College Life~大学生活物語~、第一部:無意識の色彩

闊達行雲

第1話:平凡な日常

もぞもぞ、もぞもぞ。


「ん~ぐごっ、はああぁぁ」


大きく伸びをして、天井を見上げる。どこまでも見知った、シミ一つない天井だ。


「あ・・・れ、今日休みだったっけ。ああ、そうか試験終わったんだった・・・」


そう言って、また布団の中に戻って、眠る。そういう日々をここ数日、繰り返していた。

どうも浅い眠りの時、試験に遅れて、あと一単位足りなくて卒業できなかったという親戚の先輩の話を思い出す。そして、それが強迫観念のようになって、眠りを邪魔してくるのだ。大学受験の試験勉強が相当、しんどかったからだろう。

大学に来てからの倦むような日々は、その苛烈な競争状態を緩和するのに、いい意味でも、悪い意味でも、一役買っていた。

冷房のきいた室内の中、また布団を引っ張り出して、眠りにつく。食事も忘れて眠る。前期試験が終了したあと、成績表をとりにキャンパスにいってからは、しばらくの間、そういう日々を過ごしていた。


大学に入学して半年が過ぎようとしていた。


俺、加藤(かとう)航介(こうすけ)は行き場のない思いを抱えたまま大学をうろつき、下宿に帰って寝る。そんな日々を過ごしていた。また夏が終わり、秋がやってくる。合格の喜びはつかの間の幻に消え、待ち望んでいた大学生活は、至極、平凡なものだった。

一般教養の科目履修は、受験勉強に比べてあっけなく終わり、「優・良・可・不可」で判別される成績表で、前期の日程を無事に取得した自分は、大学生活ってこんなものかと至極退屈な日々にあくびを漏らしながら、キャンパスをうろついていた。

高校卒業と同時に、下宿を決め、一人暮らしの準備をし、実家暮らしからようやく抜け出せると胸をときめかせていたころの新鮮な思いはどこへやら。今は、家に帰ると、放っておくと汚くなるから仕方なく整理してある、程よく散らかった部屋が迎えてくれる。

自分の部屋を好きなようにブランディングできることに注力している人もいるにはいるが、そういうものにはあまり興味はなく、見ると自分でも「男の部屋だな」と思わずにはいられない殺風景な部屋の風景が、そこに横たわっていた。

近くには果樹園と小さな小川が流れており、敷布団に横になってボーッと天井を眺めたり、本を読んだりしていると、小川のせせらぎが聞こえてくる。春先には近くに咲いているのか、桜の花が小川に落ち、その花びらが水に乗って下宿の近くにまで流れてきたりする。自分はそれをボーッと眺めている。

ときおり想像上で、その小川に小人になって、その上を笹の葉でできた船に乗って、下ってみたくなる。そういうのは決まって晴れの日、しかも桜の花びらが流れる3月の終わりから4月の上旬ぐらいがいい。小人になってどこまでも、川を下る。ときおりでてくる大きな石のカタマリや小さな小石を避けながら、川をどこまでも下っていく。

そういう想像をしたこともある。そのせせらぎの音を聞いているのが、また気持ちいいのだ。本を読むにも絶好の場所と言える。


「ふう・・・」


ため息を一つつき、空中を仰いだ。雲が流れている。

洗濯物が、夏の風にばたばたとたなびいている。外に出したままの洗濯機にはカバーがしてあるものの、いつ壊れるとも分からないそれを、くすんだ目で見つめていた。

ここ半年くらいの大学生活、そして下宿生活に慣れるための日々に、若干疲れていた。

「自分は何のために、大学に入ったんだろう」。そう思わせるような、投げっぱなしの毎日を、なんとなく不満に思っているのだ。

地面を見やると夏草がコンクリートの隙間から生えていた。午後からは雨になるそうだから、洗濯物を取り込まないといけない。

なんだかんだで一人暮らしは時間がとられる。自炊したり洗濯したり、掃除をしたり、実家にいるのとは大違いだ。その日々に慣れるのだけに戸惑ってしまい、肝心の大学生活を謳歌するということがまったくもってできていないのだ。

「どうしたもんだろ」

そうつぶやいて、周囲を見渡した。パソコンにデスク、本棚、ガラスのテーブル、カーテン、クローゼット。ごくありふれた1Kのアパートの部屋が広がっている。そう考えていると、ふいに、昔のことを思い出した。


以前、自分の将来の夢は何かと、小学校で書く機会があった。自分の性格検査みたいなものだ。IQテストみたいなものと並行してやった結果がある。


その中に、自分は「作家」と書いていた。


自分は将来、小説家とか漫画家みたいなものになりたいのだろうと、漠然と考えている。小説を書いてみたこともあったが、学生の時に開いていた国語便覧に乗っていたような、〇〇賞をとるような作家のことを思い浮かべてみた。


「とても自分にはなれそうにない」 


そういう考えが、すぐに自分の中に生まれてきた。そういう賞や、受賞するような人たちとは縁がない。すぐにそう考えていた。

だが、スマホやPCを通して、最近は小説家になりたい人たち、あるいは文章書くのが好きな人たちが無料で読める小説を投稿して、アクセス数を稼いでいたり、あるいはSNS的な使い方で、そこからネット上で交流を深めたりしている。そういうサイトもいくつか目にするようになった。自分もそろそろそういう活動をしてもいいのかな、と考えたりもしていた。


大学に入って一人の時間が増えてから、学生の時とは違って、勉強することに比重がおかれなくなった。

 

思い返すと、自分はそこそこ真面目に学校の勉強はやった。

勉強すること、座って人の話を聞いたり、何かを学んでテストを受けて、それでそこそこの順位をとって自負心を高めること。そういうことが好きだったのだ。そういう自己の嗜好性と、学校の学力査定システムが、自分に合った。

だから進学校で、朝補習・夕方補習などの時間や、漢字テスト、英単語テスト、数学の計算問題テストなどの細かな試験まみれだった授業もくぐりぬけて、そこそこの成績をおさめることもできた。

友達は少なかったし、勉強漬けで部活もやらず、性欲はいつも持て余していたが、特定の先生には気に入られ、学校で発表した詩作では、優秀賞をもらったこともあった。

そして勉強を頑張って、地元では名の通った「徳成(とくせい)大学(だいがく)」に入学することができたのだ。入学できた時の喜びは、ひとしおだった。合格掲示板を見て自分の番号があったときの、あの感動は今でも忘れられない。


「作家」になりたい。


しかし、○○賞みたいな賞は興味がないとなったとき、どういう活動が自分には合っているのだろうかと考えてみたりもした。


そう進路の問題だ。それが自分の中に大きなカタマリとして、存在していた。

大学一年で考えるには早すぎるとも思ったが、今はネットがあり、漫画や小説の発表の場は、いろんなところに増えてきていた。○○賞と名の付くものにはほとんど興味が惹かれなかった自分だが、アクセス数が低くても、おもしろいものには、興味を惹かれることがあった。そして最初は、PV数が低かったり商品として販売したのが大した売り上げでなかったとしても、徐々に売れて行ったり、そこそこ売れているものに自分は興味をもっていた。


「こういう売れ方は、いいな」


純粋にそう思った。市場自体はたくさんの売り上げを誇る人気作家が牽引していくものなのだろうが、おもしろさでいったらこちらのほうが上だな、と思うものも少なくないようにみうけられた。自分もそういう書き手になってみたい。そのように感じた。


ところがだ。


制作活動はしていてもいいが、一般企業に就職をしてみたいという気持ちもあるにはあった。まだ10代後半で体力も有り余っている。こうして時間を持て余している身でもある。

自分は経済学部を選択したが、地元で「徳大(とくだい)」を出た人なら、一般企業の会社員や、銀行や公務員などを狙っていくケースが多い。

作家なら、文学部などで本格的に文学を学んだほうが有利ではないかとも考えた。「学部を変わってみようか」。そうも考えた。

しかしながら、一般企業も射程にいれて自分は活動をしてみたい。そう考えると、経済のほうが幅ひろく対応できそうだった。


「とりあえず一般企業に就職をして、働きながら制作もしていこう。」


それが現実的な選択肢のように自分には思えた。

そう考えると、何をしたらその生き方にとってメリットがあるだろう。大学時代の今、一年の半分が過ぎようとしているこの時期に、自分がやるべきことって、何だろう。

とりあえず、徳大をでたに相応するような企業に就職をして、そこで収入を得ながら制作をする。

そのためにはきちんとまず、大学を卒業することだ。そして、制作に適した環境を選んで就職をすることだ。そのために、大学時代に数多くの経験を積んで、小説を書くのにいろいろな題材を得ることが肝心だ。まず「経験」だ。そう思った。

そしてそれが元になって、その経験を文章に、「作品」に昇華させるための技術・テクニックが必要になってくる。○○賞というような賞は狙わないものの、すぐれた作品は片っ端から読んで、自分の糧にしよう。


「やること、たくさんあるじゃないか」


そう気づいた。

今まで、何をボーッとしていたんだろう。やるべきこと、やらなきゃいけないことはたくさんある。だが、まずしなくちゃいけないのは「大学時代にしかできないこと=サークル活動」だな。そう思った。そしてそこで今しかできない経験を積み、そのすべてを、創作活動へと昇華させていく。


幸いなことに、最近は投稿サイトで作品を募集するところが複数ある。「初心者歓迎」というようなムードがあるのはありがたい。最初は思いっきり下手な感じもビギナーぽくっていいから、とりあえず投稿してみようと思った。

ひとしきり思考の整理をして、やることが急に増えた感じではあった。考えていると興奮してきて、なかなか寝付けず、「ま、次の日休みだからいいか」と気楽に考えて、深夜まで考えを巡らせていた。


◇◇


次の日。心機一転、活気づいて活動を始めたかと思いきや、そうではなく、再びだるさに体が支配されていた。午後1時半ごろに起きて昼食のような朝食を食べた後、布団に横になっていた。


一人暮らしをしてみて、まず自炊をするようになったことが、大きく変化したこととして思い起こされる。

料理はなかなか奥ぶかい。

朝はトースト、昼は納豆と決めている。たまにカップ麺を挟むが、基本このルーティンは変わらない。サイクルを決めてある分、夜はそこそこしっかりとしたものを作るようにしている。

布団に寝転がって、天井を見上げた。サークルはどのサークルにしようか。まだ付き合っている彼女なんかはいないから、適当なところで水泳サークルなんかがいいかもしれない。ただそういうのができると、制作意欲も削がれてしまうような気がする。

ここは判断するのが難しく、悩ましいところだ。

なんとなくバレーボールサークルなんかにしてみようか、と思った。

バレーは高校の授業の時体育でやったけど、そこそこ動けて、感覚的にやれそうなスポーツだった。下手なところがあるほど、先輩に懇切丁寧に教えてもらえそうだ。

後輩から教えてもらうのは、屈辱的な気がする・・・。

同級生か先輩だな。まあ一年だから後輩がいないのは、至極当然なんだけれど。


「よし、サークルは、初心者歓迎のバレーボールサークルにするか」


そう決めて、少し道が開けた気がした。

後期からの半年は前期のような懶惰(らんだ)な感じではなく、ピシッと引き締まった部分もあるような日々にしたい。そう考えていた。

湯を沸かし、緑茶を腹に流し込んだあと、少し本を読んで眠った。目が覚めると、すっかり夜も更け、深夜になっていた。そこから「制作」にとりかかっていった。

「絵と文章」の選択肢があったが、とりあえず、文章制作を行っていこうと思った。思いついたことを、取り留めもなく書いていく。キーボードのキーに指先を滑らせ、数千字ほど書いたところで手を止めた。どうも小腹がすいてきた。時計を見ると、深夜の2時ごろだった。今日は夜飯を作るのはやめて、コンビニで済ませよう。そう思った。

車は持っていないから、自転車で外出する。幸い、雨は降っていなかった。玄関のドアを閉め、共用の廊下を歩き、自転車の駐輪スペースに行き、チェーンを外す。タイヤの空気圧を確認したあと、勢いよく、チャリをこぎだしてゆく。

しばらく走った後、コンビニまで続く大きな坂を下る。スピードを上げて、一気に下ると、風を切っていき、ぶわっと髪が舞い上がる。自転車の車輪がガタガタ音を立てて揺れる。

車輪が飛んで行ってしまわないか、大丈夫だろうか。ずいぶん前に買ったマウンテンバイクだから、若干心配になる。カゴも、がたがた揺れる。前照灯がジリジリいいながら、前方の暗闇を照らしている。風を切って、風に任せて、坂を下る。スピードがぐんぐん上がる。ついでに自分の動悸も早くなっていく。いつも学校までの道のりの途中に見える留学生などが入っている大きなアパートが見える。また左側には、大きな西洋風の美容室らしきものが見える。そこも通り過ぎていく。するとスーパーが見えてくる。今の時間は、当然、閉まっている。そこの反対側の車線にコンビニがある。

コンビニにつくと「いらっしゃいませー」と店員があいさつをした。「何かあるかな」と、まず本を見に行く。週刊誌やグラビアなんかを軽く見た後、週刊のマンガ雑誌があったので、こちらも軽く見ていく。

そのあと腹が減っていたことを思い出して、弁当のコーナーに行く。「からあげ弁当」があったのでそいつをチョイス。サラダもつける。購入した後、またあの大きな坂を今度は登っていく。下宿にまで至るときの、体への負荷が半端ない。

ギシギシいう自転車でギアを軽めに入れて立ちこぎをしながら、なんとか坂を上りきって、下宿まで帰宅した。

そして夜食。

食事後、改めて制作に取り掛かる。深夜のほうが自分は制作がはかどるらしい。食欲が満たされたことも手伝って、筆が進む。

初めて出す作品だから、そんなに肩ひじ張らないものを出したい。ただし出版するからには、クオリティに注意する。そして、ある程度売れてほしい。だから目指す目標となる作品の研究もしないといけないな、と感じていた。

だが他者の研究も大事だが、もっとも大事なのは「自分が何を書きたいか」だ。内容は、できる限り自然体に、自分の中学生時代の生活を綴ったものにするのがいいように思えた。女子大生なら「JDの日常」といった感じになるだろうが、思春期特有の自意識の絡まった感じや心の動きの動静を書いてみたい。それをできるかぎり写実的に綴っていけばいいのではないだろうか、と考えた。

自分自身が経験してきた中学生時代を題材にしながら、文章的に肉付けを施して、文に厚みをもたせるようにすればいい。結構いい感じで書いていけそうな気がした。

夏の夜の風を、冷房を止めて感じてみると、乾いた洗濯物が風になびくのが見えた。虫が入ってくるといけないので、網戸を閉めたが、下宿の灯に誘われて、虫たちが寄ってきていた。弁当の殻が、雑然とテーブルの上に置いてある。


典型的な、10代後半~20代前半の男の、下宿の部屋だ。


冷蔵庫から作り置きをしていた麦茶のポットを取り出してきて、それをグイッと飲む。20歳未満だから、飲酒はできない。からあげを食べたついでに、こういう時は一杯酒を飲みたくなるものだが、そこは我慢した。

あけてある窓からは、夏の夜風が生ぬるく、全身にまとわりつく。その夏特有の風に、身を任せる。

いろいろな人の数だけ、主観があり、いろんな学生が様々な体験をしながら、大学生活を送っている。いや、大学生だけではない。この瞬間にも、会社員、自営業の人、公務員、消防士、不動産屋、建築家、大学教授、パート、バイト、フリーターなどいろんな状況でいろんな立場の人が、様々なことを思い、自分たちそれぞれの生活を送っている。

その主観の数だけ、生きられている世界があり、それぞれのドラマがある。

そう思うと、千の窓の灯の向こうに、さまざまな煌めきをもった世界が、ゆらめきながら展開しているように思えて、不思議な感じがした。当然、自分もその中の一つに数えられる。その日々を、そして特に学生生活最後の期間となるであろう4年間を、貴重なものとして過ごしていきたい───。

そのためにはと言ったら変だが、その日々の有様を、思考のありようを、克明に記録していく。そういう作業は後から振り返った時に、かけがえのないものになるだろう。あの時、あの瞬間、あの場所で、自分は何を考えて、呼吸をし、生きていたのだろう。そういう記憶を記録にし、したためておきたい───。そういう欲求があることに気づかされる。

こういった日常の何気ない一コマも、文章にはなってくれる。そしてその積み重なりが、やがて、大きな自分の“生”を形作っていく───。

毎日を写真でも撮るように、いたずら書きのグラフティのように絵にしたり、あるいは文章にしたりしながら、残していく。

そうやって学生生活の一瞬の光り方をファインダーにおさめていきながら日々を過ごしていけば、現実ももっとおもしろくなるのではないか。

そう思った。

平凡な毎日が、まどろみから少しずつ醒めていくように、認識がはっきりとしてきた。深夜の時間帯だったが、朝まで加速して書いていけそうだ。書いたらごほうびに、また自転車で坂を下って、牛丼屋の朝食でも食べたらいい。あれ、安くてけっこう旨いのだ。

再び自転車で大きな坂を下って、さっきのコンビニとは逆方向の牛丼屋に行くことを想像してみる。朝もやがまだ煙る住宅街を見下ろしながら、ガタガタいう自転車の車輪が外れないようにしながら、橋を渡り、公園を抜けて、また住宅街を抜ける。風を感じながら、自分が呼吸をして、生活をして、心臓を動かして、生きている。そう実感する。そんな瞬間だ。


平凡な毎日が、ちょっとした気づきから、開けてきた。


「よし、マイペースだけど、少しずつ進めていってみるか」


そう思いながら、煌々と光る下宿の部屋の中で、PCのキーを叩き始めていった。

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