幕間 ディノスの王妃は見定める

(……これは、判断を誤ったかもしれないわね)


 ディノス国の王妃はそっと誰にも気づかれないように扇の下でため息を零した。

 目の前にはパトレイア王夫妻、そしてその娘で【悪辣姫】と悪名高い娘のヘレナ。


 パトレイア王国とディノス王国は、決して悪感情で常に戦争をしているような間柄ではない。

 ただ、今回問題となった場所は川が増水し、形を変えてしまったことでかなり前からどちらの領土であるかはっきりしない部分ができてしまったことに起因する。

 その増水により出てきた資源こそが両国の求めるものであるが――それはまあ、さておき。


 ゆえに互いに譲れない話であり、時にぶつかり合うことも多く、両国共に頭の痛い話ではあったのだ。

 今回はパトレイア王国側で失態を犯した者がいてくれたおかげでディノス国にとって優位に事が運んだが、いつ逆転してもおかしくない問題である。


(この件についてはいずれ、きっちりと詰めないといけないわね。できればわたくしたちの世代でなんとかしたいものだわ)


 数世代間に渡り未だに解決できない問題の一つではあるが、だからといって先延ばしにし続けても良い問題ではないとディノス王妃は考えている。

 賢妃と名高い彼女は今回の婚姻もこれ幸いと領地の線引きをしっかりとさせるつもりで、このパーティーにおける両国の位置づけを諸外国に知らしめるつもりであったのだ。


 もとより、パトレイア王はそのことについて理解しているのだろう。

 調停式だけでなく、今このパーティーで和平を謳う際にも厳しい面差しを隠せずにいたのだから。


 だがディノス王妃にとって困ったのはパトレイア王国からきたヘレナ王女の扱いだった。

 この国では王子が三人いるが、三人目がちょうど未婚であり、適齢でもあったことから難しく考える必要もなかった。

 たとえ噂通りの【悪辣姫】であったとしても、あくまで人質として受け入れるような婚姻でしかない。

 噂が誠であれば幽閉か、あるいは教育と称して結婚そのものを遅らせてしまうことだってできるのだから。

 要するに、この婚姻が『両国にとって』和平の証であるとだけ示せればそれで良いのだ。


 ところが、三番目の王子がこれに断固拒否の意思を示したのである。


『王族としての義務は理解している。だからこそ悪い噂を立てられるような姫を迎え入れるのはどうか』


 そういった綺麗事・・・を並べ立てて拒絶する息子を説得しようと王妃が頭を悩ませている間に、息子は国王に掛け合ってなんと勝手に結婚相手をモレル辺境伯アレンデールにしたというのだ。


 これにはディノス王妃も呆れた。

 だが夫である国王に、臣下に、それも今回の問題があった土地の領主に嫁がせることでパトレイア王国との関係をはっきりと示したのだと言われれば黙るしかなかった。


 実際、彼女からしてみても三男坊はいずれはある程度の爵位と領地を与えて臣下となる気楽さから王子としての自覚も薄く、また末弟ということもあってやや甘やかされて育った部分もあるため我慢も得意ではない。

 それならば何かあった際にすぐにパトレイア王国に王女を送り返せるモレル領に嫁ぐ方が良いだろうかと王妃も考えたのである。


(……言い方は悪いけれど、パトレイア王は凡庸な王でしかない。その妻は凡庸よりも更に劣る)


 パトレイア王国は平和だ。

 だからこそ、英雄よりも凡庸な王が治めるに良いのだろう。

 有事の際は有能な者が補佐すれば良いのだから。


 だがその王を補佐する役目の王妃は、男児を産むことを重視して選ばれた女性にすぎないとディノス王妃は考える。

 健康で、真面目であることは間違いない。

 だが、それだけだ。


(王妃としての資質は今一つ。国の有事には役立たない)


 その両親から生まれた王女たちも、決して賢いとは言えないとディノス王妃は見ている。

 これまで外交で何度か顔を合わせたことはある。

 知識は十分だが、それだけにしかすぎない王女だった。


(これは、予想外だったわね)


 ディノス王妃はため息を零す。


 パトレイア国王夫妻と挨拶を交わす、二人の娘であり元王女ヘレナとのそのやりとりを見て。

 この国に来た時の彼女は、随分と似合わないドレスに化粧を施されやってきたものだったが……今はどうだろうか。

 さなぎから羽化した蝶のように、あるいは蕾から鮮やかな色を綻ばせた花のように。


(あれが本来の姿なら、惜しいことをしたわ)


 落ち着きある態度に受け答え。

 そこには知性と、自分の立ち位置を理解し周囲に対して配慮できるだけの機微が伺える。

 まだまだ拙いのは、社交に不慣れなせいだろう。

 自信のなさから来る俯きがちな視線はいただけないが、庇護欲をそそられるのも確かだ。


 第三王子に足りないものを、教育次第ではあるがあの娘ならば補えたかもしれない。

 そう思うとやはり失敗したかとため息を零さずにはいられないのだ。


 見た目だって噂とはまるで違う。

 きちんと自分に似合うものを知っているか、あるいはきちんと周囲の助言を受け入れられるからこそヘレナという娘の美しさを引き出せていることは誰の目にも明白だ。

 それだというのに母親であるはずのパトレイア王国の王妃はいうに事欠いてあのドレスを『地味』だと評し、もっと華美なものを彼女は好むはずだとそう大声で言ったのだ。


「パトレイア王国は早めに次世代に託していただいた方がよろしいかもしれませんわね」


 ドレスの生地、その価値も見抜けない王妃では先が思いやられる。

 自国で大切に大切に、それこそ深層の姫君もかくやと噂されているパトレイア王国の王太子がどの程度の人間かはわからない。

 だが、あそこにいるヘレナの双子というならば、期待をしても良いかもしれないとそうディノス王妃は思うのだった。        

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