第27話 ババ抜き

「財布を盗んだのは、さっき騒いでたあの人だよ」


 万願寺は静かにそう言いきった。


「あいつが……?」


――証拠は? そう言いかけてやめる。


 そんなものがあったなら、彼女は既に、先生に告げているはずだし、なにより、さっきの質問もしなかっただろうから。


「確信はあるのか?」


 だから、万願寺の考えを問うことにした。


「さっき京ヶ峰さんが「犯人じゃないの?」って聞いたとき、あの人「証拠はあるのか?」って返したでしょ?」

「そうだったか……?」


 そこまで注意深く聞いてなかったな。 


「うん。普通ならさ、犯人扱いされたことに怒っていいと思うんだよね。でもさ、あの人は――それよりも、証拠があるのかを聞いた」

「別に……おかしくはないだろ。というか、あいつ元から怒ってたし、犯人扱いされて怒ってもいただろ?」


 そう言ったら、万願寺は首を横に振った。


「ううん。あの人は全然怒ってなかったよ。京ヶ峰さんから犯人扱いされたときも、怒ったフリをしてただけ」


 確信に満ちた表情で笑う万願寺に、思わず言葉を失ってしまう。

 

「それにさ、犯人がクラス内にいるかもしれないからって、わざわざ体育館の入口で騒いだりするかな?」

「そう言われてみれば確かに……」

「あの人は、わざと目立つところで騒いでたんだよ」

「演技ってことか?」

「うん。だって……全然、怖くなかったから。怒ってる人はもっと雰囲気が鋭い」


 万願寺の言ってることが、俺にはまるで理解できない。


「それにさ、前回も財布盗んだのあの人だったから、間違いないと思う」


 ……前回とは、百江が言っていた事件のことだろう。


 そのとき万願寺は犯人を見てないと言ったはず。


 どうやら、百江が言っていた通りらしい。


 万願寺は、犯人を見たにも関わらず、そいつを庇ったのだろう。


「前回は、犯行現場を見たんだな?」

「ううん。見てないよ?」


 しかし、俺が予想した答えとは違う返答が返ってきた。


「見てない? 見てないのに、あいつが犯人だってわかったのか……?」


 わけが分からず混乱する俺に、万願寺はしばらく無言だったが、やがて口を開いた。



「最円くんはさ、ババ抜きってやったことある?」



「……ババ抜き?」


 突然なにを言いだしたのかと思った。

 

 話の脈略がなさすぎて戸惑ったものの、彼女の表情を見る限り頭がおかしくなったわけではなさそう。


「もちろんあるが」


 ババ抜きとは、同じ数字の二枚(ペア)を手札から捨てていき、ペアのないジョーカーを最後に持っていた者が負けのトランプを用いたゲームのこと。


「うちさ、小さい頃ババ抜きが得意だったんだ。誰がジョーカーを持ってるのかすぐにわかるの。もちろん、手札のどこにあるかまではわからないけどね?」


「それは……凄いな」


 誰がジョーカーを持っているかが分かるのは、ババ抜きにおけるアドバンテージになるだろう。なぜなら、ジョーカーを引かないよう警戒ができるからだ。


 ただ、いくら警戒をしたところで引いてしまうときは引くもの。あれ? そう考えたら、アドバンテージでもなくね?


「でもさ、うちだけジョーカーの位置がわかるのってフェアじゃなくない? どうせなら、みんな平等でゲームできたほうがいいよね?」


 それはそうかもしれない。誰がジョーカーを持ってるのか分かっても、手札の位置さえバレなきゃ引かせることはできるしな。あれ、やっぱアドバンテージにはならないのか。


「だからその時うちはさ、みんなに「この人が今ジョーカー持ってるよ」って教えてあげたの」

「いや、それは……」


 さすがにやり過ぎだ。そんなの、ジョーカーを持ってる人からしたら、たまったもんじゃない。


「ほんとバカだよね。うちはフェアにしたくてやってたんだけど、そんなこと誰も望んでなかったんだ」


 万願寺は諦めたように笑う。笑うしかないのだろう。


「そしたらさ、もう誰もババ抜きに誘ってくれなくなっちゃった。それに、ババ抜きだけじゃなくて遊びに誘われることもなくなっちゃった」


 声音は冗談っぽく軽かったが、俺は笑うことができない。


「その時わかっちゃったんだ。誰かが嘘をついていても、隠し事をしていても、暴いちゃいけない嘘があるんだって」

「だから……前回は言わなかったのか?」

「うちは犯行現場を見たわけでもないし、付近で犯人らしき人を見たわけでもなかったから。ただ、その後で、あぁ、この人が盗んだんだなぁって思っただけ」

「見たわけじゃなかったのか……」

「見てたらさすがに言うよ。というか、そのとき止めてた」

「そう、だよな」

「でもさ、うちが「犯人だ」って言っても、たぶん誰も信じない。証拠がないから。もしかしたら信じてくれるかもしれないけど、罰するまでには至らない」


 そう言った表情には諦めの色。


「うちは、誰かが嘘をついてたり隠し事してたりするとわかっちゃうんだよ。でも、その嘘や隠し事が何なのかまではわからない。もしかしたら悪意のあるものかもしれないし、善意でやってることかもしれない。それでも……うちの目に彼らは『後ろめたいことをしている人』にしか映らない」


 その諦めはやがて、絶望へと変わっていく。


「うちが宗教勧誘を演じて追放されることを選んだのは、あの人たちと一緒にいたくなかっただけ。だって、みんな簡単に嘘を吐くから」


 夕日が地平線の消えていくように、彼女の目にも光が消えていた。


「うちの話はこれで終わり。さっきも言ったように犯人はあの人だよ。でも、証拠がないから意味ないし、これ以上関わっても無駄なだけ」

「犯人のくせにあんな騒ぎ方してたのか。……ヤバいな、あいつ」


 そんな嫌悪感を吐露したら、万願寺は首を横にふった。

 

「別に普通じゃないかな? そうやって正義ぶれば、簡単に犯人像からは外れられる。状況は違うけど、みんな当たり前にやってることだよ」

「当たり前って……」


 その言葉を聞き、俺はようやく万願寺が置かれている事態の重さを把握した。


 彼女は……これまで、一体どれほどの嘘を見抜いてきたのだろうか。それはまったく想像がつかなかったが、それを「当たり前」と言えてしまうほど彼女にとっては日常茶飯事だったということだろう。


「一番可哀想なのはさ、被害にあった人だよね。それと、どうせ意味ないって諦めてるうちも悪いし」

「別に、お前は悪くないだろ」

「そうかな? うちは悪いと思うけど」

「お前が悪いのなら、いま話を聞いて傍観するしかない俺だって悪い」


 それは慰めの言葉だったのだが、万願寺は「大丈夫だよ」と言った。


「最円くんはうちを信じてないはず。だって、うちの話には証拠がないんだから。信じてもいないのに、罪悪感を覚えるのなんて無理があるくない?」

「それは……」


 万願寺には見透かされていた。


 彼女の言う通りだった。説得できる証拠がなければ、証明するものがなければ……それはただの妄言でしかない。俺でなくても、証拠も証明もできないことを信じるほど人は愚かじゃない。

 

 それでも――。


「いや、俺はお前を信じるよ。だから、何もできないことに罪悪感を覚える」

  

 万願寺の視線が射抜くように見つめてきた。だが、これは嘘じゃない。


「俺はお前を信じる。だが、それは万願寺を信じてるからじゃない。そうすることが正しいと俺自身が信じているからだ」


 彼女は何も答えなかった。ただ、その瞳がおおきく見開かれたのだけはわかった。


「それに、俺は罪悪感なんて覚えたくもないから、あいつを警察に付き出してやる」

「でも、そんなことしたって証拠なんてない」  


 そう言った彼女に、俺は笑ってやった。


「そんなの本人に直接聞けばいいんだろ? 自白させるんだ」

「……自白なんてするわけないじゃん」

「まあ、だろうな? だから、鼻から決めつけてしまえばいい」

「決めつける?」 


 それに俺は、なおも笑いながら頷いた。


「さっきの話だが、そもそもなんで万願寺はババ抜きに誘われなくなったと思う?」

「ゲームをつまらなくしたから?」

 

 それに俺は自信満々に「違う」と答えた。


「お前が決めつけたジョーカーの居場所が、すべて合っていたからだ。つまり、お前が決めつけたことは100%正しかったってことなんだよ」


 得意げに教えてやったら、万願寺は口を開けたまま固まった。


「お前の話を信じるか信じないかは、万願寺が決めることじゃない。俺が決めることだ」


 きっと、彼女はいろんなことが誰よりもはやく視えていたから、誰よりもはやく諦めてしまっただけだ。


 だが、それはあまりに早計すぎる。


「確かめるんだよ。本当にあいつが『ジョーカー』を持ってるのかどうかをな? それは、これからでも遅くない」

「もし、持ってなかったら……?」


 そう言って不安げな声をだす万願寺に、俺は悪い笑みを浮かべてみせた。


「俺も仲間はずれにされるだけだ」

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