第30話

 パーティー会場を抜けると、私はホッと息を吐き出した。

 といってもまだ王城の中だから、気を抜いてはいけないのだろうけれど……。


「大丈夫か? ヘレナ」


「はい、申し訳ありません旦那様」


「アレン、だ」


「……はい、アレン様」


「少しずつでいい。慣れていってくれ」


「はい」


 誰かに名前を呼ばれ、呼び返す。

 当たり前のことなのに、この人が私の〝家族〟なのだと思うととても不思議な気持ちだ。


 控え室に戻るとアンナとイザヤがパッとこちらを向いた。

 とても心配していたのだろうなと、すぐにわかった。


「アレン様! 奥様! 良かった、無事にお戻りで……!!」


「戦地に行ったんじゃないんだぞ」


 イザヤの言葉にアレン様が苦笑しながら答え、すぐに帰ると告げるとアンナが部屋を出て行った。

 どこか嬉しそうだったから、彼女たちも王城ここがあまり好きではないのかもしれない。


 私も、ここがパトレイア王国ではないとわかっていても王城というだけで少し息苦しいと思うから……早く帰れるのであれば、そうしたい。

 こんなことではいけないと、わかっているのだけれど。


「第三王子はどうでした?」


「相変わらずだった。それよりイザヤ喜べ、帝国の皇子と親しくなった。薬草についての件もあちらが乗り気になってくれたからな、後日連絡がくるだろう」


「本当ですか!」


「ああ、ヘレナが見事な帝国語を話してくれたおかげだ」


「それはすごい……!!」


「ああ、本当にヘレナはすごい」


 褒められることに慣れていない私は、旦那様の……アレン様の言葉になんと答えていいかわからず、思わず俯いてしまった。


(……勉強して、良かった)


 教師たちの中には位が低いからと悪辣姫わたしの教育係を押し付けられてしまった可哀想な人たちがいたけれど、彼らは身分問わずとても賢かった。

 私に語学を教えてくれたのもそういったうちの一人で、彼女は『たくさんの言語を知るということは、多くの世界を知る足がかりが出来るということです』と私によく言っていた。


 彼女の教える内容が好きだったけれど、そのうち私には教育係がつかなくなって……彼女は一体今、どうしているのだろう。


 あの時言えなかったお礼を、伝えたいと今すごく思った。

 あなたのおかげで、私は大切な人の役に立つことができたのだと……。


(……探したいと言ったら、アレン様はどう仰るのかしら)


 パトレイア王国にいた頃と違って、私が何かを求めてもいいというならば。

 ああでも、そんなことを言ってはまた『我儘だ』と言われてしまうのだろうか。


 アレンデール様はそんなことを仰らない。

 そうわかっていても、私はまだ上手く言葉が紡げない。


「ヘレナ? どうした?」


「あ……」


「今日はよく頑張ってくれた。何かお礼をしたいんだが……欲しいものはあるか?」


「そんな、ほしい、もの……なん、て」


「あるんだな? なんでも言ってくれ。叶えられるかどうかはわからないが、聞いてから努力はするから」


「そうですよ奥方様! 奥方様のおかげで大勢の領民が救われるのです。日頃から奥様は控えめなのですから、ここいらで旦那様を困らせてやってください」


「イザヤ、てめえ……!」


 私が言葉を呑み込んでしまっても、アレン様は気づいてくれた。

 イザヤにも背中を押されるような形で、私は心の中の言葉を、口にしても良いのだと……胸元で手を握りしめる。


「アレン様、私……お願いがございます」


「なんだ?」


 私の言葉に、アレン様が優しく笑ってくださった。

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