それからまあ、トイレ行ったり起きたり朝食をでたらめに漁って食ったり、いろいろあって、ユウナのマンションを出たのは八時過ぎだった。

 光花市南区、南西部にある街。華沙良町から港湾町、新天地、元島町に至る一帯は、昔から素土の街と呼ばれている。

 住所には載らない地名。ぼくらの暮らす街。

 例えばぼくらが毎日のように集まる湾岸第三公園の住所は『光花市南区新天地四丁目2-1』といって、そのどこにも『素土』なんて文字は出てきやしない。

 大昔、戦前のこと、まだこの町が光花市に併合される前までは、実際に素土町という町があったんだそうだ。住所でも『素土町5298-3』とか言って、馬鹿みたいな大きな数字の番地で現わされていたのだとか。

 もっとも、新天地は戦後になってから湾の埋め立てによって出来た新しい土地だし、基島町にしてもその名の通り、今は埋め立てられ地続きになっているとはいえ、元々は光花湾に浮かぶ小島だったわけで、ひっくるめて素土の街とするのは少しおかしいような気もする。大雑把というか、大らかというか。細かいことを気にしても仕方がない、ということなのだろう。

 名前といえば港湾町はちょっと変なことになっていて、いかにも港がありそうな名前の町で、確かに戦前はその通り港の町だったらしいのだが、埋め立てによって内地へと追いやられ、海と接している場所などなくなっていたりする。今現在の港は、新天地にある。もっとも新天地町は、湾にあった小島の三つか四つぐらいを飲み込んで、いまだに広がり続けていたりするので、港しかないというわけではないのだけれども。

 ともあれ、素土という名前の地名は今現在この時代、存在していない。

 駅名とバス停にその名残りを残している他は、後は地図の上に薄いゴシックで書かれていたり、光花市を横断するバイパスのインターチェンジに残っていたり、街外れの食堂の看板に掲げられてたり、商店街の名前だったり、公園の名前だったり、図書館の名前だったり、学校の名前だったり、旅館の名前だったりするだけで、あれ? なんだ、けっこう残ってるじゃないか。

 とにかくまぁ。

 そんな様々な地名の不思議を醸し出しながら、ぼくらの街、素土はあった。

 マンションを出て向かうはいつもの新天地湾岸第三公園。さすがに昨日、放置して逃げた公園のことが気になったからだ。

 新天地湾岸第三公園は住宅地の外れ、かつての島の名残、小高い丘の麓にある。こういった若者が集まる公園ってのは地域住民とのトラブルの元となるものだが、ここではぼくらのチームが作ったルールが上手く機能していて、目立ったトラブルもなく、住民たちとは比較的良好な関係を築いていた。特に何チームかの当番制になっている町内清掃の評判は良く、時折差し入れなんかも貰うほど、異例ともいえる友好な交流が続いていた。

 けれども、昨日は少しまずかったと思う。

 公園にまさか、あれほどの人数が集まり、お祭り騒ぎになるとは思わなかった。近所の人たちにとってはいい迷惑だったろう。もちろん、花見の事前連絡もしていなかったし。

 下手な対応をすれば、これまで築き上げてきた信頼関係を一気に崩しかねなかった。

 ユウナとチコは散らかしたユウナ宅の片付けに残って、ぼくは、ハクとシュンの三人で公園の様子を見に行くことにした。

 ユウナのマンションは北側の港湾町にあるので、新天地町の外れの公園まではかなりの距離がある。ぼくらは春の風を涼みながらのんびりと歩いていた。


「まあ、惨状が想像ついて、なんかヤだけどね」


 公園の現在の情景を、なんとなく想像してしまう。すると、ハクはしかめっ面で応じた。


「そうだな。散乱する空き缶。放置された袋類。タバコの吸殻。乱闘に使われたバットを初めとする武器類。ナイフ。棍棒。鎖。そこら中に吐き散らされたゲロ。使い捨てられたコンドーム。ふむ……桜の木の枝が折られてなければ恩の字だな」

「……やめろよ」


 ハクの想像はリアルすぎた。


「いざとなったら、来てた連中を捕まえて掃除させればいいさ」


 事も無げにハクは言う。

 ……まあ、そんなところだろうと、ぼくも思う。

 光花市南区の華沙良町、港湾町、新天地、基島町の一帯――通称『素土の街』に住む異端の子供〈ロドレン〉たちは、現在【クレスト】と言うチームの下に統合されている。ハクは【クレスト】の現リーダー・フジヤと二年前まで同じチームにいた。今もハクはフジヤとは個人的な交流があり、そのため、わずか五人のチームの一員という、現在のハクの立場からは想像もつかないほど強大な影響力を持っている。昨日の花見大会の一件はハクの力の一端でしかない。挨拶に来た連中を集めて、掃除させる程度のことならば余裕で出来るだろう。

 ぼくはこっそりとハクの横顔をうかがった。

 特にパッとした所のない、印象の薄い顔。どちらかと言えば整っている部類に入るだろうか? 真面目にしてればそれなりに見えるのだけれども、普段いつも本気か冗談かわからない口調と表情でいい加減な薀蓄をかましてる姿からはとてもではないけれど、一説によると一万とも言われる素土の街中の青少年たち――ロドレンに影響力のある人間とは、とてもではないが思えない。

 一年ほど前に知り合って、成り行きでずっとつるんでいるのだけれども、ぼくはいまだにハクの性格をつかめた気がしない。

 ま、それはユウナだろうと、チコだろうと、幼稚園の頃からの付き合いがあるシュンだろうと、似たようなものだけれども。

 ちらりと後に視線を向ける。

 並んで歩くぼくとハクの後を、三メートルほどの距離を保ってシュンがずっとついてきている。

 シュンは決して喋れないわけじゃない。幼い頃はもう少しいろいろと喋っていたような記憶もあるけれども、年々口数が減っていく。今では、失語症のように、言葉が必要な時ですら、滅多に喋らない。かと思えば何の意味もないところで、唐突に喋ったりする。

 話をしないから、どうしてシュンがずっとぼくに付いてきているのか判らない。幼いころから、ぼくがどこへ行こうと、シュンは黙ってついてきた。それは、ぼくが地元を離れてここ、素土の街にやってきても、同じことだった。もうぼく自身、それに慣れてしまって、当然のような気になっているが、客観的に考えて見るとこれは、かなり異常なことなのかもしれない。実感はないけど。四人の仲間はみんなそれぞれ複雑な性格をしているけれども、シュンが一番理解不能かもしれない。まだしも理解できるのは、チョコ入り饅頭フリークという、邪道な好みだけだ。

 付き合いは一番長いけれども一番理解できていないなんて、ひどく逆説的で面白いと思ってしまった。

 新天地町に入り、コンビニの角を曲がり、丘へと向かう直線道路に入る。

 いきなり拡がった光景を見た瞬間、初めはまだ宴会が終わってないのかな、と思った。

 たくさんの少年少女――ロドレンたちが道路に溢れていた。


「……あれ?」


 疑問の声が、自然に口をついて出た。

 若い人だけじゃない。道路には、もう少し年輩の人たちもいた。とてもではないがロドレンには見えない三〇代、四〇代、五〇代――の、地域住民の皆様。見覚えのある顔もいくつかある。普通、若者と年輩の人が一緒にいる場合、何かトラブルが起きているのだと相場が決まっている。ぼくもそう考えたのだが、若者たちも地域住民たちも一様に抑えた声でそれぞれ固まって、道路の先に視線を送っている。道路の先。ぼくらの、公園。

 赤い回転灯が回っていた。


「――警察?」


 つぶやき、ぼくとハクはほぼ同時に駆け出した。

 すぐ跡を追ってくる、シュンの気配も感じる。

 いやな予感がした。


「……乱闘でもしたか?」


 思いつくのは、日常的なもの。

 けれど、仮にそれで周囲の住民たちに被害が及んだのならば、ぼくらは最悪、公園を出入り禁止になる。

 駆けてくるぼくらに気付いて、一人の少年が声をかけてくる。前髪に紫のメッシュを入れている童顔の少年に、ぼくは見覚えがあった。


「あっ、ハクさん! キョウさん!」


 ――確か、素土の街最大のチーム【クレスト】のメンバーだ。名前は思い出せない。


「どうした? 何があった?」


 ハクが珍しく積極的に動き、情報を求める。


「フジヤさんに知らせてきます」


 といって、少年は走って人ごみの中に消えていってしまった。


「……人の話、聞かないかなぁ」


 ぼくはぼんやりとつぶやく。ハクは軽く肩を竦めて、少年の跡を追って、歩き始めた。

 公園に近づくにつれ、人並みが二つに分かれる。

 人並みが分かれて出来た道の真ん中を一人の青年が悠然と歩いてきた。背後に一八〇を越す長身の、男と女の護衛を引き連れて。護衛の男女は、双子のようにそっくりの容姿をしていた。スーツのようなストレートのパンツ、白いシャツの上にベストを着て、頭にベレー帽を乗っけている。違いは色だけ。男の方は青の、女の方は赤のベストとベレー帽。

 顔の形すらもそっくりだった。二卵性の双子らしい。二卵性にしては似すぎるほどに似ていたが、それは表情の醸し出す雰囲気がそっくりなため、その通りに見えるだけなのかもしれない。しかし、性別が違うというのに背の高さまでが同じと言うのは、どこか逆に不自然で、不思議な感じがする。男の方が「アオ」で、女の方が「アカ」と言う。見た目そのまんまだ。

 一方、二人を先導する青年は、それほど背は高くなかった。

 がっしりとした体格の持ち主だが、精々一七〇を超えた程度だろう。しかし、堂々とした歩調と全身から醸し出される存在感が青年をより巨大に見せていた。普段はどこは人懐っこい表情を浮かべていて親しみやすい感じがあるのだが、今日はその存在感を威圧的にまで高めていて、人を寄せ付けまいとしているようだった。

 フジヤ。《クレスト》のリーダーで、素土のストリートの子供たち、ロドレンたちの王。異端の主。


「――ハク、キョウ」


 それほど大きくはない、しかし良く通る声は、どこか深刻な響きを含んでいた。


「フジヤ。何があった?」

「殺人だ」


 簡潔なハクの問いにフジヤは簡潔に応えた。

 ぼくは息を飲んだ。


「殺人だって!?」


 フジヤは頭を縦に振る。


「シホって子を知ってるか?」

「――どの『シホ』?」

「……あー、タダシのチーム……【銀の弾丸――Silver Bullet】の。あのチームの娘。タダシの女だ」


 ぼくは、思い出す。


「……ひょっとして、ショートの娘?」

「ああ」


 知っているも何も、それは――


 タッタッター♪


 唐突に掻き鳴らされる軽快な音楽。

 Y.M.O.のライディーン。

 四〇和音の携帯の着信音。


「もしもし?」

『あ、キョウちゃーん。ちょっと買ってきて欲しいものがあるんだけど』


 ユウナからだった。


『あのね、コンビニでね……夜用のゴムを買ってきてほしいの!』

「あ、あのな――」

『え? 何に使うかって?』

「ちょっと、ユウナ」

『そ・れ・は・ね……ナ・イ・ショ!』

「……」

『あれ? おーい。キョウちゃん。ノリが悪いぞー!』

「……あ、あのさ、ちょっと今、そーゆーノリじゃないんだけど」

『ん? ほえ? 何? 何かあったの?』

「あのさ、シホって娘、いたでしょ? 一昨日、ユウナとチコと、三人で遊んでた」

『シホちゃん? 【ギンダン】の?』


 ギンダン? ああ、銀の弾丸。【Silver Bullet】か。


『シホちゃんがどうしたの?』

「えっと……あの……死んだんだって」

『へ?』

「……」

『またまたぁ。笑えない冗談言っちゃって』

「いや、ホント。ぼくが確認したわけじゃないけど。冗談じゃないっぽい。警察来てるし」

『えっえっえっ!』


 しばらく電話越しにバタバタとした音が聞こえてくる。

 どたんがたんと、何かが倒れる音。

 何をやってるんだ?


『ど、どこでっ?』


 ユウナの声はさすがに動揺していた。


「公園で」

『どういうことよっ!』

「いや、ぼくも今聞いたばかりでよく……」

『今からそっち行くから待ってて!』


 プチッ。ツー、ツー、ツー……

 非常に慌しかった。

 携帯電話を呆然と見下ろして、ぼくはフジヤたちの視線に気付いた。


「……というわけで、ユウナたちの友達らしいんで知り合いではあるんだけど……、何があったの?」

「わからん。殺されていたのは公園じゃない。丘の中だ」

「丘の中? 何だって、そんな所に……って、決まってるか」


 公園の背後には、ここ一帯が元々島だった時の名残――小高い丘になっている。

 頂上付近にある岩場を除いて、全体的に木々が覆っている。一応、山道らしきものもついていて、湾岸町側に抜けるようになっているが、見通しもあまりよくないので、ほとんど通行はない。そもそも、あまり大きな丘でもないので、麓を回った方がかえって時間の短縮になるほどだ。明かりのない夜になると、人通りはまったくなくなる。

 逆に言えば、それはこっそりと隠れるには、絶好の場所、ということで。

 祭の現場を離れて人気のない丘に登っていくのだ。

 やることは、だいたい想像がつく。

 が、フジヤは首を左右に振った。


「それもわからん。発見者はタダシだ」

「……犯人?」

「さあな。演技には見えなかったがな」


 演技……? ああ、発見した時の、タダシの様子か。どういうことだろう?

 タダシはシホの恋人だ。ぼくは、あまりよくは知らない。だが、フジヤがそういうので、その情報は確かなものなのだろう。

 タダシが第一発見者で、犯人ではないとするならば、祭りの夜、恋人であるはずの二人は、別々にいた、と言うことだ。

 ……よくわからない。


「ふむ……」と、ハクがうなずいた。何かわかったという表情をしている。

「痴情のもつれ、ってわけじゃないのかもな」

「だろうな」


 ハクもフジヤも二人だけで何かを納得しているようだった。なんだろう? 少し考えてみようとしたけど、わかるはずもなく。


「何か知ってるの?」


 訊ねた。

 ハクは少し迷ったように視線を宙に彷徨わせたが、すぐに口を開いた。


「少しな。【Silver Bullet】にはしばらく前からよくない噂があってな」

「ほー」

「それはそれはよくない噂があったんだ」


 ――いや、だからその噂は何?


 訊こうと思ったけれども、故人の名誉ってこともあるし、ハクは確証のない噂を無責任に垂れ流すようなやつでもないので、訊くのはやめた。気にはなったけれども。


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