第5話 髑髏と女

 炊いた米をひつに入れて戻ると鷹一郎がごろりと寝そべり、古そうな本を眺めていた。

「悠長に何を読んでやがる?」

「これですか? この間お借りした伽婢子おとぎぼうこです。寛文61666年に発行された浅井了意あさいりょういの作。東京で探しても見つからなかったのに屋代やしろさんは当然のようにお持ちでした」

 屋代というのは逆城南さかしろみなみで店を構える好古家収集家で、古今東西の珍品奇品を収集している知り合いだ。好古屋こうこやの屋号で店を構えている。

 問題は、今回の髑髏が何者か、だ。こいつを祓うにはそれを突き止めなければならん。牡丹燈籠を持った主人を求める髑髏。類似した話があるというのなら、その内容を調べるのは筋だろう。だから文句が言い難い。


 俺は鷹一郎の家で居候になる礼に、煮炊きをすることにした。日当はもらっているものの、それは仕事の対価である。ただで間借りするのはそれはそれでなんだか気が引けるのだ。

 何故間借りしているかと言うと、俺はその頃、すっかり髑髏に魅入られていたからだ。夜な夜な布団に忍びにくるものだから、俺は長屋を逃げ出して、鷹一郎の暮らす土御門神社に居候を決め込むことにした。

 鷹一郎は辻切つじき西街道にしかいどう沿いにある土御門神社に住んでいる。というか鷹一郎の本業はこの神社の宮司で、広い神社の敷地に一人で暮らしている。あまりにひっそりとしているものだから、参拝客もほとんどいない。俺が住み込んで10日ほど経つが、たまに拝殿の鈴がガラガラと鳴るくらいで、鷹一郎を尋ねる者などいなかった。

 だから鷹一郎はいつも、特別な仕事がなければ境内の掃除をしたり、いま目の前でだらしなく寝そべっているように日がな一日本を読んだり、のんべんだらりと世捨て人のように暮らしている、らしい。羨ましいこって。


 箱膳に焼いた目刺しと味噌汁を乗せて、土間と部屋を往復する。ぎゅうぎゅうと手狭な俺の住む長屋と違い、鷹一郎の家には広々とした土間があり、台所の使い勝手が良い。けれども長屋は狭くて土間を上がればすぐに部屋だが、鷹一郎の家は広いから膳を運ぶ往復が少し面倒くさい。

 櫃から米を茶碗によそうと鷹一郎はぱたりと本を閉じて起き上がる。灰青色の表紙に綴られた薄い本。寛文6年といえば200年余りの昔のことだ。

「哲佐君のご飯はいつも少ししょっぱいですね」

「文句言うなよ。それで浅井了意というのは聞いたことがあるな」

「徳川様のご治世の初めの頃の方です。その頃、庶民向けに仮名混じり文の商業出版が始まりましてね。いわゆる浮世草子の前身で、そのさきがけとなった人です。伽婢子は怪奇譚を集めたものですが、他に各地の旅行譚や滑稽譚も多く記していますよ」

「ふうん、それに牡丹灯籠があるのか?」

「ありますね。読んでわかりましたが、円朝の牡丹灯籠のまさに怪奇部分の元ネタです。人情話は他のところに元ネタがあるそうですが」

「あの髑髏はそんなに昔のやつなのか?」

「イメエジ的には古そうな感じはするのですけどねぇ。けれどもなんだか、その姿に違和感がある」


 伊左衛門が描いた髑髏の姿は和洋折衷だった。それであればここ20年ほどのものだろう。

 腐汁にまみれきってすっかり着崩れている前合わせ、その上に纏うはそれなりに上等そうな深緑の襟合わせに、細かい刺繍が施されているけれども袖が半ばで千切れた羽織。それから赤黒いかけ湯巻腰エプロン。伊左衛門は外国人居留区でよく見るスカァトとかいうものかもしれないとも言っていたな。それに上衣は袖も長く広がっているがたもとのない筒袖のような服らしい。

 伊左衛門は元々の素材は良いものだと思うと述べていた。質屋なのでものを見る目はあるだろう。

 それぞれのパーツを考えれば洋装のようにも思えるが、全体的には和の装い。やはり和洋折衷。こいつは、誰なんだ。

「浅井の時代で外国となるとご朱印船でしょうかね。安南ベトナム暹羅タイ呂宋ルソン島あたりの服装ならばどうかともとも思うのですが、伊左衛門さんから伺った範囲でも哲佐君のお話でも、服地は南の国で着るには暑そうなのですよねぇ」

「羽織を羽織ってたわけだからなぁ。中国ってことはねぇのか? 清なら北の方は寒いだろ」

「時代的には清なのでしょうが、清の服というと居留区のアディソンさんがよく召されている満州服チャイナドレスの原型ですよ。右胸の上のあたりで服地を止められたワンピースで、和装のような前合わせではありません」


 満州服。確かにイメエジは随分異なる。

 アディソンというのは開港神津こうづ港にある外国人居留区で用心棒をやっている妙な奴だ。鷹一郎は舶来の呪物やら何やらを買い求めにそんなところにまで出向く。その交流は存外広い。

 やはりせめて顔がわかれば異人かどうかはわかりそうなものだが、いかんせん髑髏だ。そもそも俺は髑髏をあまり見ないようにしているから、はっきりとはよくわからないんだよな。

 今、俺は毎晩鷹一郎が張った結界の中で眠っている。そしてその結界は絶妙な範囲、布団の内側というぎりぎり髑髏が俺に触れられぬ範囲で張られている。だから髑髏にとって探し求める俺はすぐ近くにいるはずなのに、どこにいるのかわからない。完全に結界で塞いで髑髏が入れないようにすれば、諦めて伊左衛門を探しに戻るやも知れぬ。だからその対処は仕方がないといえば仕方がなく、夜を耐えることは俺の仕事の内に入るわけだ。

 けれども俺のすぐ近くで、触れようとすればすぐに触れられる距離で髑髏はひくひくと蠢きうめき声をあげている。たまったもんじゃねぇ。それを目をじっと閉じて耐えるのだ。

 この距離では視線をくれても感づかれる恐れがある。視線というものは感情を伝えてしまう。見れば、見られる。そんなわけで最近は髑髏を直視していない。

 俺は髑髏が現れる時間中はひたすら布団で縮こまって朝を待つ。ぽたぽた、ひそひそ、濃密な死の匂い。朝起きたときには汗でぐっしょりだ。

 鷹一郎は、哲佐君はよほど美味しそうなんでしょうねぇ、などとと言うが俺としてはたまったものではない。

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