そうだ、梅雨の時期は楽しよう
雨が降っている。雨だれのビシャビシャという音を耳にしながら、私はその日の午前の営業のノルマを終えた。午後の仕事の準備を済ませてから、昼食を摂りに下に降りる。
うーん……こうも暑いのか寒いのかわからないと、食べるものにも困るし、それ以前に食欲が沸かない。でも全くなにも食べないでいたら、夜中にお腹が減って目が覚めてしまうから考え物だ。
あまりにも暑いからと、このところは楽に食べようと冷凍うどんを買い込んできて、それを電子レンジでチンしてばかりいる。本職の春陽さんに怒られそうだなと思いながらも、私は台所に降りていった。
春陽さんは春陽さんで、既に秋物料理の撮影にかかりっきりになっている。まだ夏でもないのに、もう秋の写真を撮らないといけないのは、食材集めも含めて大変そうだ。かぼちゃのプリンの写真を撮っているのを眺めながら、私が冷凍うどんを漁っていると。
「終わったぁー」
春陽さんは伸びをした。
「ああ、お疲れ様。そのプリンは?」
「食後のデザートにでもしようと思います。美奈穂さんはいかがですか?」
「うーんと、じゃあいただこうか」
「はい、どうぞー。あれ、今日は昼ご飯なに食べるんですか?」
春陽さんは、夏場でも全然食欲が落ちてないからすごい。
私は感嘆の声を漏らす。
「すごいね、春陽さん。今って結構湿気ているから、結構食欲落ちそうかなと思うけど」
「うーんと、結構私、力仕事もやっているせいで、あんまり食欲落ちることはないですね。料理は力仕事です」
「なるほど。羨ましい」
「まあ、食べ続ける仕事ですから、胃に負担が来ないように、半日くらい断食することはありますけどねえ」
「半日断食って、それ意味あるの?」
「あると言っちゃありますよぉ。少なくとも食べ続けるよりは」
食べるのが仕事の人も、なにかと体の調子は整えているものらしい。なにごとも体は資本だ。
私が冷凍うどんを取り出しているのを見て、春陽さんは目を瞬かせた。
「夏場だからって、結構美奈穂さん、うどん食べ続けてますねえ」
「なにも食べないよりはいいかなと。本当に食欲落ちているときは、なにも食べられないし、一時期ヨーグルト以外が体が受け付けなくってしんどい思いしたことあるから、それに比べれば大分食べてる」
「ヨーグルトだけっていうのは、かなりきついですねえ……」
「まあ、世の中便利になったと思うよ」
冷凍うどんはビニール袋を剥いで、電子レンジでチンする。その間に冷蔵庫の野菜を漁る。この時期になったら紫蘇とミョウガ、生姜を千切りにして水でさらした薬味は、私と春陽さんが常に常備している。彩りもいいし、なによりも手軽に野菜が摂れるのがいい。
薬味を取り出し、あとサラダチキンを取り出す。この近所にはコンビニがないからすぐには買えないけれど、春陽さんが自主的に鶏胸肉を買ってきて、それでサラダチキンを錬成しているから、いつでも手作りサラダチキンを食べることができる。
「春陽さん、このサラダチキンって撮影に使いますか?」
「あ、これは単純に鶏スープつくりたくってつくったサラダチキンですから、食べちゃって大丈夫です」
「ありがとー。あと梅干しもらっていい?」
「どうぞー」
普段春陽さんが漬けている梅干しを二個ほどいただくと、それを包丁で種を取ってから、刻みはじめた。
電子レンジでチンしたうどんは水で洗って締め、ざるで水切りを済ませたら、麺ボウルに入れる。サラダチキンを割いて載せ、そこにゴマドレッシングを回しがけする。最後に梅干し、薬味を載せたら夏でもさっぱり食べられる冷やしうどんの出来上がり。
つくる手間は同じだからと、そのまま春陽さんの分も用意した。
「わたしもいいんですか?」
「プリンもらったからお礼で。まあ本当に手抜き料理だけどねえ」
「充分ですよー。いただきまーす」
ふたりでずるずると冷やしうどんを食べはじめた。
世の中の冷凍食品に無限に感謝だ。今までは茹でなかったらうどんにありつけず、暑過ぎて台所に立つのが嫌だった人間が、電子レンジでチンして水で締めるくらいだったらできるようになったから、夏場にひたすら暑くて台所に立つのが嫌だと、お茶漬け以外食べない生活から、少しばかり進歩した。
「この時期、結構なにをつくっても傷みますから、それ考えたら冷凍うどんって偉大ですよねえ」
ずるずるうどんをすする春陽さんが言う。そりゃそうか。フードコーディネーターはひたすら料理をつくるのが仕事だから、食べ終わらない内に傷んでしまうのは嫌なんだろう。私は頷いた。
「カレーも、この時期はつくって冷めたらすぐに冷蔵庫に入れないと怖いしねえ。味噌汁もスープもソースも……」
「食べきりの量って、地味にきついですもんねえ」
「大家族だったらともかく、ふたりだったらねえ……」
大勢に料理を振る舞うのが得意な人はそうでもないんだろうけれど、大人数に料理を振る舞うのはそれはそれできついもんなあ。だからと言ってふたりで食べきれる量つくるのも、それはそれでもったいない。野菜の量も肉の量も、ふたり分って半端過ぎてどれかが残るから、残った食材の使い道について延々と考えないといけないからだ。
でも、ひとりの食べきりサイズに頭を悩ませていた頃よりも、食べきれずに泣く泣く捨てる食材が減ったのは事実だ。
春陽さんはうどんをすすりながら言う。
「今度はカレーうどんつくりましょうか」
「えー……春陽さん。カレーうどんって、ふたり分だけで完結しますか? 大人数分のカレーつくるのは、この時期だったら大変でしょうし」
「そうでもないですよ。カレーをつけ汁にしてしまえば、カレーうどんもつくりやすいかと思います」
「あー、つけ麺の発想」
ラーメンのつけ麺。あれはあれでおいしいとは思うけど、食べている内につけ汁が冷めてしまうのが難点。それにそもそもこの時期にカレーをつくるのは大変じゃないか。だって鍋で煮込まないとつくれないし。
春陽さんは「んー……」と言いながら、うどんを丁寧に薬味ひとつ残さずに食べきった。
「やろうと思えばできると思いますよ。ごちそう様です。この組み合わせって定番ですけどおいしいですよね」
「お粗末様でした。そうなんだ? あ、プリン食べていい?」
「どうぞー」
かぼちゃプリンの甘みに、午後からの仕事も頑張ろうと思いつつ、春陽さんのカレーうどんについて考え込んだ。
どうする気だろう。
****
次の日、午前の仕事を終えてご飯を食べに下に降りたとき。
春陽さんはガラスのボウルになにかを入れているのが見えた。カレールーにトマト缶、オイスターソース、あと冷蔵庫に残っていた野菜を適当にみじん切りにして放り込んでいるのが見える。
「ご飯つくりに来たけど……本当にカレーうどんつくるの?」
「はい。まああくまでカレーうどんですから、主役はカレーにしようと」
「はあ……」
ガラスのボウルに材料を入れたらそのまんま電子レンジでチンした。電子レンジから漂ってくる匂いが、間違いなくカレーだ。そしてそこに、サラダチキンを割いて入れる。
次に電子レンジでうどんを温めてから、水切りして麺ボウルに移すと、先程つくったカレーもカフェボウルに移し替えた。
見た目だけだったら、たしかにカレーのつけ麺だ。でも煮込んでないから、味はどうなんだろう。
「それじゃいただきまーす」
「いただきます」
うどんをカレーのつけ汁に漬けて、食べる。……あ、おいしい。
「そっか、つけ汁だから、麺に絡めばそれでおいしいんだ」
「はい。あんまりさらさらし過ぎても食べにくいですけど、あくまでメインはうどんですし。カレーうどんって、カレーをメインにしても、うどんがメインだからカレースープが結構残っちゃって捨てないといけなくって切ない気分になるじゃないですか。だから楽に全部食べ切れたら嬉しいなと」
たしかにつくった方からしてみれば、一生懸命つくったカレースープが全部流しに流されてしまったら切ない。少量の結構うどんに絡むほどの粘りがあったほうが、たしかに全部カレーを食べ切れてしまうんだなあ。
気付けばカレーうどんはたしかに全部消えていた。
「ごちそう様……最初は電子レンジでつくるのって大丈夫かと思ったけど、おいしかった」
「お粗末様です。はい」
この時期、台所に立つのは本当にしんどいから、時短レシピで立つ時間を減らすっていうのは、かなり重要だよなあとしみじみと思った。
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