一七章 宰相・昴はかく語りき
「見事だ。君が強いことはわかっていたが、まさかその人形まで倒すとはな。予想以上だった」
黒衣の宰相はそう言った。
その口調といい、表情といい、本気で感心しているようだった。しかし、そんな
「あなた……どうやって、ここまできたの?」
声にもわずかだか戸惑いの跡がある。
実際、昴がいま、この場にいるはずはなかった。自分が登ってきた床の穴は空飛ぶ円盤によってふさがれている。そこ以外どこにも、この塔を登ってくる場所はないはずだった。
黒衣の宰相はあっさりとメインクーンの疑問を認めた。
「私は君の前にいるわけではない。いまも王宮の自分の部屋にいる」
「どういうこと?」
だって、現にここにいるじゃない。
メインクーンともあろう者がそんな疑問を発するのは生まれてはじめてのことだったかも知れない。
「私の体にさわってみたまえ」
昴はそう言った。
メインクーンは素直に従った。昴に近づき、手を伸ばした。すると――。
「これは……」
メインクーンは軽く目を見張った。
基本的に表情の動かないかの人にしてはかなり大きな驚きの表情だった。
それも無理はない。メインクーンの腕は何の抵抗もないままに昴の体を突き抜け、向こう側に突き出していたのだ。
「……
光を曲げることで自分の身が実際にある場所と、姿の見える場所をずらす。
そんな魔法があることは知っている。しかし、蜃気楼の魔法は確か……。
「いや、ちがう。蜃気楼の魔法ではない」
昴が首を左右に振りながら言った。
「蜃気楼の魔法は自分の姿を少しばかりずらして見せるだけだ。効果範囲は極めて狭い」
「ええ。そう聞いているわ。横に一~二メートルずらすのがせいぜいだって」
「その通りだ。これはちがう。遙か遠く離れた先まで自分の姿を運ぶことができる」
「遠く離れた場所に?」
「そう。この大陸の端から端まで運ぶことも可能らしい」
「端から端まで⁉」
さすがのメインクーンが驚きの声をあげた。
そんなことが出来るなんて聞いたこともない。
「いったい、どうやったらそんなことができるの?」
「不明だ」
「不明って……」
「すべては第一文明期の遺産がやっていることだ。君をそこまで運んだ円盤の上の人形と同じにね」
「この人形と……」
「そうだ。第一文明期の遺跡からはそのような人形がよく発見される。見た目から単純に〝
「どうやったら、こんな人形に魔法を使わせることができるの?」
「不明だ。研究を重ねた結果、どうすれば人形に込められた魔法を発動させられるかはわかった。しかし、そもそもどうやって魔法を使えるようにしているのかはまったくわかっていない。我々の研究者は『原理を解明し、複製を作れるようになるにはあと一〇〇年はかかる』と言っている」
「……一〇〇年、ね」
メインクーンは呟いた。
そんなに長い時間がかかるなら、自分の人生とは無縁の代物のようだ。
「実のところ、発見される人形の大部分は寿命が尽きているのか、どうやっても魔法を発動させることは出来ない。だが、何しろ、発見される数が多いので、使える人形の数もそれなりにはなる」
「そんなに多く見つかるの?」
「おそらく、かの時代においては広く普及していた道具なのだろう。おかげで当時の人々は限られた数の魔法使いに頼ることなく、魔法の恩恵を受けられたというわけだ。君をそこまで運んだ円盤もそのひとつだよ。第一文明期には空を飛んで移動するのは当たり前のことだったと推測されている」
「空を飛んで……」
空を飛ぶ。
それは、いまの時代では飛翔を使える魔法使い以外にはあり得ないことだ。しかも、ほとんどの魔法使いは自分ひとりが飛ぶのが精一杯なので『魔法使いに頼んで空を飛ばせてもらう』ということもできない。それが、『誰でも道具を使って簡単に空を飛んで移動できた』なんて。まさに夢のような話だ。
「いや、ちがう。夢ではない」
メインクーンの表情から内心を察したのだろう。昴はそう告げた。
「現実だよ。ただし、いまでは過ぎ去り、幻となった現実だがね。しかし、過去にはたしかにそれが当たり前であった時代があった。そのことは君が身をもって体験したとおりだ」
「……たしかに。そんな時代がなければ、あの空飛ぶ円盤もないわけよね」
「その通りだ」
昴は満足そうにうなずいた。
生徒の理解力の高さに満足する教師の態度だった。
「想像してみたまえ。道具を使って当たり前に空を飛んで移動できる時代を。地べたを這いずり回り、巨大な怪物や魔物たちに襲われる危険を冒す必要はない。安全に素早く、どこにでも行ける。そんなことができたらヒトと物の移動はどれほど効率的になるか」
そう語る昴の声と表情には、恋について語る乙女のような
「それだけではない。こうして、遙か離れた場所まで自分の姿を送る技術もあった。気付いていると思うが、この技術が送れるものは姿だけではない。声も送ることが出来る。つまり、かの時代には大陸の端と端とで当たり前に会話が成立していたわけだ。ありとあらゆる情報が一瞬で大陸全土で共有される。そんなことが出来ればいまのように各地域ごとに分断して存在する必要はない。全大陸がひとつとなり、人類はいまよりずっと効率的な発展が見込める」
それは確かに納得できる話だった。ラ・ド・バーン大陸の各地域が分断されているのはまさにそれが理由なのだ。いまの時代、声の届かない遠方まで情報を伝えようと思えば、いちいち地べたを移動してその場所まで行かなくてはならない。
書を運ぶにしても、伝言を言付けるにしても、恐ろしく長い距離を、過酷な大自然にさらされながら運んでいかなければならないのだ。
時間がかかる。
旅の途中で使者が生命を落とし、情報そのものが失われることも少なくない。
そのために各地域を結ぶことができず、それぞれに独立して存在するしかない。
それがもし、昴の言うように一瞬で大陸全土で情報を共有できるようになったら……。
すべての人があらゆる事業に参加できる。世界中の知恵と資金を集め、巨大な計画を遂行できるようになる。そうなれば世界はいまとは比べものにならない発展を見せることだろう。しかし――。
ふいに聞き慣れない音がした。
メインクーンは音のした方を見た。目を見張った。メインクーンの長刀によってその身を貫かれ、壁に縫い付けられた人形。すでに機能停止に陥っていたはずのその人形が動いていた。しかも――。
「再生している⁉」
メインクーンはとっさに身構えた。
人形の体に変化が生じていた。メインクーンの長刀によって貫かれた胸の穴が徐々に狭まり、消えていく。回復魔法によって傷口がふさがっていくのを見るようだった。
「構える必要はない」
昴が静かに言った。
「君はすでに最上階を制覇した。一度、最上階を制覇したものにその人形が襲いかかることはない」
言われるまでもなく、危険がないことはわかっていた。
首筋の毛が一本たりとそそけ立っていなかったからだ。
もし、この人形がまだ殺意をもち、メインクーンを襲う気があったなら、とっくにそのことを本能が察知していた。本能は即座に警告を発し、首筋の毛がそそけ立っていたはずだ。それがないと言うことは、
『人形にはすでに危険はない』
そう獣の本能が判断したと言うことだ。
人形は昴の言葉と獣の本能を証明するかのように、ただ静かにメインクーンの側を通り過ぎた。
ごく静かに、穏やかに。
そして、もといた位置に戻ると二本の剣を自らの体に突き刺した。最初の姿勢に戻り、そのまま――。
動かなくなった。
昴の声がした。
「そして、新しい挑戦者が現れるまでそうしてじっと待ち続けるわけだ。それこそ、何百年でも、何千年でもね」
「挑戦者って……ここはいったい、なんなの? 訓練場かなにか?」
「遊技場だ」
「遊技場⁉」
「おそらくそうだろう、と、研究者たちは言っている。どうやら、第一文明期にはこのような場所が各地にあったらしい。いまではほとんど残っていないがね。腕自慢の猛者たちが塔の制覇に挑戦していたらしい。あくまでも娯楽としてね」
「ちょっとまってよ。娯楽って……最初の頃の敵ならともかく、この近くの敵はかなり手強かった。そこの人形にいたってはわたしでさえ紙一重、いえ、一か八かの賭けをしなければ倒せなかった。大陸中でも、こいつに勝てる冒険者はそうはいないはず」
「だろうな。現にこの地が王都メグとなって以来、無数の戦士、冒険者が塔の制覇に挑んだが、その人形を倒したのは私ひとりだ」
今日、君がめでたくふたりめになったわけだがね。
昴はそう付け加えた。
「紛れもない化け物というわけね」と、メインクーン。
「そんなやつを遊びで相手にするなんて……第一文明期のヒトは化けものぞろいだったわけ?」
「いや、そう言うわけではないようだ。当時でも塔を制覇できる人間などめったにいなかったようだ。制覇した人間は英雄となり、巨万の富と名声をものにできたらしい」
もっとも、と、昴は自嘲気味に付け加えた。
「乏しい資料をかき集めて調査した結果の推測だから、確かなことは言えないがね」
「じゃあ、なに? 第一文明期のヒトは、遊びのために多くのヒトを死なせたわけ?」
「それもちがう。あくまでも娯楽だ。この塔に出現する敵には相手を殺さないよう制御機能が付いている。もちろん、そこの人形も例外ではない」
「制御機能? そんなものがあるようには思えなかったけど」
人形から感じた殺気。
あれは紛れもなく本物の殺意であったはずだった。
「挑戦者が元気なうちは殺意をもって攻めてくる。だが、挑戦者が生命の危険が迫るほどに傷ついた場合や、戦意をなくした場合は即座に攻撃を停止するように出来ている」
はああ、と、メインクーンは息を吐き出した。
「至れり尽くせりじゃない。あんな再生機能をもった人形を作れるだけでも驚きなのに、どうやったらそんな都合のいい仕組みにできるの?」
昴の答えは容易に想像できるものだった。
「不明だ」
「やっぱり、それ?」
「遺憾ながら、その通りだ。第一文明期の技術は我々にはまだまだ解明しきれない。それほどに、かの時代の文明は優れていたと言うことだ」
「『塔から魔物が出てくる』というのは嘘だったの?」
「それは嘘ではない。完全な事実だ」
「遊技場なのに?」
「本来はそんなことはなかったのだろう。だが、長い年月の間に何らかの欠損が生じていると推測されている。そのために一定時間、ゲームに挑まずにいると塔内部の魔力が高まりすぎて魔物の姿を取り、外に這い出してしまう。それを防ぐために討伐隊を送り込んでいる」
「ゲームとして?」
「そうだ」
メインクーンは溜め息をついた。
「たかがゲームのために作られた塔にそこまでの機能があるなんてね。いったい、第一文明期ってどういう時代だったの?」
「不明だ。わかっていることはただひとつ。我々には想像も付かない高みに至っていたと言うことだけだ」
「そんな優れた文明がどうして滅びたりしたの?」
「不明だ」と、昴は繰り返した。
「何しろ、第一文明期が滅びたのは七百年から昔のことだ。そして、大崩壊期の五百年の間に多くの資料が失われてしまっている。ただ……」
「ただ?」
「第一文明期の晩年、いや、大崩壊期のはじめと言うべきかな。その頃には人間同士のの争いが頻繁に起こっていたことだけは確かなようだ」
「人間同士の争い……」
「そうだ。愚かしいとは思わないかね? せっかく、それほどの文明を築いたというのに人間同士の争いで滅ぼしてしまうなど。そのせいで我々は一からやり直さなくてはならなくなった。現在の我々の技術は事実上すべて、当時の技術を再発見したものに過ぎない。しかも、まだまだ遠く及ばない。まったく、愚かな話だ。もし、当時の技術がそのまま発展していたなら我々は今頃、星の海さえ征服していただろうに」
「星の海さえ……」
「それが、現実はこの様だ。言ってみればこういうことだよ。偉大なる祖父母の遺産を無能な両親が食いつぶした。そのために、その子である我々が苦労している……」
「わかりやすい例えね」
「そのことを知ったときの私の無念さをわかってもらえるかね? 我々にはもっとずっと偉大な存在になれる機会があった。それなのに、愚かな親のせいですべてを失った。だから、私は誓ったのだよ。自分の子供たちにこんな思いはさせまい。人間同士の争いを根絶し、二度と再び、文明が滅びることなどないようにしよう。
私はそのために学び、己を鍛え、諸国を巡った。私の思いを受け入れ、共に目指すことの出来る主君を求めて。そして、この北の地へとやってきてついに、理想の主君に巡り会ったのだ」
「それが、覇者マヤカ?」
「そうだ。私はついに、私の望みを理解し、共に追い求めてくれる主君に巡り会った。我が君マヤカこそは、恒久平和を樹立しようとの理想に燃える理想の君主。私は我が君と共に、なんとしてもその目的を達成する。
メインクーン。君は我が君に問い質すと言ったな。これが答えだ。
ラ・ド・バーンの地に永遠の平和を。
それこそが、我が君マヤカのすべての行動の根本にある理想。
もう二度と愚かな争いによって文明を破壊し、子孫たちを苦しることがいなように。
そして、メインクーン」
「なに?」
「君にはぜひ、そのことを理解し、我々の仲間になってもらいたいと思っている」
「仲間?」
メインクーンは眉をひそめた。
昴はうなずいた。
「その通りだ。君は強い。その強さこそはまさにいま、我々が必要としているものだ。どうか、我々と共に戦ってもらいたい。平和のために」
平和のために。
そう告げる昴の口調も、表情も、真摯そのもので、嘘やごまかしの入る余地はまったくなかった。
――この男は本心を語っている。
メインクーンはそう悟った。それは、獣の本能とヒトの理性。その両方が同時に感じ取った答えだった。
ならば、この男はまちがいなく争いを憎み、世界に平和をもたらそうとしているのだ。しかし――。
「あなたは勘違いしているわ、昴」
「勘違い?」
昴が眉を秘めた。
メインクーンはうなずいた。
「そう。勘違い。わたしはマヤカその人に問い質しにきた。あなたの言葉を聞きに来たわけじゃない」
そう言ってから、メインクーンはキッパリと告げた。
「マヤカに会わせて。それが約束でしょう」
「……そうだったな」
昴はうなずいた。
「私はたしかに、君がこの塔を制覇したなら我が君に引き合わせると約束した。むろん、約束は守る。案内しよう」
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