魍魎弾丸列車 上
二階建ての駅舎は宵闇の下で白く輝き、肋骨のようなアーチを構える。真新しい駅の人影はまばらだ。
「流石に少ないな」
「下等運賃でも米五升の値段だ。乗客も限られるだろう。それでも一般人がいるのが気がかりだが」
頷く
「列車は貸し切ったわ」
「いくらかけたんですか」
「予算は余っているもの。今夜は殉職した刑事のため、陰陽警察総出の葬列という名目よ。末端にまで召集をかけたから取り逃さないわ。ここで全て叩き潰しましょう」
号刀は夜闇に溶け込む
「お前も来るのか。舶来の妖怪は食い合わせが悪いんだろう」
「手前が行くなら行くに決まってんだろ。食い損ねたままで終わるのは気に食わねえしな」
号刀は口角を上げた。
中沢は呆れてかぶりを振った。
「飢えていれば妖怪でも食わせてやると。聖人君子のつもりか」
「そうじゃない。ただ飢えが辛いのはひとも化け物も同じだからな。見捨てるのは、腹を空かせたガキだった頃の俺と妹を見捨てるようなもんだ。それをして平気で飯を食えるほど図太くない」
㬢が犬歯を見せて笑う。
切符を手にした
「号刀さんがそう言うなら認めましょう。妖怪は飼い主で変わるものです。牛鬼も本来凶暴で残忍な妖怪ですからね」
「そんなつもりないけどな」
「少しは凶暴さを出してほしいものだ」
中沢は帯びた刀を確かめながら吐き捨てる。
「行こうかしら。気を引き締めて」
八坂の声に一同が頷き、刑事と妖怪は新橋駅へ踏み出した。
駅舎は暗く、夜の色が満ちていた。
「号刀くん、これを」
八坂が差し出したのはリボルバー銃だった。
「銀の弾丸よ。一発だけだから上手く使って」
「銃を撃ったことは……」
「いいの。貴方の起こす不幸はヒダル神すら招いた。妖怪すら予測不能な切り札になるはずだわ」
号刀は不承不承銃を懐に収めた。暗闇に慣れた目に白の支柱が映る。根元には赤茶けた逆さ十字が描かれていた。
「八坂さん!」
暗闇が爆ぜ、八坂が手を翳す。柱から躍り出た犬面の妖怪が、見えない障壁に阻まれて牙を鳴らした。
「吸血鬼だけではないと思っていたけれど、まさに巣窟ね」
支柱からどろりとした影が這い出し、魑魅魍魎が形を帯びる。八坂が首を振った。
「貴方たちは行きなさい」
「しかし……」
「私にも憂さ晴らしをさせてちょうだい?」
絶えず滲み出す影を睨み、八坂は溜息をつく。
「人間の叡智の結晶が台無しだわ。ひとの努力を踏み躙るなら、自分が足蹴にされても文句は言えないのよ」
旋風が直線状に奔った。魍魎の群れが丸く抉れ、白い支柱を血の雨が濡らす。
「行こう」
刑事たちはホームへと駆け出した。
湧き出す影を刀が切り裂き、乱杭歯が噛み砕く。電灯が爆ぜ、ホームに走る電線が火花を上げて落下する。
靄の向こうに赤と緑に輝く汽車が見えた。
「乗るぞ!」
号刀の前で人影がざわめいた。洋装と和装の入り混じった老若男女が赤い双眸をぎらつかせて蠢き出す。
「奴らは死人だ。情けなんてかけんじゃねえぞお」
㬢の歯が雪崩れ込む吸血鬼の頭部をすり潰る。
「信じていいんだな!」
「俺を信じねえで誰を信じるんだよ!」
号刀は答えの代わりに押し寄せる亡者を斬った。
「活路は開いた、走れ!」
足を早めた刑事たちを炎が阻んだ。亡者たちの奥に大蛇がとぐろを巻き、赤い舌をちらつかせる。
「邪魔をするな!」
中沢の斬撃は吸血鬼たちに防がれた。ホームに黒煙が流れ、汽車の車輪が回転する。
「急がないと発車するぞ……」
亡者たちの足元を猫が駆け抜けた。大蛇が火を噴く。猫は紅炎を掻い潜って宙に跳ぶ。
「失礼」
青年に姿を変えた纏井が両手を引いた。床に張り巡らせた電線が舞い上がり、亡者と蛇を横転させる。間隙を縫って中沢が斬り込んだ。大蛇の首が残炎を残して飛んだ。
纏井は巨大な胴体に押し潰される前に猫に戻り、中沢の懐に潜り込んだ。彼女は一瞬逡巡して纏井を抱き抱える。
「㬢!」
出現した歯が汽車の扉を粉砕した。刑事たちは走り出した列車に飛び込んだ。
列車が速度を上げ、風圧がのし掛かる。号刀は危うく落下しかけた中沢の襟首を掴んで止めた。
「礼を言う」
「お互い様だ。これから長いぞ」
汽車は駅舎を抜け、ホームの暗闇を夜空の闇が塗り替える。燦然と輝く東京の街が高速で左右を流れた。
㬢は喪服の裾を風に躍らせた。
「で、誰を食えば終わるんだあ?」
「本丸は一両目で構えているかと。しかし、楽に到達させてくれないでしょうね」
纏井が中沢の腕を抜け出した。丑瀬は破れた扉を掴んで前方の車両を伺う。
「鉄道を使うってことは吸血鬼を広範囲で野に放ちたいってことだよね。きっとこの先にうじゃうじゃいるよ」
「終点の横浜まで止まらず進むよう手配してあるそうです。各車両の妖魔を討伐し、その時点で車両を切り離しましょう。切断は私が上から行います」
纏井は号刀の脚に身体を擦り付けた。
「今のは何の意味が?」
「先に報酬を頂いておこうかと。やる気が出ました」
纏井は飛び跳ね、見る間に列車の上へ駆け上がった。
「変態が」
㬢が吐き捨てる。前の車両から重厚な音が響いた。
「さあて、食い放題だ。牛鬼も働けよ。穀潰しは牛鍋にすんぞ」
「僕は不摂生だから美味しくないよ。まあ、今更逃げられないしね」
号刀と中沢も剣を構えた。
「行くぞ」
白刃が鉄の壁を切り落とす。斜めに傾いだ壁の向こうから無数の赤い眼光がぎらついた。両脇の座席の間に所狭しと亡者の群れが蠢いている。
「突っ切れ!」
号刀が垂直に刀を振り下ろした。真正面の敵が頭から股まで裂ける。
中沢が刀を咥えて座席に手をかけ、上体を跳ね上げる。亡者の頭上を占領した彼女が旋回し、縦横無尽に切り裂いた。
「㬢、やれ!」
「ヒダル神の飢えに限りなし。その誤差を食らう」
吸血鬼の群れが一斉に血煙を噴き上げる。千切れた四肢を歯牙が噛み砕いた。
「無事だな?」
「何てことねえよ!」
㬢は歯茎から血を迸らせる。号刀は頷き、血塗れの車両を駆け抜けた。
次の車両へ飛び移った瞬間、切り離された後方車両が瞬く間に遠ざかった。
号刀たちが進み、次々と車両が切り離される。車両は三つを残すばかりとなった。
「拍子抜けだな」
「ここからだよ。見て」
丑瀬が前方を指す。蠢いたのは肋骨服の群れだった。中沢が息を呑む。
「知り合いがいるんだな」
号刀の問いに彼女は小さく頷いた。
「情けはかけん。奴らはもう死人だ」
声は微かに震えている。
「ここは僕がやるよ。琴ちゃんは身内殺しは嫌だろうし」
「丑瀬……」
「ヒダルさん、ふたりを抱えて飛んで。一両分くらいなら行けるよね」
「やれるけどよ、手前、こいつは暴力女だとか言ってなかったか」
「男はそれを愛って翻訳するんだよ、なんて。またね」
丑瀬は軽く手を振った。㬢は号刀と中沢を抱えて車外に身を躍らせる。豪速で夜光が流れ、三者は前の車両に着地した。
丑瀬は魔物のひしめく車両に踏み出した。
「牛鬼の本懐は毒なんだ。だから、街中ではできないんだよね」
死した刑事の肌が紫に変わる。死斑めいた痣が泡立ち、亡者の全身が爆ぜた。
「騙してごめんね。牛鬼は今も凶暴で残忍だよ」
返り血を浴び、丑瀬は獰猛に笑った。
後方の車両が遠ざかる。中沢は薄く目を閉じた。
風が号刀の全身を打った。
「進もう」
足元に出現した歯が天井を食い破った。号刀たちは車両に飛び込む。
真下には鬼面の男が日本刀を構えていた。
すれ違いざまの斬撃を避け、。号刀は敵を睨んだ。
「気をつけろ。奴は手練れだぞ」
「知っているのか」
「信じられなかったが、死者を吸血鬼として蘇生させたなら納得がいく。土佐訛りにあの剣術、首の傷……奴は人斬り以蔵だ」
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