18.初恋よ、さようなら
沙那がラインを送った瞬間、数メートル先のクレーンゲームと相対していた桐龍がサッとスマホを確認する。
サクサクと文字を打ち込み、返事は1分ほどで返ってきた。
「はっや! もうお返事きたんだけどっ」
沙那が俺の膝の上で跳ねる。この近すぎる距離感は相変わらず。
「とりあえず無視じゃなくてよかった。これで桐龍の検査結果は出るわけだから」
無視されるほど愛想がつかされていると、こちらが復讐をする口実が生まれない。
俺らは一方的に攻撃をして悪くなりたいわけじゃない。
――桐龍にされた悪いことの分、徹底的なまでに正当報復をしてやる。
だが当の沙那は、通知がきた瞬間に一気に顔が曇った。
「ライン、開けちゃっていいんだよね?」
「あぁ。沙那はちょっと見たくないかもしれないけど」
「うぅ……」
さっきまでの威勢は、見事に削がれている。無理もない。だってこのラインの結果次第で、自分の初恋の結果が確定してしまうわけだから。
というより、残酷な話をしよう。
沙那が現段階で、パーッと幸せになれる道筋はどちらにせよ残っていない。
だって、桐龍が沙那の行いに不満を爆発させ、あの女にもう乗り換えてしまったという『おあいこルート』の場合でも。
あるいは、桐龍が沙那をキープしつつ、あの女と遊んでいるという『復讐可能ルート』の場合でも。
――沙那自身の初恋は、完全敗北で終わることになるのだから。
「ね。ねぇ、みっちー……?」
「ど、どうした?」
「……開けるの……怖いよ」
自分が初めて思いを寄せた相手に完全に見限られるか、ウソをつかれて蔑ろにされるか。
この地獄の二択のゆくえを、沙那は今から自分の目で確認しなくちゃいけない。それは純真な沙那にとって、あまりに凄惨な仕打ちだった。
「……こんな初恋あんまりだ。ヒドいよ、ヒドすぎるよ……」
肩を震わせながら悲痛に言われ、俺の胸が握りつぶされたように痛い。
「送る前はあんなに乗り気だったのに、見てよ私の目」
「めっちゃ赤くなってる……」
「あはは、だよねぇ……」
沙那は、最後の余力を振り絞って弱々しく笑ったが、
「わ、私、ダメかも……。な、泣いちゃい……そう……」
とうとう決壊して、ぼたぼたと玉のような水滴を目からこぼす。俺のズボンの上がどんどん湿っていく。
「沙那、大丈夫か?」
俺の問いかけにも答えず、沙那は自分の栗色ボブをちぎれんばかりに引っ張り嗚咽を漏らす。その声には、弦が切れかけてボロボロになったギターをかき鳴らしているような切迫感があった。
「うぅ……っ。なっ、なんで私ばっかりがこんなにつらい思いをしなくちゃいけないのさあ……っ!!!!」
「そうだよな。沙那からしたらとんでもなくしんどいよな……」
「私はただ、櫂斗くんのことが大好きだっただけなのにっ……! 初めて恋に落ちた王子様だったのに……ッ!!!! なんで櫂斗くんはこんなに私のことをいい加減に扱ったの⁈ ちっとも大事にしてくれないで、自分ばっかり良い気分になろうとするの⁈ なんでなんでっ!!!!」
俺の胸に顔をうずめて、必死に声が漏れないようにする。洟をすすり上げる瞬間、体が寒さに耐える人のように震える。
……見てられないぐらい辛い。沙那がこれだけぐじゃぐじゃに泣くのは初めてだったから。幼稚園のころ、かけっこ中に膝から豪快にすっころんだときも「えへへー」なんて笑っていた沙那が。
「自分で言っちゃうけどさぁっ! こんなにまっすぐな子が損をしちゃうなんてなんかおかしいよっ! 恋って、なんか変だよ!!!!」
「大丈夫、大丈夫……」
そう、世の中はこんなにも理不尽だ。真っすぐに生きる人ほど割を食って、狡猾で自分勝手な人間ほど良い想いをする。
……だから、俺は沙那を応援してしまう。文句のつけようがないぐらい幸せになって欲しいと思う。
こんなにキレイな花が、周囲の環境のせいで枯らされてしまうなんて、あってはならないことだから。
「沙那は幸せになれるよ」
俺の手は、自然と沙那の背をさすっていた。
「沙那の純粋なところが好きって人、絶対にいるから。世の中、そこまで腐りきってないと思う」
「……」
「今回はたまたま運が悪かっただけだよ。だから……」
言いかけたところで、沙那は顔を上げ、赤く腫らした目で俺にこう訴えかけてくる。
「…………もっと」
「……ん」
「…………もっと、よちよちしてほしぃ…………」
捨て犬みたく庇護欲をかきたてられるキレイな瞳。もうすべてを捨てて抱きしめてしまいたくなる。沙那に泣き顔は似合わない。
「はぁ、結局みっちーに甘えちゃうんだよなぁ……」
「俺は別にいいけど……」
「ありがとね。今は……みっちーの優しさがい~~~っぱい、ほしい……です」
俺が、この子を守ってあげないと……。身分不相応にも、そんな風に勘違いさせられそうな甘ったるいすがり方。
「こ、こんなんでよければ……」
「ううぅ……みっちぃー……っ。あったかいよお……」
「……っ」
「ごめんね、こんなに弱っちい女の子でさ」
「……いや、いいよ。この件はそれぐらいボロボロになって当然だもん……」
背中をさするごとに、沙那が俺の胸板に顔をこすりつけてくる。
キュートな栗色をした小さな頭が、もしょもしょと動く。ペットみたいでかわいい……。
「はぁ……。こうしてるとね、安心してとけちゃいそうになる……」
「そう言ってくれると嬉しいけど……」
「もういっそ、一緒にグデグデにとけちゃおっか?」
「それは……ちょっと」
はっきり言うけど俺もとけそうだ。なんだよこの密着具合。ドキドキしておかしくなりそう。沙那、人目につくところでこういうことをするのは一番苦手そうだったのに。
……それぐらい心が弱ってる、非常事態ってことか。
俺なんかが癒せてるなら、別になんでもいいんだけどさぁ……。
「はぁ……ま、私の初恋もここまでかぁ」
声にちょっとずつ元気が戻ってきて一安心。意を決した沙那は、目尻を拭って俺の膝の上で半回転。
俺に背を預け、バックハグをされる体勢に移行。
それだけなら、まだどうにか耐えられた。
が。精神状態がギリギリの今の沙那はそれだけで終わらない。
「え、ちょ」
「……ごめんね」
なんと、自分の脇の下に俺の腕を無理やり通して、本当にバックハグをさせてきたのだ!!!!
「一緒に見てよ? 後ろでぎゅうってして、パワーちょうだい?」
なるほど、俺らが二重に重なることでスマホを一緒に見られるようにしたわけか……。っておい! 名案でもなんでもねえ! どんだけ俺のことをドキドキさせたら気がすむんですか……⁈
「沙那、ホントに甘えるときはとことんすぎる……」
「もうこれだけショックを受けることは当分ないだろうし……今日までのわがまま」
「こんな事件、二度とごめんだもんな」
「ほんとそう。傷つくのはこれでおーしまい! みっちーにイヤな思いもさせたくないし」
俺は別にいいけど。頼られるのも嫌いじゃない。
そして沙那は振り返って一言。
「……いっっっちばん大好きなお友達の前で、暗いお顔は見せたくない」
……一番大好き。そのワードのストレートな打力に思わず心臓が跳ねる。友達として、という注釈がついていてもだ。
不思議なもんだよな。友達だってのに、この事件がきっかけでそれ以上の距離感になった気がしてしまうんだから。
ふと俺の心が揺らいだような気がした。―― 桐龍と決別した沙那の次の恋は、いったいどんななのだろうと。
いやいやいやいや!俺が考えることじゃないよな!そんなの沙那の自由でしかない!俺は一番大好きな友達、というポジションなんだから!
「じゃ、いくね?」
「あ、あぁ。決心がついたんなら」
沙那は俺に軽く目配せ。俺が静かにうなずくと、
「さようなら櫂斗くん。さようなら私の初恋」
そう呟きながら、ラインのアプリをタップする。
「ずうっとあなたのことが大好きで、憧れの男の子でしたっ……!」
そこに現れたメッセージ。
【俺が大好きな女の子はさぁちゃんだけだよ。ちゃんと仲直りしたいと思ってるし、それまで他の女の子となんて遊ぶわけないじゃん!】
俺と沙那は、恐らく同じことを考えながらニヤっと笑った。
そう、脳裏に浮かんだ『復讐可能』の四文字を。
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