獣人辺境伯と白い花嫁~転化オメガは地上の楽園で愛でられる~

佐藤紗良

序章




『人間が地下に居住するようになって、今年で九百年です。温暖化、砂漠化、食糧難、そして度重なる天災。人間は、そんな地上から地下へと活路を見出したのです』


「その原因を作ったのは人間です。環境を破壊して、地上を捨てたのでしょう」


 581番は何枚かの着替えを鞄へ詰め込み、荷造りを終えた。


 今まで学習した本などは、この部屋にない。


 地下であれば、どこにいても腕にあるリストバンドから空中ディスプレイを出せる。そこから今まで学んだ本を閲覧すればいいのだ。だから数少ない私物をまとめてしまえば、物心ついた頃から過ごしたこの部屋は備えつけのベッド、机のみでがらんとしていた。


『地上の獣人たちとの交流も八十年目を迎えます。その節目となる今年の地上派遣試験の日程は先日すべて終了し、本日、いよいよ合格者が発表されます』


 581番は、ベッドへ寝転んだ。


 一冊だけ大事に持っている人間が地上にいたころに発行されたネイチャー雑誌。それを手に、一方的にアナウンスされる耳障りなAIの声を聞きながら目を閉じた。


 地上派遣試験時に発行されたIDがなければ見られないニュース。たとえIDがあったとしても、三次試験までの間に不合格が判明すると見られなくなる。発表時間ギリギリになってもこうやって見ていられるのだから、と合格を確信した581番は支度を始めたのだった。


 ディスプレイの時計表示が変わると同時に『地上派遣試験合格者発表』と表示された。


「……ッ!」


 581番はベッドから跳ね起き、天井に向かって小さな拳を突き上げた。


 今年の合格者は10名。


 しかも一番上に『581番male-Alpha』と表記されている、主席合格だ。


「これでやっと、名前がもらえる」


 581番は受験番号ではない、生まれ持っての地下居住ナンバーだ。


「地上で本物の動物に触れられるなんて夢みたいだ」


 獣人や獣が住む地上への派遣試験は、長い道のりだった。


 一次審査は自身が興味を持っている分野の論文の提出。

 二次審査は体力テスト。

 三次審査は、学科と身体測定だった。


 アルファに生まれた581番にとって、それは容易いことだった。


 この世は男女以外にアルファ、ベータ、オメガと言う第二の性がある。


 第一の性である男女性は遺伝子組み換えができても、第二の性に関しては科学が発達しても根拠が掴めない性だった。


 アルファは体格、人格など様々な部分で圧倒的に他より優れており数は少ない。人口の大半をしめるベータが一般的な性とされている。そして、アルファより希少性が高いオメガには、ヒートと呼ばれる発情期があり、男女ともに子供を産める性――。とは言っても、今の地下では人口調整のためシャーレで受精し、羊水タンクで人は育つ。毎年、AIが算出する数だけ子供が生産されるため、人が子を宿す必要はなかった。


 581番はアルファ、15歳になる。


 受験者の平均年齢が25歳と言われる地上派遣試験をその年でパスしたのだ。既定の身長にまったく届いていない。が、IQの高さと成長期である年齢が考慮されたのだ。様々な面でまだ、伸びしろがある。


 ――コンコン。


「はい」

「581番、招集命令が出ました。荷物をまとめ、直ちに部屋から出てください。尚、この部屋へは退出後、戻ることはありません。私物を残すことがないよう願います」


 生身の人間がこの部屋を訪ねてきたのは初めてだった。いつもだったらAIを搭載したアンドロイド。声に自然な抑揚があることを不思議に思いながら、ノックされたドアを見つめていたミアは、何年も一人で過ごした部屋を見渡した。


「いってまいります」


 空中ディスプレイを消そうとした581番が、リストバンドに触れる。


『ミア、地上調査の健闘を祈ります。いってらっしゃい』

「ミア?」


『あなたの名前です』


「ミアか、悪くない」


 先ほどまで耳障りだと思っていたAIの言葉に励まされ、ミアは部屋を後にする。


 地上派遣は、優秀な人材に研究機会を与えると言う名目があった。あくまで、それは地上の獣人たちへの言い分。環境がどう変化しているかの調査が、地上回帰を狙う人間の本来の目的だった。


 八十年ほど前から始まった地上派遣。


 当初は獣人との良好な関係が築けず、死者が出るほど過酷なものだった。が、今ではすぐにでも人が移住ができるほど環境が良くなっている。


 そんな地上を人間はいつしか『楽園』と呼んだ。



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