久しぶりに外出できたと思ったら、公爵領ってどういうことですか?
カポカポ鳴る馬の蹄とガラガラと車輪の回る音がその場を支配していた。
私は今馬車に乗っている。
外に出てきたのは、あの運命の占いで指名された日以来だ。籠の鳥が外に放たれたような気分にさせられる。
メイドさん達に手伝ってもらいながら出かける準備をさせられたから何事かと思ったら、馬車に乗るように誘導された。
──もしかして花嫁候補から解放されて男爵領まで送ってくれるのかなと期待したのは一瞬だけ。同じ馬車内に王子がいることで、違うところに連れていかれているのではないかと不安になりはじめた。
「あの…この馬車は、ブロムステッド男爵領に向かっているんですよね?」
「……? 違うが」
恐る恐る尋ねると、怪訝そうに否定された。じゃあどこなの。口封じに森に捨てに行くとか? そんなのあんまりだ。
「向かっているのはヴァイスミュラー公爵領だ」
答えを教えてもらったけど、私の中で疑問はさらに広がっていく。
え? ヴァ……なんて? 公爵ってなに? ま、まさか私を売りに行くとか? そこの貴族の妾として利用しようということなの?
私の中で悪い想像がどんどん膨らんでいく。いざとなったら逃げるしかないんだろうか。
「私が継承する領地だ。現ヴァイスミュラー公爵は高齢で、男の後継ぎがいない。そのため私がヴァイスミュラー家へ養子に入るんだ」
「あっ、いずれ殿下が統治する領地なんですね……」
売られる訳じゃないと分かるとほっとする。が、やっぱり疑問が次々沸いて来てしまう。
「なぜ、そこに私まで……?」
視察というなら、これは公務なんですよね? 私は不要なのでは? むしろ何もわかっていない素人を連れていっても邪魔なだけだと思うんですけど。
「学ぶなら実地で学んだ方が早い。いずれ君も関わることになるんだ。早いことに越したことはない」
「えぇ…」
関わるっていうなら他の候補者もいなきゃなのに、王子は私一人を連れてきた。もしかして私一人勉強が遅れているから、実地で学ばせようとしてるんだろうか。これでも頑張ってるんだけどなぁ。
会話が途切れて再び、馬車の中を沈黙が支配する。
しかも馬車の中に2人きりっていろいろとまずいんじゃないだろうか。運命云々置いておいて、正式な婚約者って訳でもないのに。
気まずくて顔を伏せていると、王子の視線がちりちりとつむじを焦がしているような気がして居心地が悪くなった。
うぅ、こっち見てる……隠れる場所がないからどうしようもない。ドレスのスカートの上でギュッと手を握りしめ、その自分の手元を見て違和感を覚える。
そうだ。今は手袋をしているんだ。それに流行のドレスに身を包んで、本物のお姫様のように傅かれている。目の前には本物の王子様がいる。
夜寝て朝起きたら夢だったと思う日が来るのかと期待する毎日を送っていたが、私のこれは現実で……今のこの現状に慣れはじめている自分が少し怖かったりする。
◇◆◇
ヴァイスミュラー公爵領へ到着するとまず公爵家へ顔を出した。
初対面の私は公爵家の方々に挨拶をしたのだが、そこの老公爵様は驚いた風に私を見ていたので、自分の挨拶の仕方が間違っていたのだろうかと一瞬不安になったが、王子はなにも問題なかったと言っていた。
本当に? 間違ったらその時に言ってくれないと直せるものも直せないんだよ?
そこからいろんな場所へ視察に連れていかれた。
鉱山から、農作地方、病院、孤児院など公爵家が関わる色んな場所へ。数日に分けて、毎日違う場所へ案内され、口頭で分かりやすく説明してくれた。
もうすでに王子が手がけている事業もこの中に含まれているらしく、彼は慣れた様子でキビキビ働き、色んな人に指示を送っていた。人を従える立場の人だ。ただ用意された椅子に座ってふんぞり返っているわけじゃなく、責務をきちんと果たしている。与えられた権利もその分大きいから、責任も重大だろうに堂々としていて、すごくかっこよかった。
王子の違った一面を間近で見た私の中で、彼の印象が大きく変わった。
真面目な横顔も、考え込む姿もすべてはじめて見た顔で。素敵な男性に見えてどきどきした。
「ここからは私が継承する予定の領地が一望できる」
息抜きにと言われて、ちょっとした高台に連れて来られたと思えば、滞在期間に回った公爵領を一望できる場所に降り立った。
──広い。どこまでもありそうな広大な領地だ。ここを彼が統治するんだ。領主になる人の側で領地の運営方法などを学んだ私は少し意識が変わったような気がする。市井にいたままだったらきっとわからなかったことばかり。
外から見たら贅沢ばかりしている印象だった王侯貴族だが、彼らは重い責任を背負っているんだ。領主というのは領民の生活を抱えているのだと今回重く受け止めた。男爵家の伯父様たちの姿を見ていたはずなのに、私は全然わかっていなかったんだなって思った。
──彼は、生まれも育ちもまったく違う、占いで決められた花嫁候補である私を本気で伴侶にしようと考えているのだろうか。
「あの、連れて来たのが私だけでいいんですか? 候補は他にもいるかと思うんですけど」
それとも、後日にでも別々に連れて来るのかな?
ずっと気になっていたことを王子に確認すると、王子は渋い顔をした。
また気分を害してしまっただろうかとビクビクしていると、彼は自嘲するように言った。
「……彼女たちは条件に全て当てはまらないのに無理やりねじ込んできた偽りの候補者だ。それこそただ公爵夫人になりたいだけだろう。相手は私じゃなくてもいいんだ」
つまり、花嫁候補のお嬢様方は身分の高い地位におさまりたいから、無理矢理花嫁候補になっただけと言うこと?
その口ぶりだと、王子は他の候補者を花嫁候補とは認めていないということだろうか。
「誰も彼も権力を欲しがっているんだ。目立たなかった私が力を付けはじめた途端これだ」
彼も立場的に権力争いに嫌でも巻き込まれてしまっているのだろうか。
……そういえば少年期まで体が弱かったステファン殿下は、王位継承権は第3位なのもあって他の貴族らに見向きもされなかったらしいもんな。それなのに今更、って思っちゃうのは仕方ないのかも。
ヒュオッと風が吹いて、前髪を乱した。
ストールを巻き付けてきたが、山の上は気温が低い上に風も強いのでそれだけじゃ防寒にはならなかったみたいだ。
「風が冷たいな。そろそろ戻ろうか」
寒さに震えているのを察したのか、王子が私の背中に腕を回した。すみませんね、気を使わせて。もっと厚着して来ればよかった。
彼の指示に従って馬車が停まっている場所に引き返そうとしたら、私は舗装が剥がれている場所に足を引っ掛けて前につんのめった。
「あっ!」
前に手を伸ばして地面への衝撃を和らげようとしたが、私の身体は力強い腕に抱き止められて転倒せずに済んだ。
私を抱き支えたのは言わずもがな、隣にいた王子である。彼は私を腕に抱えたまま、地面を見下ろして「舗装が劣化してるのか。ここも大規模な補修工事が必要だな」とブツブツつぶやいていた。
王子の顔を至近距離から見上げた私はドキドキしていた。私のことを睨んでなければ、怖くないし本当に素敵な人なのになぁ。
美しい瞳だ。私みたいな凡庸な赤茶色と違って、美しい宝石として表現されて愛でられる翡翠色の瞳。睨まれていなければその瞳を直視できるのになぁ。
私の凝視がしつこかったからか、王子の視線がこちらに向いた。
ぱっちり合う視線に私は緊張で身を硬くした。
見つめているのがバレた!
「す、すみません!」
慌てて王子の腕の中から飛び出して離れると、彼に背を向けて呼吸を整えた。どくどくと大きく鼓動する胸。私は胸元に手をやって深呼吸をする。
背後から王子がこっちを見ている気がする。背中に視線が突き刺さっているような……不躾に見てすみません。睨まないでください。不敬罪でしょっ引かないでください。
色んな意味でドキドキしていた私は頭に違和感を覚えた。
なんだろう、髪の毛を引っ張られているような……ちらりと後ろを見ると、背後に迫っていた王子が私の髪を触っていた。
えっ、なに……
「崩れてしまったな。髪が」
いつもは睨む彼の瞳が何となくちょっと優しいような?
だけどその瞳の奥の火傷しそうな熱は変わらず。
痛くないように優しく髪を指で梳かれて、胸がぎゅうと苦しくなった。
王子の瞳を見ていると、魅入られてしまって身体の自由を奪われるみたいだ。落ち着くどころか暴れはじめた心臓が苦しくて、悲しくもないのになんだか泣きたくなってしまった。
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