猫の瞳に映る虹
来ノ宮 志貴
第1話 気楽に生きる
近頃、こころが軽い。
「良い子」をやめたからだろうと思っている。
別に「悪い子」になったわけではない。
そうなろうとしているわけでもない。
ただ、昔から私の中にあった『緊張感』を捨てたいと思い、手放そうと心がけていることが、精神の安寧につながっているのだと思う。
この『緊張感』とは、或いは「固定概念」とか、「強迫観念」とか、「世間体」とか、そんな風に言われるものかも知れない。
または、もっと掴みどころのない、「○○しなければならない」とか「○○でなければならない」、「○○してはいけない」と言う、決めつけ押し付けられたもの。
それらは多分、私の中で、ひとつの大きなガラス玉のような存在で、硬くて簡単には割れない。でも、ひとたび衝撃を受ければひびが入って砕けてしまう煩わしいものだった。
厄介な存在は、若かった私を鎖で繋ぐように雁字搦めにしていた。
女の子だから、長女だから、家族だからと、子供には無用な責任を押し付けられ、視界は狭まり、心は固まり、思考は余り機能しなかった。
親や大人たちのいう「良い子」であろうとした私は、大人っぽく見えるのは外側だけで、中身は誰よりも子供だったように思う。
しかも、柔軟性や可愛げが欠けた厄介な子供だ。
四十路を目の前にした今、そんな昔を思い出すと、随分哀れでならないし、家族以外の大人が、この爛れた子供に気付かなかったはずがないと思うと、何とも言えない気持ちになる。
三十路を過ぎて結婚し、35歳で子供を産んだ。
「この子は、私のようにしてはならない」
妊娠中から、そう強く思って必死だった。
必死過ぎて、自分に無理を強いてきた。
他の人にはその無理を強いるつもりは無かったが、私の張り詰めた雰囲気は、さぞかし周囲にも緊張を抱かせていたに違いないと、最近になってようやく思い至った。
夫もさぞかしやりにくかったことだろう。
しかし、幾ら顔や思考、食の好みが似通っていようと、息子は息子であって私ではない。
息子は私とは違う人間なのだ。
だから、「私のよう」にはなり得ない。
私はもっと、彼と言う一個人を、見守っていけば良いのではないか。
そう思えるようになるまで、随分時間がかかってしまった。
みんな真面目過ぎるのかも知れない。
そう、私だけじゃない。みんな。
もっと気楽に生きればいい。
掃除機を軽くかけ終わったら、
珈琲を淹れて、
好きな映画を聴きながら、
大好きな編み物をする。
そして時間になったら、
子供を幼稚園へ迎えに行く。
お風呂には早めに入って、
歯磨きは忘れずに、
ちょっと頑張りましょうかね。
そして、寝る前には絵本を3冊読んで、
寝かしつけたら次は猫を吸って。
最後にカフインレス珈琲を一杯。
今日も、そんな1日にしよう。
私はわたし。
少しずつ、明日に向かって行けばいい。
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