2022年11月14日_カラスウリと積極的ニヒリスト

 カラスウリという植物の花が不気味だった。テレビで見た。

 五枚の白い花弁のフチは蜘蛛の巣のように広がり夜闇のなかで存在を訴える。妖しく不気味だ。

 番組では、ジュディオングの衣装みたいだと言っていたが、そんな綺麗なものではなかった。

 表面積を広げて夜の少ない明かりを拡散することで闇の中でも存在感を主張することがカラスウリの生存戦略だという。その方法で子孫繁栄してきた実績があるしすごいなと思うけれど、申し訳ないがどうしてもビジュアルが受け付けない。カラスウリも私に受け入れてほしいと考える知能はないだろうが。

 どうしてあんな形になったのだろうかと考える。

 生き物の進化ってのはだいたい結果論だったはず。生き残ったので生き残れた。生き残れたものに似たものが次の世代を生んだ。それがまた生き残れたら……という連鎖。

 前に面白い話を聞いた。

 生き物はどうして繁殖するようにできているのかという問いに対するアンサーだ。

 答えとしては、繁殖しなかった存在は次の世代に残らなかったので、繁殖しようと思った個体たちだけが生き残り続けた結果、生き物というのは繁殖をつづけることになった、という説だ。

 生きようと思ったから、とか感動的な話ではなく、反応として繁殖を選んだ個体がいた結果、今の今まで命は繋がってきたという話だと解釈している。

 カラスウリがその形になっていることは選択の結果ではなく、偶然の連鎖であり、意図はない。

 当然私が私であることにも意図はない。

 別に急に虚無主義を訴えかけているわけではない。私は私の存在に意図がないことに対してポジティブなのだ。

 私という個体に意図がないというのはありがたいことだ。もし意図があったらその通りに生きなければいけないという不可視の力が働いてしまう。それはめんどい。

 私という生命に意図がないということが世界から担保されているようで気が楽になる。意味とか自分で決めちゃっていいんだぜ。ラッキー。積極的ニヒリストなんだと思うよ私は。

 私の自由は生命の歴史が担保してくれているんだと思うと明日もちょっと頑張れそうだ。


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