異端-吸血鬼事件-

彩葉陽文


 たとえば、大人の世界と子供の世界。

 世界の二極分化。

 善と悪を論ずるように、正と邪を論ずるように、神と魔を論ずるように、光と闇を論ずるように、ある人は――もしくはより多くのある人々は――大人と子供の世界を区別し、明確に、決定的に対立する存在として論じた。

 汚いものを、醜いものを、臭いものを、見たくないものを、一方的に、片方の都合など微塵も考えず、闇に怯えるように、光から目をそらすように。

 片方が片方を絶対的に否定し合うという構図を作り出す思考は、つまりは、理解する努力を放棄した、一種の『逃げ』なんじゃないかと、ぼくは思ったりする。


 お前の考えていることはわからない。

 子供は親の言うことを聞けばいいのだ。

 大人は何もわかっちゃいない。

 それは古い考えだ。

 et cetera...


 いつもどこからか、そんな声が、聞こえてくる。

 それはいつも変わらない。

 いつまでも変わらない。

 どこまでいっても変わりはしない。

 ヒトの心は、いつまでも進歩しない。

 ヒトという種がアフリカのジャングルで発生して以来、約五万年。科学技術こそ順当に進歩していったとはいえ、それはあくまでも記録と経験の蓄積の結果に過ぎず、人間という種自体の進化を示す証左には到底ならない。人間の脳の構造自体は、五万年の昔から何の変化もしてない。つまり、多少は「知的」になったとはいえ、精神的にはジャングルで猿と縄張り争いをしていた時代から、そう大しては――ずばり言ってしまうと――ほぼまったく、変化していない。そして人が人である限り、これからもおそらく、それほど劇的な変化は望めないだろう。

 だからと言って、悲観する必要はどこにもないと思う。

 科学技術はこれからもますます発展して、人類社会は進歩し続けるだろう。

 進歩によってどんどん豊かになれば、弱いもの、小さいものへ目を向ける余裕も生まれるはずだ。

 汚いものを、醜いものを、臭いものを、見たくないものに視線を向けることもあるだろう。

 どんどん優しくなっていくだろう。

 今よりも、もっと。

 たぶん、きっと。


 ――もちろんそんなの、単なる戯言にすぎないけれども。


 進歩というのは複雑化していくことだし、便利になるそれ以上の速度で複雑化は進行していて、すべての事象の細部まで行き届く目は、ますます稀少なものとなっていく。機械の支援を受けて、知覚を広げても、人間それ自体のスペックには、自ずと限界はやってくる。そして、末端の存在から、見えなくなっていく。

 現実的な未来予測は、とてもではないが余裕など存在しない、ひどく硬質な寒々しい世界を描く。

 けれど、だけれども、いつしか誰もが穏やかに暮らせる時代がやってくる。

 それは甘い甘い練乳のような未来の情景。

 硬質なる理屈の外にはみ出した、あり得ざる時代の憧憬。

 そんな夢想を許容する程度にはまだ、人間という種に救いは残されているはずだった。

 今まで見てこなかったものに視線を向け、言葉を使い、名をつけることによって、そこに新たな認識が生まれる。

 未知は既知となり、不安は安心へと転ずる。

 その結果――とは必ずしも言えないかもしれないが――今世界は、大人と子供、そして幼児の世界に三分化されている(二極分化の世界よりかは安定性は高い)らしい。

 幼児の時代は世界に疑問を持ち、未知は好奇心を生み、人は夢を見て、望むままに毎日を生きる。

 子供の時代は世界への疑問を忘れ、未知は恐怖心を生み、人は夢を捨て、望まれるままに毎日を生きる。

 大人の時代は世界への疑問を思い出し、未知は対抗心を生み、人は夢を創り、望む毎日を生きようとする。

 ほら、誰だって覚えがあるだろう?

 幼児の頃は目に映る何もかもが新鮮で、親や、周りの大人たちに聞いて回ったはずだ。


「ねぇねぇ、これなぁに? なんていうの?」


 だが、そんな無邪気な時代はすぐに終わり、すべての疑問を忘れ、大人の言葉を素直に聞き、学校と塾と習い事を繰り返すだけの、子供の時代がやってくる。それは期間にして十五年前後の、長い人生の中でも四分の一にも満たない時間ではあるけれども、体感時間ではおそらく最大の時代だ。時折大人になれず、子供のまま歳を取っていくやつもいることだし。

 口の悪い友人、ハクに言わせれば、世の中の大多数の成人ってやつは、夢を見ることもなく、疑問を持つこともない、大人になれなかった子供なんだそうだ。アダルトチルドレン。その証拠は毎日会社へ行って帰るだけの人生。そこには夢も希望もない。人生の墓場だ。

 ぼくには異論がある。

 会社に行って帰るだけの人生の中で、本当に夢も疑問も忘れているのか?

 学校へ行き、塾へ行き、習い事へ行く人々は、本当に夢も疑問も持っていないのか?

 そうは思わなかった。いや、中には、もちろん、そんなやつもいるのだろう。

 けれども、人によってその理由は様々だろうが、夢や疑問を持ちながらも、会社や、学校や、塾や、習い事へ行く人々も、相当数いるのではないだろうか?

 例えば護るべき者のために。例えば夢につなげる一手段として。例えばそれ自体を夢へとするため。すべての疑問を忘れず、疑問を承知したままで、あえて仮面の日々を送る人も、いるのではないだろうか?


「あははっ。キョウ。お前、ホントにお人好しだな」


 なぜか笑われてしまった。

 どうしてだ?

 理由がさっぱりわからない。

 しかしともあれ、この物語内では仮面の日々どうこうは、実はあまり関係のない問題だったりする。


 さて、いささか唐突ながら、ここでひとつ疑問を提示してみよう。


 ――異端とは、何か?


 異なるもの。端にあるもの。本流から外れたもの。

 社会の中にいることのできないもの。

 領域外に棲まうもの。

 弾き出されたもの。

 カテゴライズされないもの。

 ――特殊性の強いもの。


 例えば、ぼくらの住む光花市と、その周辺を含む安芸塚と呼ばれる一帯は、古くから七つの特殊な家系が、支配しているのだという。


 光花の深宮家。

 素土の月ヶ瀬家。

 大伎の橘家。

 上弦の七夕津家。

 塚代の杜代家。

 風森の宇都羽家。

 山舞の舞姫家。


 七つの家は、古い伝承によるとそれぞれ異なる属性を有する土地神の末裔で、血筋はそれを示す神通を受け継いでいるらしい。

 もっとも今ではその力もずいぶん小さくなって、七夕津家ではその片鱗すらも失われたというし、本来七家の盟主であるはずの深宮家の血筋は、疾うの昔に耐えて久しく、橘家や宇都羽家もすでに傍流しか残っていないという。


 ともあれそれらは極まった特殊性。

 特殊でありすぎた為に弾き出されながらも力を持ち、反転して中心に踊り出た、異端中の異端。

 しかしそれらは、際立った例外中の例外に過ぎず、ほとんどの異端は中心に達するまでには到底進むことができずに社会の外に弾き出され、消えてしまうものだけれども――


 例えば、それはぼくら。

 ぼくと、ぼくの仲間たち。

 際立った異端には程遠く、けれどもどこか『違う』と感じている者たち。

 自覚しているしていないに関わらず、他の普通に社会生活を営んでいる子供や大人や幼児たちの『仮面』を被ることができなかった、不器用で弱い異端たち。

 腐ったリンゴではないけれども、集団の中に異質なものが混じると排除するように働くのは、免疫機構を持ち、日々病原体ウィルスと戦い続けている生命体であるところの人間としては、ある意味本能とも言え、仕方のないところではある。

 ――ように思う。

 したがって、学校やら塾やら習い事やら、あるいは会社やら、いわゆる『正常な』社会から排除されてしまったぼくたちは、目的を見失い、引きこもりになったり、逆に意味もなく街へ出て行ったりする。

 けれども人間、独りじゃ生きていけないもので、結果、同じように社会から弾き出された仲間たちを見つけて、つるんだりするのだ。


 異端同士の異端な集まり。


 ぼくらは世界に疑問を抱き、しかし答えを見つけられず、未知に対して戦いを挑み、しかし手段がわからず、夢を見て、しかし対象は曖昧で、望む毎日を生きようとして、もがき続けている。

 中途半端な、狭間の存在。

 境界上にある、世界の隙間に隠されたもう一つの時代。

 どれほど詳細に世界を観察しようとも、どこかに名前のない存在がある。

 いくつもの事象を観察し、名付けて、認識を深めていこうとも、どうしても取り残されてしまう存在はいる。

 どこまでも、いつまでも、いて、いなくなることはない。

 細切れにされ、小さく分かたれたひとつひとつを区別し、名を付けていったとしても、より小さく、どこまでも小さく、細分化の連鎖に果てはない。

 いくつもの境界に名を付けていったとしても、名付けられた境界と外部の境界に、さらに名を付ける余地が生じてしまう。

 ぼくらは、名付けられたばかりの子供な大人。

 ぼくらの外に溢れる人も、すぐに出てくるだろう。


 まあ、そんなこと、いくら境界の住人であるぼくらが語ってみたところで、当事者である以上は単なる自己陶酔以上のものにはならないのだけれども。


 以上が最近のストリート情報誌なんかでよく見かける『行き場のない子供たち』の論理を、ぼくとハクなりに分析し、解釈した結果。

 社会的に説明される分類なんて、当事者にはほとんど関係がない。

 光花市の南側、港の近く――素土と呼ばれる地域に自然と集まり始めた、異端とされ社会より排除された人々。数年前に存在を確認されて以来それらは『フリーチルドレン』や『ネウチル』『オウルド』などと呼ばれ、一月ほど前に出た『ライジン』というストリート情報誌によって『ロドレン』と名付けられ、今その名称が急速に広まりつつある――なんてことも、ぼくらには関係がない。

 自分たちがどう区分されようと、区分されまいと、名付けられようと、名付けられまいと、呼ばれようと、呼ばれまいと、現実にその場所で生きている以上はその場所で生きるしかないし、ぼくらはどこまでいってもぼくらでしかない。

 自分の存在する論理を言葉として正確に捉えている者なんて、極めて皆無に近い。

 例外的にハクなんかはある種、確信を持って自分を生きている風ではあるが、ぼくは実のところ、幼児と子供と大人の区分や論理にしたって、半信半疑以前の、曖昧な感想しか抱いていなかったりする。

 この自分たちの存在に関する議論にしたところで、親友であるハクとの会話の一片であったからこそ、ちょっとだけ真剣になって考えてみただけにすぎない。

 幼児と子供と大人の論理が世界の真実の一端を捉えているのか、それとも単なる思い込みの妄言に過ぎないのか、ぼくにはわからないし、関係ない。興味もない。

 ロドレンと名づけられているぼくらが、本当に明確に定義される存在なのかも、よくわからない。


「けど、おれたちが一般の社会から排除された人間だってのは、確かだよな」


 ああ、その通りかも。

 誰がどうだと明示するつもりはないけれども、ぼくらは確かに学校や会社に普通に行って帰るだけの、『普通』の生活は出来なくなった。なってしまった。


 ある者は体育系家庭に生まれた文系人間であるために、家族に馴染めず、家を出るという選択肢以外を持たなかった。

 ある者は伝統的に血を重んじる名家の格式に反発し、出て行った。

 ある者は双子の二番目であるがゆえに『いない者』として扱われた。

 ある者は他者とのコミュニケーションが体質的に取りにくく、自然と独りになっていった。

 ある者は一つの目的を盲目的に追いすぎるがゆえに周囲を顧みず、戻ることが出来なくなった。

 ある者は純粋な日本人の血を引きながら日本人ではないという複雑な立場ゆえに周囲に対して自ら壁を作った。

 ある者は他人に依存することに依存するがゆえに人に見捨てられていった。

 ある者は特殊な能力や才能、思想ゆえに周囲を混乱させた挙句、排除されていった。


 誰が誰とは言わない。理由がこれだけに限られるとも言わない。因果関係がこの通りだとも言えない。

 理由は複合的だし、原因は多角的であるべきだし、社会は紙に書かれる文章よりもっと複雑だ。単純に、簡単に、当たり前のように自らの暗部を「あなたはこうである」と言い当てられていい気分になる人はいないだろうし。

 けれどもまったくのでたらめではなく、ぼくが今排除したばかりの「真実の一端」ってやつを、その論理は確かに捉えているのだろうと、思い直してみたりもする。

 興味がないなんて、本当は言ってはいられない、極々身近にある問題なのかも。


 ぼくらの仲間がどうして成立する次第になったのか、実はあまりよく覚えていない。

 ぼくらの仲間。

 つまり、ぼく、ハク、チコ、ユウナ、シュンの五人。

 一年くらい前から一緒にいて、遊んでいた。去年の花見の時にはすでに同じグループで活動していたような記憶もあるけれども、五月の連休は別々だったような記憶もある。どうにもはっきりしない。気がついたら、いつの間にか一緒にいた――てなことをハクに言ったら、やつは延々と小一時間かけてぼくらが出会った物語を語り――もしくは、騙り始めた。


「なんだと? キョウ。お前、忘れたのか? おれたちの、出逢ったあの事件を。衝撃的で、感動的で、歴史的で、画期的なストーリーを? ひどいやつだな。それでも友達か? それでも親友か? お前は、一生の思い出にすると誓った物語を、本当に覚えていないとでも言うのか? そうか。ならいいさ。おれにとっては宝石のごとき輝ける思い出だとしても、お前にしてみれば埃にも満たない瑣末な事象にすぎなかったのだろう。お前がそれでいいというのならば、それでもいいさ。お前は友達だ。親友だ。そんなお前でも、おれは受け入れてやろう。おれたちは受け入れてみせよう。それでこそ友達だろう? たとえそいつが人を人とも思わない非道なやつだろうとも。人の心を踏み躙ることに快楽を覚える邪悪な性質の人物であろうとも。それでも受け入れ、共にいるのが友達というやつだ。そうだろう? だから、お前が忘れたのならば、それでいい。おれたちはお前を許すだろう。そんなお前でもおれは心を傾けてやろう。さしておれの心は広いともいえないが、少なくとも、四畳半よりは広いと自負している。お前一人くらい、入る余地はあるさ。しかし聞け。確かに忘れるという行為は人間に不可欠な能力だ。忘れるという行為自体は至極当然のものであって、お前には何の責任もない。お前には何の罪もない。だがな、それでも忘れてはならないものというものが、燦然と宵空に煌めく明星のような記憶が、どこかに、しかし確かに存在すると思うのだ。特に、ある種の関係性の於いて片方が大切にしている記憶ならば、なおさらだ。友達には相手の過ちを正し、互いに高め合うという側面もある。だから語ろう。お前が二度と忘れないように。思い出すように。お前の脳髄に楔をもってして刻みつけるように、語ってやろう。これがおれたちの、出会いの物語だ」


 そして静粛に、厳然とハク語り始めた。

 それは語られた伝説。騙られた神話。


「紀元前五世紀の古代バビロニアの……」

「待てこらっ!」


 ぼくはハクの頭を平手で叩き飛ばした。


「ん? なんだ?」


 かなり力を込めて叩いたつもりが、ハクはまったく、蚊に刺されたほどにも感じてないようで、平然として聞き返してきた。少し口を尖らせているのは、渾身の話を中断された不満の表れだろう。


「なんで、ぼくらの出会いを語るのに、紀元前から話さないといけないんだ!」

「そうよ、おかしいわよっ!」


 ぼくが怒鳴ると、ユウナもぼくに加勢して来た。少しうれしい。


「せめて五年くらい前から話しなさいよっ!」


 いや、ユウナ。ぼくらが出会ったのはせいぜい遡って二年前だし。

 もっとも、ぼくとシュンに限って言えば、幼馴染という間柄で、小さいころから互いのことを知ってはいたのだけれども。


「いや、ユウナ。五年では近すぎる」

「なぜっ!」


 あくまでも平然と返してくるハクに対して、ぼくは再び怒鳴り声を張り上げる。


「ん? まさか、キョウにユウナ。お前たちは人間の『選択』というものはその人個人の意思のみで成立しているとでも言うのか? 『私は私が存在するから存在している』などと思っているのか?」

「えー? 何言ってるの? 私が存在しているから私が存在してるのは当たり前でしょう?」

「はんっ。ユウナ。それはひどく傲慢な考えだぞ。独善的な思考だぞ。個人は個人の意思のみで成り立ってるって? そんなものは幻想だ。妄想だ。個性というものは人との関係性の中で成立するものであって、決して人一人にすべての根拠が立脚しているものではない。それひとつでは、決して成立しないものだ。唯一の例外は多重人格ってやつだろうが、この場合は除外してもいいだろう。ユウナにも、キョウにも顕現するほどの多重性は確認できないからな。精神面での根拠もそうだが、人間の物質的存在原因についてもやはり一人では到底成立しない。おれたちは両親がいて、初めて生まれる存在だし、その両親にも両親がいるだろう。そもそも人間の原因にも猿人・類人猿がいるし、それらの原因も原初哺乳動物、原初脊椎動物、それこそ原始たんぱく質まで遡れ、地球の誕生、太陽系の誕生、銀河の誕生、宇宙の誕生まで遡れる。紀元前でも話にならないくらい近すぎるな」


 いや、何か、問題がひどく違うような気がしたけど。

 ハクはあくまでもまじめな表情だった。


「あはははあはははっ。『せきついどーぶつ』だって。さすがハクっ!」


 いきなり耳に痛いほどの甲高い笑い声を張り上げて、ハクに抱きついていったのはチコ。

 なぜ、そこで笑う?

 どこかに笑うポイントがあったか?

 この子もよくわからない子だ。いつもこんな感じで、唐突に、よくわからない部分で笑う。そして、誰もが笑う場所で笑わない。


「というか、紀元前まで遡って、私たちの出会いをきちんと因果を踏まえて説明できると考える方が傲慢のような気がするんだけど……」


 頭痛を抑えるように、呆れたようにユウナは頭を抑えてうめき声と共に言葉をもらした。ぼくは小さく右手を上げる。


「ユウナに同感……。バビロン王朝がぼくたちの出会いにどう関わってくるのか、説明できるんなら説明してほしい」


 本気で、説明できるんだろうな?

 と思ったのだが、ハクはまったく動揺する様子もなく「ふむ」とうなずく。


「語ってもいいが、どんなに短縮して話しても文庫本一〇冊分を軽く超えるぞ? いいのか?」


 ああ言えばこう言う。口の減らない男だった。


「まったく……ハク、どうしてあなたはそうなのよ? 頭いいのに、なんでその卓越した知能を無駄な面白くもない冗談だけに費やすの?」

「ええ~? 面白いよ?」

「どこがっ!」

「言葉の並び具合が爆笑ものじゃない? こう、絶妙な単語の組み合わせというかねじれ方なんか、秀逸よ?」


 平然と、どこか陶然とした面持ちでつぶやくチコの様子を見て、ユウナは頭痛を抑えるように顔をしかめた。


「あーもう、この二人は――っ、キョウちゃんっ! キョウちゃんからも何か言ってやって!」


 え? いきなりこっちに振りますか?

 困ったな。ユウナとほとんど同じ意見だけど。チコの感覚が理解できないのは今に始まった話ではない。知り合って以来ずっと、チコはこんな調子だった。よくわからないところで笑い、ハクにくっついている。いつもの、どこかちぐはぐな、しかし穏やかな情景。

 澄ました表情のハクに、満面の笑みを浮かべて抱きついていってるチコを見ていると、自然と。


「二人とも仲がいいね」


 そんな言葉が浮かんできたりして。


「えへへ~っ」


 チコは笑い、ハクはむっつりとしかめ面。ユウナも顔をしかめて。


「ああっ。なんか悔しいわっ。キョウちゃんっ! 私たちもいちゃいちゃしよっ!」


 ぼくに飛びついてくるのだった。


「うわっ。重っ。てか、暑っ! ユウナ、離れろっ」

「ひ、ひどーいっ! なんてこと言うのよ。キョウちゃん、冷たいんだから」

「冷たくて結構。ほんとに暑いからどけてくれ」

「だめよ。キョウちゃん平均体温低いんだから、暖めなくちゃ」

「ちょ、ちょ、ま、マジでやばぃ。ま、まてっ。服の中に手を入れんなっ!」

「あはははっ。剥いちゃえっ」


 ユウナの行動は次第に危険なレベルにまでエスカレートしていった。ぼくは本能的に身の危険を感じて、本気で跳ね除けようと、腕に力を込めた。びくりともしなかった。

 うあ、なんて馬鹿力な娘だ。

 ぼく一人じゃどうしようもないと感じ、これまでのやり取りを部屋の隅で黙ってずっと眺めていたシュンに助けを求めることにして、悲鳴交じりの声をあげた。


「シュンっ! 助けてっ!」


 ぼくらの会話には決して加わろうとはしない、けれども常に傍にいる寡黙な少年、シュン。シュンはぼくの言葉に反応し、わずかに顔を上げて周囲の状況を分析するかのようにしばし観察する。

 やがて答えが出たのか、小さくうなずく。

 そしてそのまま目を閉じて動かない。

 何を言うでもなく何をするでもない。

 ただ、傍にいる。

 幼い頃からシュンはずっとそんなやつだった。

 究極の放置主義者。


「シュンくんの許しも出たから、二人で愛の世界へレッツラゴーッ!」

「やめれーっ!」


 ――以上。

 回想終了。

 その後、改めて語られたハクの話では、ぼくらはやたらと危機的状況にあって、その原因はほとんどハクがもたらしたものだったのだが、成り行きで関わってしまったぼくはほとんど一人で何十人もの人間と戦ったような非常にバイオレンスの吹き荒れる物語で、ぼくはなんとなく思い出してしまい、凄く憂鬱な気分になり、どうしてあまりよく覚えてないのか漠然と理解して、人間の記憶力の都合のよさに感心してしまうのだが、それはまた別の話。


 それはいつかの日常。

 当たり前の日々。

 ぼくらは世界から取り残された異端で。

 それ以上に互いが互いにとって異端であったからこそ。

 過剰に。必要に。真剣に。

 仲間を、友達を、友情を、愛情を、または、恋人を、演出し合ったのだろう。

 互いにどこかすべてが演技だと気付いていた。

 一つになれない、冷めたつながりを感じていた。

 『1+1=2』なんて、単純な数式は当てはまらない。

 一つ一つの『1』にはそれぞれ異なる個性があり、異なる存在でしかないのだと、気付いていた。

 数学的な記号なんてものは、デジタルなコンピュータの世界にしか存在しないものだと識っていた。

 それは一個のりんごと一個のみかんを合わせ、無理矢理〝2〟とするようなもの。

 2にはなれない。

 2という、ひとつにはなれない。

 一度世界から弾き出された同士だったからこそ、より過剰に、より強固に、日常を、世界を、つながりを演出しようとしたのだ。

 きっと。


 それがとても危ういバランスだったと、気付いて見て見ぬふりをしていた。

 果ての崩壊は、すべてがあるべくように壊れた、予定調和的な崩壊劇は、本来ぼくらとは、何の関係もないはずの、ある一つの殺人事件から始まった。


 それはある春の朝――


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