幕間 アレンデールは憤る
辛い思い出を思い返したせいなのか、ハラハラと涙をこぼしていたヘレナ。
泣きつかれたのか眠ってしまったその目元は、少し赤く腫れている。
俺は彼女の話を耳にして、腸が煮えくりかえるなんて言葉じゃ足りない怒りを覚えた。
(ユルヨと言ったか)
その教師も探しだそう。
教師なんて役職を与えてはいけない。
人畜無害そうに見えて人を害するバケモノはそこらにいると俺も知っている。
だがその魔手が、俺の知らない幼かったヘレナに向けられていたという事実が苦しくて仕方ない。
パトレイアの王家も、くだらない因習だか言い伝えだかを重視した連中も、自分の出世欲だけのための奴らも。
みんなみんな、そいつらのせいで【悪辣姫】なんて幻が生まれて、それをヘレナが押し付けられたのかと思うとたまらなく、憎いとすら思った。
(どうして)
俺も望まれた子供じゃなかった。
だけど、俺が悪かったのか? 違うだろう。
ヘレナだって、そうじゃないはずだ。
俺たちの何が悪いというのか。
ただ、普通に……大切にされたいと願って、それが叶ったのが俺で、叶わなかったのがヘレナだ。
(ヘレナ)
初めて見た時から無機質なほどの瞳。
あれは彼女が誰からも傷つけられないために、全てを諦めた結果だった。
そのきっかけは確実に王家からの、周囲の『人がたくさんいるのだから誰かが構うだろう』という他力本願な考えの責任だ。
そしてそれをいいように利用したのが、ユルヨだっただけだ。
もしもヘレナが真っ当に愛されて育った姫だったら、ユルヨという男はそんな真似はしなかったはずだ。
少なくとも彼女の言葉の中には、第三王女も同じようにユルヨの授業を受けていたというが彼女は被害に遭っていなかったのではなかろうか。
(ああでも、気づいていたのかもしれない。おかしいってことには)
それでも妹を助けるために声を出さなかったその王女も、俺からしたら同罪だ。
誰も彼もがヘレナの敵だ。
もう二度と、誰にもコイツを傷つけるような真似をさせてなるものか!
「……すぐ戻るよ」
ベッドで眠るヘレナに小さく声をかけて、俺は部屋を出る。
隣の俺の執務室でベルを鳴らせば、すぐにイザヤがやってきて俺の顔を見るなりギョッとした。
「ど、どうしたんだよ」
「……何がだ」
「いや……」
イザヤは言い淀みながら「それで?」と俺に問うた。
俺はただ淡々と、ヘレナを追い詰めたユルヨという男の話をしてそいつを探せとだけ告げた。
「パトレイア王国にもやつらの罪を突きつける。だがユルヨを殺すのは俺だ」
「……奥方様はそれを望まないとしても?」
「ヘレナには聞かせなくていい。俺が個人的に腹を立て、処断したい。どこにも引き渡してやるものか」
ヘレナは俺を信じてくれた。
俺は学なんてものは後から詰め込んだだけの愚か者だが、人間としての心は失っていないと自負している。
たとえ敵と対峙した際に、情け容赦なくぶった切ることに慣れていたとしてもだ。
その相手に家族がいるかもしれない、待っている恋人がいるかもしれない。
だがそれは俺も同じだから。
恨みっこなしだなんて綺麗事は言わない。
俺は誰かを切り捨てて今ここにいる。
守りたい者を守るために。
だから俺は、ヘレナを傷つけた者を許さない。
ヘレナの敵は、俺の敵だ。
「ヘレナはモレルの人間だ。パトレイア王国も、このディノス王国の人間にだって傷つけることは俺が許さない」
「……アレン」
「アイツが何をした。何もしなかった? 何もさせなかったくせに!」
俺はじいちゃんがいた。
じいちゃんは俺の生きていきやすいように、やりたいことをやらせてくれた。
もちろん、やりたいくない礼儀作法や勉強なんかもあったけど……それはこれからの俺が少しでも有利に生きていけるようにという配慮だった。
だが、ヘレナはどうだ。
王女として生まれたのはヘレナの責任か? 違うだろう。
衣食住に満ち足りていた? そんなのただ与えていただけだ。
俺は、ヘレナにとって夫だ。
じいちゃんみたいに上手くはやれないだろう。
だけど、俺がヘレナの夫だ。
「ヘレナはアレンデール・モレルのただ一人の大事な妻だ。妻を守れない情けない夫にしてくれるな、イザヤ」
俺の宣言に、ハッとした様子でイザヤが深々と頭を下げる。
兄弟のように育った彼は、俺の気持ちを理解してくれたのだろう。
顔を上げた時には、
「承知いたしました」
「……後は頼む。俺はヘレナの傍にいる」
もう、余計なことは言わなくていいだろう。
俺はそれだけ言うと寝室へと戻るのだった。
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