第44話

「……私はあの日、ヘレナ様の授業のために確かに王城に伺いました。ですが、王城に着いてすぐ、兵士たちに言われたのです。解雇されたと。ヘレナ様がそうお望みであると」


「そんな!」


「勿論、ヘレナ様はそんなことをなさらないと私はわかっておりました。もしそれをお望みであったとしても、せめてご挨拶だけでもと願い出ましたが許されませんでした」


 先生によると、食い下がっても兵士たちは学者であろうと『身分的には庶民』である先生が王城に来ることが許されたのは、あくまで姫の教育者としてであって、解雇されたのであればその場にいることすら許されないと言われてしまったのだとか。


 言い方はとても柔らかくされていたけれど、強く恫喝された上に武器を向けられたようだった。


「なんてこと……」


「その後、お手紙を送らせていただきましたが……その様子では、やはり?」


「届いて、いないわ……」


 私のところには、何一つ来なかった。

 解雇したのだという事実も、何も。


 ただ一度だけユルヨからの、私の未来を嘲笑うあの手紙以外。


「私は他の教師たちにも連絡を取ってみました。彼らもまた、突然解雇の通告をされた上に他の家庭教師もできなくなっていました」


「えっ!」


「研究を生業とする学者ではありますが、それだけで食っていくのは大変です。そのために我々学者は家庭教師などをすることはよくある話でした。そして雇用主から嫌われると首を切られることも、よくある話なのでそこについては仕方のないことだと思っております」


「そんな……」


「ですが、今回ばかりはおかしかった。学者としての経歴もまだ当時そこまでなかった私が王族の教育者になれたことも不思議でしたが、ヘレナ様の悪い噂も、そして周囲からの扱いも、何もかもがおかしいと……私には共に暮らす弟がいたのですが、彼と首を捻ったものです」


 結局平民だったから姫の教育者として不適格だと、周囲がそう判断したのだろうか。

 そう先生は思って諦めつつも、私に手紙を出し続けてくれたそうだ。


 だが返事が来ることもなければ、何故だか他の家庭教師の話まで失う始末。

 これは一体どうしたことかと目を丸くしていると、ある日買い物途中で修道女に呼び止められたという。


「……その方の名を明かすことはできません。すでに神の道にお入りになっていますから」


「ええ……」


 その修道女は、かつて貴族家の令嬢だったそうだ。

 そして、その方の姉君がユルヨの被害者だったのだと……。


「おそらく、私たちの解雇には多くの貴族たちが関わっているだろうと教えてくださいました。学者としての道を歩みたいのであれば、何も知らない振りをしてやり過ごすようにと。……関わった貴族たちが、保身のために私たちと関わらないようにしているのだと」


 モゴネル先生だけでなく、平民出身の学者であった教師たちは私にいろいろなことを教えてくださった。

 他愛ない話、地方での人々の暮らし。

 どんな野草が食べられて、行軍に役立つ知識は生き延びるのに役に立つとか……。


 私のせいで、彼らは苦労したのだろうか。

 家庭教師に望んでなったわけでもないのに、私と接することになったから?

 

 それを思うと、胸が苦しい。


「当時、貴族たちはユルヨに従うものが多かったのだそうです。その方も、姉君の醜聞をばらまかれたくなければヘレナ様を遠ざけるよう言われ、家族は従うしかなかったと。姉君を守りたいがために、その方も苦渋の選択を迫られ……そして、過ちを犯したのです」


「……」


「けれど、姉君は家族が自分を醜聞から守るために苦しむことになった姿を見て、世を儚んだそうです。それを見てご両親は爵位を返上し、隠居生活を。そして妹さんは修道女になったのだそうです」


「……そんな……」


「下位貴族の姫君ともなれば、醜聞は命取りでしょう。高位貴族の方々とはまた違い、敵の多さよりも虐げられる側なのかもしれません」


「……」


 高位貴族の令嬢であれば、足を引っ張りたい他家の方々を警戒しなければならない。

 下位貴族の令嬢であれば、それを理由に弄ばれないように気をつけなければならない。


 いずれにしても、年頃の令嬢が辱めを受けたなどという事実に耐えられるかと問われたら、とてもではないが無理な話だ。


「卑劣な男だが、効果をよく知っている」


「……常習的なのでしょう。早く捕まえるべきですね」


 アレン様が憎々しげに、そしてイザヤもそれに同意した。

 先生は私たちを見て、頷いて……言葉を続けた。


「あの方を、他の方々を許してやってほしいなどと申し上げるつもりはありません。私も、何もできずに傍観に徹し、今の今までヘレナ様に会いに来ることもいたしませんでしたから」


「先生」


「お祝いを申し上げられて本当に良かった。……私にあがなうことが許されるのであれば、なんなりと」


 立ち上がり床に跪いた先生は、深く深く私に頭を下げる。

 それを見た私は、咄嗟に同じように膝をついて先生の手を取っていた。


「先生、もしも許していただけるのであれば、私にまたん語学を教えていただきたいのです。私はまた学びたい。先生に教えていただきたいのです……」


 そうだ、知識は私の力になってくれるに違いない。

 私の望みを口にしても許してくれるし、窘めてくれる人たちがいてくれる。


 そして学ぶならば――私は、先生にお願いしたいと思うのだ。

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