような形になったベラトリクス嬢はぎょっとしていた。

 まさかメイドが大勢の前でぺろっとバラすとは思っていなかったのだろう。


「お前なぞ知りません! 汚らしい手でわたくしに触れるな!」

「あっ…!」


 無関係を装おうとメイドを蹴り飛ばしたが、周りの目は疑惑に満ちていた。ベラトリクス嬢をみんながみんな、疑っている。

 目を三角に釣り上げた彼女はメイドを睨みつけて警戒している。まるで「それ以上余計なことを言うな」と目で脅しているようであった。


「ひどいです! ご命令通りにしたのに私をお見捨てになるのですか! 私はあなたの命令に従って人殺しに手を染めたのですよ!?」


 彼女に見捨てられた風なメイドはわぁわぁ騒いでいる。仲間割れしてしまったようである。

 だけどね、メイドさん、私まだ死んでいないから。あなたはまだ人殺ししてないから。


「ヘーゼルダインの娘を軟禁しろ。ヘーゼルダインの侍女・メイドらも残さず拘束するんだ。関係者を誰一人として外に逃がすな」


 王子はそれらに驚く様子もなく、淡々と命令を下した。周りにいた騎士達はそれに従ってきびきび動きはじめる。


「殿下!? まさかわたくしがそこの平民に何かしたとでも思っていますの?」


 騎士に囲まれたベラトリクス嬢はこの状況下でも自分はなにもやってないと訴えているが、王子の部屋に侵入した時点で目茶苦茶怪しいので、あんまり説得力がない。


「ベラトリクス・ヘーゼルダイン。強欲な君はこれまでにも邪魔だと思った相手を手段を選ばずに引きずり落としてきたな」

「!?」

「今回も同じく、私の花嫁を消し去ろうとしたんだろう」


 ステファン王子のことだ。彼女が真っ黒である証拠をすでに握っているのかもしれない。言い方が疑問じゃなくなっているもの。さっきメイドの主人を確認していたのも、証言を得るためだけだったのかな。


「怪しい動きをするヘーゼルダインの尻尾を掴みたいのだと陛下に頼まれたから、渋々花嫁候補として城入りを許可したが……とんでもないことをしてくれた。こんなことなら最初から断ればよかった」

「な、なんのことですの殿下、わたくしはあなたの」


 独り言のように呟いた王子はベラトリクス嬢から視線を外すと、周りにいる使用人をぐるっと見渡した。


「ここに人がいるとレオーネが休めない。医師と侍女以外退出しろ」


 そう言って私を軽々横抱きにすると彼は部屋の奥に歩を進めた。ベッドまで私を運んでくれるようだ。


「あの、私歩けます」

「無理はいけない。君は熱が出てきているんだ。医師をつけておくからしっかり休むといい」


 おでこにちゅっとキスを落とされて私の身体がかぁっと熱くなる。

 この熱も毒(催淫剤疑惑あり)の作用なんだろうか……毒って苦しい印象しかないのに、人肌恋しい気持ちになっているんだけど。


「殿下! 何故です! わたくしを差し置いて何故そのような平民……!」


 騎士によって捕獲されたままどこかへ連れていかれようとしているベラトリクス嬢は不満を吐き出した。

 私のような平民が王子の運命の相手であることが許せない、認めたくないと言うのだろう。だけど、だからといって殺そうとするのはやり過ぎだと思うんだ。平民にだって生きる権利があると思います。


「黙れ」


 王子はちらりと後ろを見ると、鬱陶しそうに顔をしかめる。彼の視線の先には、出入口にしがみついて抵抗するベラトリクス嬢の姿があった。

 ヒラヒラのネグリジェの裾を乱し、おさげにしていた髪を振り乱した彼女の視線に恋心のようなものは含まれていないように感じた。


 多分、彼女はステファン王子が好きなのではない。彼が持つ地位を愛しているのだ。


「せいぜい納得できる言い訳でも考えるといい。言っておくが、君を花嫁として選ぶ気は全く無い」


 王子は凍てつくような氷の眼差しで彼女を睨みつけていた。

 彼はベラトリクス嬢の犯行が初犯ではないみたいな言い方をしていた。陛下に頼まれたから城に入れたとも言っていた。

 ベラトリクス嬢が花嫁候補というのは口実で、ヘーゼルダイン家の罪を暴くためだったというのなら、じゃあ私は一体……?


「殿下っ殿下ぁぁーっ!」


 力比べに負けたベラトリクス嬢は騎士らに身体を持ち上げられる形でどこかへ連行されて行った。もう扱いが貴族令嬢ではなく、犯罪者にするそれじゃないですか。いや、犯罪者だろうけどさ。

 ぼんやりとその光景を眺めていると、王子が私の顔を覗き込んできた。


「顔が赤いな。冷やすものを持ってきてもらおう」


 ぺとりと頬に触れられて身体が小さく震えた。王子の手、つめたくて気持ちいい……


 その日の晩は、枕元でお医者さんとヨランダさんがついて看てくれていた。人がいると眠れないかもと思ったけど、飲まされた毒(?)の影響か、私は一晩中熱にうなされてうんうん唸った後、たくさんの汗をかいて翌朝何事もなく目がさめた。

 朝の診察時も超健康の太鼓判を押されて終了した。

 



 私の暗殺事件は、こうして未遂で終わったかに思えた。

 しかしその後、事態は急展開を迎えた。


 生ごみ置場でネズミが大量死するという奇妙な事件が発生したのだ。

 原因は、王子に出されたホットチョコレート。そう、彼の好物である。

 廃棄したその甘い匂いにつられて夜中に舐めに来たネズミが大量に死んでいたというではないか。

 

 それを聞かされた私は全身から血の気が引いた。

 仕込む段階で毒と媚薬が入れ替わったおかげで私は命が助かったけど、もしかしたら代わりに王子が死んでいたのかもしれないと考えると恐ろしくてたまらなかった。


「あの、毒入りホットチョコレートの件ですけど」


 私のお見舞いに来た本人にそのことを確認すると、ステファン王子は肩を竦めていた。毒に侵された様子は微塵もない。


「大丈夫だ、何ともない。口をつける前に君の元へ飛び出したから一口も飲んでない」


 なるほど、ヨランダさんたちが大騒ぎしたせいでそっちに気を取られたから飲まずに済んだのね。それならよかった。

 私はほっとしたのだが、昨日の今日のことだ。「もしも」を考えると恐怖がぶり返し的そうだった。


 それが不安がっているように見えたのか、王子は私の手首を手に取って胸板に触るように誘導してきた。


「ほら心臓も動いているだろう」


 いきなり胸を触らせるからびっくりしたけど、手の平に伝わる鼓動に私はフフッと笑いをこぼしていた。


「よかった。あなたが飲んでたらと考えると、ひどく恐ろしくなって」


 発作で苦しんでいた初恋の彼が天に召されてしまうんじゃないかと子ども心に不安だったあの時の気持ちを思い出してしまった。

 本当に運がよかった。私も、王子も。


「それは私のセリフだ。君が毒を飲んだと聞いたとき、気が気じゃなかった」


 私の髪の毛をそっと耳にかけてきた王子は微笑んでいた。まるで、愛おしいものを愛でるような甘い笑顔で。

 熱く強く見つめられた私は胸がうずうずして苦しくなった。


「レオ」


 低い声が私の愛称を呼ぶ。

 私は照れ臭くて恥ずかしくて彼の瞳を直視できなかった。彼から「こっちを見て」とおねだりするように囁かれて、ちらりと視線を向けると、ふわりと優しいキスをされた。

 瞳を閉じるその前に見えた翡翠色はとても美しく、眠っていた懐かしい記憶が蘇って来るようであった。

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