4 遠くとおく

 追いかけるように慌ててドアを開けると、会議室の外に今度は僕の母さんを見つけた。


「あれ? 母さん?」


 立花のお母さんと僕の母さん。

 2人は顔見知りのようで、立花のお母さんが忙しなく僕の母さんに頭を下げている。母さんはすこし困ったように笑いながら(当然のように僕のことは無視して)それに応えていた。


 意外で、なんだか異様な光景だ。

 突然の母さんの出現もあって、結局僕は立花に名前も何も言えなかった。


 母さんはというと、立花たちを見送った後に2階の体育館へと向かった。そうか、今日は母さんのヨガレッスンがあるのか。


 ぼちぼちと他の参加者たちも体育館にやってきて、穏やかな音楽を流しながらレッスンがスタートした。母さんのヨガのポーズを真似ては「手が届かない」「足が曲がらない」とママさんたちの笑い声も飛び交っている。母さんも楽しそうだった。全員で10人くらいかしら? 中には、もうお腹が大きな人もいた。


 手持ち無沙汰な僕は、うろちょろと窓の外に目をやった。真っ青な夏空に大きな入道雲が見える。その白いキャンバスに、デッサンをしていた立花の横顔を思い浮かべてみた。

 夏光かっこうに照らされて、白くて妖精みたいで、目がほとんど見えない彼女。僕なんかでは想像もできないような大きな困難もきっと多いだろう。なのに、立花はだった。光の無い視界で、絵を描いていた。対象モチーフに触れて、確かめて、綺麗なメロンが出来上がる。そんな立花とくらべて、夢ハウスの暗闇にくよくよと怯える僕がちっぽけに思えてきた。夢の中でポツリと建つ社。その奥に秘めた謎。僕は、暗所恐怖症を盾にして逃げてばかりなのに……。


 2階から見下ろす夏の田舎町は、爽やかだ。田んぼの稲穂は心地良く風にそよぎ、新緑に染まる山の木々たちは、紺碧こんぺきの夏空にあと少しで触れそうなくらい精一杯手を伸ばしている。


 しばらくして、体育館からママさんたちが出ていった。レッスンが終わったらしい。音楽も止まっていて、体育館には後片付けをしている母さんがひとり。


 無視されると分かりながも、僕は母さんに話しかけてみた。


「さっきさ、立花さんと何を話してたの?」

「……」


 ほら、やっぱり無視される。


「ねぇ、ひかりって女の子知ってる? 目がほとんど見えなくて、僕よりひとつかふたつ年下の」


 母さんがぴくりと反応する。ヨガマットを畳む手を止めて、振り向いてくれた。


「え? やっぱり知ってるの?」


 しかし、僕と目が合わない。母さんは体育館の入口の……ううん、もっと、ずっと遠くを見つめていた。

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