私はレオーネ・クアドラ。元貴族の母を持つ平民です!


 ──とうとう、この日がやって来てしまった。

 故郷でおとなしく暮らしていれば、絶対に立つはずのなかった舞台。


 何故平民の私がお城のパーティに参加しているのだろう……と現実逃避しても、逃れられない。

 作法は何度も確認した。ダンスも及第点をもらった。これを乗り切れば大丈夫。どきどきどきと入場の時間を待つ。パーティ会場となっているホールまでは王子がエスコートしてくれるそうだが、その前に他の花嫁候補を会場までお送りしないと行けないから私は後回しだ。


 身分の低いもの順に入場する決まりなのに、身分が低い私が最後でもいいのかな? ってふと疑問に思ったが、多分今回の場合花嫁候補として最初に入場した方が目立つのだろう。

 できれば私はあまり注目を浴びずに無難に終わってほしい……


「大丈夫ですよ、レオーネ様」


 緊張できりきり痛む胃を抑えていると、私の準備を手伝ってくれていたメイドさんが呼びかけてきた。


「今夜、このパーティ会場で輝くのはレオーネ様に間違いありません!」


 目を輝かせてぐっと拳を握った彼女はやけに自信満々だった。もしかしたら私の緊張を和らげようとお世辞を言っているのかもしれないけど。

 私が身につけている物……ドレスに靴、耳飾りネックレス、髪を飾るティアラまですべてステファン王子が私財で購入してくれたものだ。私には勿体無さすぎて、それらが浮いてしまうんじゃないかと不安で仕方がない。不安な気持ちで控室で待機していると、扉をノックする音が聞こえた。


「さぁ、レオーネ様、いってらっしゃいませ」


 ヨランダさんに促され、気が重いながらも開かれた扉から控室の外に出る。

 そこにはパーティ用に誂えらえた盛装姿のステファン王子がいた。普段から身嗜みに気を使っている人だけど、今日は一段と男前で私はしばし見惚れてしまった。

 今日の彼は前髪を上げておでこを出していて、普段よりも大人っぽい。私を見るなり甘い甘い笑顔を浮かべ、すっと手を差し述べた。真っ白の手袋をしたその手に引き寄せられるように自分の手を乗せると、恭しく握られた。


 そして、身を屈めて私の手の甲に口づけを落としたのだ。

 手袋越しの手の甲へのキス。それはレディへ敬意を表した挨拶だ。王侯貴族男性がレディに対して使う挨拶で、特に深い理由はない。

 そのはずなのに、ちらりと上目遣いで私の顔色を伺ってきた王子の瞳が熱くて私は勘違いしてしまいそうになった。自分の頬にじわじわと熱が集まり、発熱したみたいに体が熱い。

 私の反応を見て満足したらしい王子はふふっと悪戯げに微笑んだ。からかわれたのかと思った私はムッとして王子を軽く睨んだ。


「皆が私の花嫁を見に来ている。行こう、レオーネ」


 だから候補ですって……という言葉は出てこなかった。今晩の王子はいつもと雰囲気が違って、別の人に見えたから。


 腰を抱き寄せられた私は彼のリードで会場入りした。ドアマンによって開かれた扉の先には招待客が揃ってものすごい熱気だ。

 この人達が全員貴族で、全員花嫁候補を見に来たっていうの……目眩がしてしまいそうだった。


「最後の花嫁候補であらせられるブロムステッド男爵の姪御、レオーネ・クアドラ嬢のご入場でございます!」


 大声で紹介されたものだから、一気に人の視線が突き刺さる。

 好奇心から、侮蔑の視線まで人によって様々な感情を乗せたそれらに私の全身から血の気が引いた気がした。

 特に未婚っぽい若い令嬢からの敵意は顕著だ。これで平然としていろというのは無茶難題である。


 もう泣きそうだ。ただただ怖い。

 私の怯えに気づいた王子が私の背中をそっと撫でて小さく声をかけてきた。


「レオーネ、大丈夫だ」


 そんな無茶な。不安でいっぱいいっぱいな私はじろりと王子を睨みつけた。目で訴えるしかない。私には無理だって。

 私は貴族令嬢じゃないんだぞ。ただの平民なんだから。平民がこういう場に立たされるのがどういうことか理解してないからそんな軽く応援して来るんだろうって。


「ご覧、会場内を」


 それなのに王子は呑気に声をかけて来る。あなたの心臓は象かなにかの強靭な心臓なんですか。周りから突き刺さる圧に少しは動揺したらどうなの。

 無理無理、見てらんないと首を横に振るが、王子はにっこりと私に笑いかける。


「あのステファン殿下が……!」

「あの娘に笑いかけましたわ……!」


 王子の笑顔に反応した人たちが視界外でどよめく声が聞こえた。あぁ…そっちを見たら間違いなく視線で殺される。心臓発作起こして死ぬ自信がある。


「君に敵う女性はただひとりとして存在しない。この場で最も美しいのは君だ、レオーネ」


 そんな、美しいの象徴にそんなことを言われましても。

 王子様みたいに口説かないで欲しい。あ、正真正銘の王子様だったわこの人。


 どうやら王子は私を助ける気はないらしい。教わった通りに挨拶をしろ、と促すように背中を押されて前に出される。急に支えが消えてしまって不安が増す。足がすくんでしまいそうだ。


「なんて美しい子なの」

「あの娘だけが魔女様がご指定なされた運命の伴侶の条件にすべて該当したそうだ」

「ブロムステッド男爵の姪で、駆け落ちした妹の娘」

「市井出身の父親を持つ庶民……」


 貴族達がヒソヒソする声が聞こえて、私はギクリとした。

 この場には以前のお母さんのことを知っている人も多くいるはずだ。お母さんは好きな人と結婚するために身分を捨てた人だ。ブロムステッド男爵家は爵位が低くとも、歴史と伝統のある家だ。それらはお金じゃ得られない貴重なもの。建国当時から王家を支えてきた由緒ある出自の娘が、貴族としての義務を放棄した。その娘である私が変な注目のされ方をするのは避けられない。


 私には生まれながらの貴族のお姫様みたいに振る舞うことはできない。そもそも土台が違うのだもの。

 正直言ってこの場から逃げ出してしまいたい。なんで私がこんな目に遭わなきゃなんないんだって当たり散らしたいよ。

 怖い、恐い……!


 だけど、私が粗相をしてしまったら生まれ育ちだけでなく、両親や伯父様伯母様のブロムステッド男爵家まで悪く言われてしまうかもしれないと気づいてしまったら腹をくくるしかなかった。


 まず深呼吸をして姿勢を正すと、端から端まで視線を送る。

 私は笑顔を作った。

 本音をいえば泣きたいが、こんな時こそ笑顔を見せるのだ。何度も何度も練習して、合格点をもらったカーテシーをしてみせた。堂々と優雅に。


 先ほどまであちこちからヒソヒソ声が聞こえていたはずなのに、なにも聞こえなくなった。むしろ視線が更に増えたけど、多分気のせい。気のせいったら気のせい。


 するりと背後から腰を抱かれたので、斜め上を見上げると、王子が微笑んでいた。その目は「よく頑張った」と私のことを労っている気がした。

 彼の笑顔を見て私はほっと一安心した。これで怒られたらどうしようかと。


 挨拶が終わったので、私は王子から離れようとした。彼は他の花嫁候補の相手をしなきゃいけないだろうから。

 私はすっと前に一歩足を踏み出して、目立たない場所で壁の花ならぬ置物に擬態しようと移動を開始した。


「どこへ行く、私から離れるなレオーネ」


 しかしその行動を王子に窘められ、腰に回された手に力が入ってさらに密着することになった。

 なるほど、私がヘマをやらかすかもしれないから目の届く場所で監視する考えなんだな?


 私もその辺は不安であるが、別にここまで密着する必要はないと思うの。

 ほら、前見て王子。あの人が見てる。真っ赤なドレスに身を包んだ赤い薔薇のようなベラトリクス嬢がこっちをぎらりと睨みつけているよ。彼女を放置しててもいいの?


 私にとって試練のような社交デビューは始まったばかりである。

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