無駄

 なにかが体の中でうごめいている。

 感情があふれ出すように、言葉が口をついて出る。

「どうやって殺したっていうんだ。鍵は閉まっていた。どうやって殺したあと鍵を美術室の中に入れるんだよ!」

 嘉勢は上野の死体発見の現場にはいなかった。鍵は入れられない。

「それだけじゃない。準備室の扉の内側には、血がついていたんだ。そうなんだよね、中島さん」

 中島さんは小さく頷く。怯えたように身を縮めている。

 芹澤さんは動じず、目を細める。

「だからなに」

「上野を殺したところで、血を踏まずに準備室からは出られない。扉を開ければ、内側についた血に傷をつけてしまう」

「よくわかんないけど、重要なの、それ」

「殺したっていうなら、その方法を説明してよ」

「うざいなあ。じゃあ、こういうのはどう。うち、運動靴を忘れてったじゃん。上野の死体を見つけた日は、それをとりにきてたんだけど、あれを使ったんじゃないの? あれで上野の血を渡ったんだよ」

「靴底に血でもついてたの?」

「残ってるわけないじゃん。どんなばかなのよ。洗ったんでしょ。靴はもともと前の日の体育で濡れてたから、あらためて濡らしてもわかんないし」

「靴はどうやって戻すんだ」

「うちが見つける前にもとの位置に返せばいい」

「じゃあ、上野の死体を発見したやつの誰かってことじゃ――」

 ふいに言葉を失う。

 上野の死体を発見した人たち。密室をつくれる人たち。

 芹澤、中島、竹村、萩尾。

 ――上野を殺したのは芹澤だから。

 萩尾の言葉。くまたろうの解説?

 もうどっちでもいい。

 散らばっていたものが瞬時にかたちをなす。体の中でのたうっていたなにかがある一定の運動をはじめる。

 なにかがぼくの体に宿る。

 そうだ。そうだったんだ。

「きみが上野を殺したのか」

「は?」

「上野は嘉勢との待ちあわせにこなかった。なぜなら、すでに準備室で死んでいたからだ。きみが殺したから――」

「ばかじゃないの」

 困惑の表情で芹澤さんは声をあげる。ぼくは無視する。

「きみなら鍵を美術室の中に置くことができる。靴だって使える。いま自分で説明したとおりじゃないか。きみは上野にかまってもらえなかった、だから突発的に殺した。そのうえ、嘉勢の境遇につけこんで、上野の遺品まで奪おうとして!」

「ふざけんな! ワケわかんないこといって」

「じゃあ、どうやったら嘉勢に上野を殺せる。どうやったら密室をつくれるんだ」

「知らないし、そんなの。説明する必要ある? べつに殺さなくたっていい。あの女がなにかいって、上野を自殺に追いやったんだ!」

「そんなのがとおると思ってるのかよ」

 芹澤さんの目に残忍な色がちらつく。

「みんなそっちを信じるよ。あいつが悪いんだって、みんな思ってる」

 ぼくは口をつぐむ。剣崎も中島さんも、上野の自殺は嘉勢が原因だと疑っていた。そしてぼく自身も、すこしでも嘉勢を疑わなかったといいきれるか。

 いや、嘘だ。

 ぼくは何度も疑っていた。紙切れを見たあの日から。

 嘉勢が、上野を――。

「ついでに、見せてあげる」

 芹澤さんは口もとを笑みで歪ませ、ぼくに勢いよく掌を突き出した。

 目をみはった。

 白く痩せた手には、くたびれた革のベルトの腕時計があった。

「嘉勢に訊いたら、あいつはこれをうちにくれた。自白にも等しいと思うけど、木皿儀くんはどう思うわけ?」

 ぼくは答えられない。

 口を開いても、まともに話せる自信がない。

 嘉勢、どうして。きみは、ぼくたちの協力を、すべてふいにしてしまった。

「殺した証拠にはならない」

 ようやくそれだけいう。

 芹澤さんは生き生きと笑う。

「そんなことどうでもいいんだよ。これが手に入れば」

「なんだって脅迫状なんか送りつけたんだ。そんなことしなくたって、最初から嘉勢を脅せばよかったんじゃないのか」

「は? うちが出したなんていってないじゃん」

「きみは嘉勢が美術室にいたことを知っていた」

「見ていたやつがいたの。いいがかりはやめてよ」

 したり顔でそういって、芹澤さんは腕時計をスカートのポケットにしまう。

「嘉勢が殺したと思ってる人間はいっぱいいるよ。そのうちの誰かが出したんでしょ。うちは出してないけど、嘉勢が殺したって知ってただけ」

「撤回しろ。嘉勢はやってない」

「あーもう、うっざいなあ。じゃあ撤回するよ、嘉勢は殺してない。ただ嘉勢はうちに上野の遺品を譲ってくれただけ。いいコだねえ」

 どーでもいいっつうの、と吐き捨てるようにいって、芹澤さんは立ちあがる。明るい声色に変えて、中島さんにいう。

「じゃあ、帰ろっか。胡桃」

「でも、はーちゃん」

「積年の恨みは晴らしたって感じだよ。たった二か月の、だけど。あはは」

 芹澤さんは鞄をひっ掴む。出入り口に向けて歩き出す。

 ぼくは椅子に座りこむ。動悸が激しい。涙が次々あふれてくる。ふたりからはさぞ無様に見えるだろうけれど、もう体面をとりつくろう気も起きない。

 さっきまでの会話が反芻される。解決策なんて思いつかない。

 いや、解決する必要なんてないんだ。助けを求めてきた嘉勢がおりた。萩尾も、もうくだらない妄想をばらまかなくていいし、ぼくもそれにつきあわなくていい。怒ったり悲しんだりするのは、自分の領分をはき違えているからだ。

 なにも思わなくていい。黙って通りすぎて、日常に帰ればいいんだ。

 ほんとぜんぶ無駄。

 事実も、推理も、魔法も。

 なのに、どうしてこんなに悔しいんだろう。

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