第9話 昔話の中身
「さて、旅行です」
「旅行? どこにいくんだ」
「髑髏がいる場所に。哲佐君の横たわるべき棺桶に。きちんと愛し合って下さいね」
「冗談じゃねぇ。それで、あれは何なんだ」
「
そんな言葉とともにレグゲート商会の伝手で汽船に乗り込んだそばから、カタリカタリという振動に俺の意識は混濁しかける。鷹一郎の囁くような言葉に朦朧とした頭を上げると、屋代から借り受けた一冊の綴じ本を眺めながら楽しそうな鼻歌が漏れていた。眠さと苛つきで悪態をつく。
「相変わらず嬉しそうだな。俺が死にかけてるってのによ」
「何を仰るのです。哲佐君の髑髏を払うための旅ですよ。それにこれが私の目的ですから。これほど遠くまでお迎えに上がるのはいつぶりでしょうねぇ。焦がれるとはこういう思いでしょうか」
鷹一郎はどこ吹く風だ。
「浮気じゃねぇのかよ」
「何をいうのです。哲佐君ならわかって頂けると思っていましたのに」
そう言って、鷹一郎はくふふと笑いながら窓の外を指差し、そして再び手元の編み物を再開した。鉄板の上で焦がされるような気持ちは十分に味わっているとも。
落ちそうなまぶたの隙間ににやつく鷹一郎がチラリと見える。よほどはしゃいでいるのか、俺に対してまで外行きの話し方をしている。
だめだ、もう意識が保たない。
トトトトと振動する汽船の背もたれはやけに柔らかく、深く倒れ込みながら鷹一郎の話に耳を傾ける。船窓から垣間見れる海の上に浮かぶあの髑髏の羽織の端が、ゆらゆらと視界にチラつく。その目玉のない視線は既に俺を正面から捉え、鷹一郎が僅かに俺の魂をその結界で守っていると言う惨状だ。だんだん世界が暗くなる。
チリンと目の前で鳴らされた涼し気な鈴の音で、はたと正気に戻る。視界には揺れる鈴。その腕の先のシャツの向こうは鷹一郎の顔。よく見れば涼しげな目元に少しの隈ができていた。
ここ何日か、鷹一郎は屋代に借りた剪灯新話と様々な資料を見比べながら、夜を徹していた。
俺もそろそろ気力と体力の限界だ。髑髏の姿はいよいよ明らかで、目を閉じなくても存在を近くに感じるほどだ。そしてそれは気の所為だけではないらしい。そしてそれから伝わる感情は、焦げ付くように俺を求めていた。
「しっかりしてくださいよ。近づけば近づくほどに麗卿の力は強くなる」
「そうはいってもお前の注文は難しすぎる」
「いつも通りじゃぁありませんか。だまって食べられておしまいなさい。いつも通りキワで守って差し上げますから」
「キワすぎるんだよ」
鷹一郎は剪灯新話をさらりと読んで麗卿を祓う計画を立て、俺にアレコレ指示をした。
一つ、麗卿に決して抵抗しないこと。
一つ、麗卿を否定しないこと。
一つ、こちらからは麗卿に呼びかけても反応してもいけない。
そんなこといったってなぁ無茶苦茶だ。腐臭漂う骨に体を撫で回させるのはなかなか忍耐がいるんだぞ?
結局の所、俺は鷹一郎に守られている。その式神が薄皮一枚、麗卿とやらから俺を守るおかげで伊左衛門のように生気を奪われたりはしていない。けれども毎夜毎夜髑髏に絡みつかれて体は疲労困憊、精神は疲れ果てている。
この何日かは一睡もせず、常に寝ているも等しい状況だ。
なんとか意識を保とうと鷹一郎が広げる綴じ本に目を移すと、そこにはひたすら漢字が並んでいた。眠い。
その視線に気づいた鷹一郎が淡々と解説を始める。
「剪灯録は明の
「うん」
「圓朝の怪談は仇討ちの因果物語ですが、原点は不条理な怪奇」
確かに不条理で怪奇だな。
ガラスの窓の外には髑髏が写り、昼の光を泳いでいた。これまで色々怪奇な現象に巻き込まれてきたが、こんな違和感を覚える光景もない。なんだか馬鹿になったみたいだ。
「そして哲佐君や伊左衛門氏が陥ったのはさらなる不条理」
「なんだそれは」
「全くいい目をみてないでしょう? 剪灯新話では
「ふん。どうせなら俺もその前段階が欲しかったぜ」
「前段階がない理由もなんとなくわかります。中国にいたころは新鮮だったんですよ」
ほら、と鷹一郎は本を指で指し示す。黄ばんだ紙に滲む墨。目がしょぼくれる。
「なんだそれは」
「剪灯新話で最後に発見された喬生と麗卿の姿です」
「生きてるようなのがなんで骨になってるんだよ」
「さすがは哲佐君ですよね。最初から寒いところにいるようだとずっと言っていたでしょう?」
「死体は凍ってでもいたのかよ?」
みゃぁというカモメの鳴き声が聞こえ停泊のためか船の速度がガタリと落ち、その反動で体が斜めに崩れ落ちかける。不本意にも鷹一郎に支えられ、哲佐君は駄目人間ですねぇと呟かれる。不本意だがなんだかもうフラフラしっぱなしだ。
「流石に場所から考えれば凍ったはないでしょうね」
「場所?」
「この話の舞台は
「12年か。それはなんだか……不憫だな」
ずっと考えていたことだ。髑髏は鷹一郎が祓っても祓っても戻ってくる。その執念たるや凄まじい。だから……この深い泥に引きずり込まれるかのような重だるさをもたらしているのがあの髑髏、麗卿だとしても、その一途さに何やら少し、不憫になってくるのだ。ひょっとすると、それほどの理由があるかもしれないのだと。
なんだかもう、あの麗卿は日がな一日ずっと俺についてくるし、俺もずっと麗卿の事を考えている。なんだか長年連れ添っているような気すらしてくる。それもおそらく祟りのせいなのだろうが。
「ううん? だが麗卿は骨の姿を見破られたんじゃなかったか」
「この話、ちょっと変なんですよ」
「変?」
「喬生が棺に引きずり込まれた後があるんです」
「後?」
「そう。喬生と麗卿と、あと
「なんだ、そりゃ。まるでお前みてぇだな」
「失敬な。けれどもそれまでの話と突然流れが変わるんですよ」
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