一二章 戦争を起こした相手に会いに行く
その頃――。
エキノドルスたち三人はシーマンニアの〝
「ハ、ハアハア……こ、ここまで来りゃもういいだろう」
とは言え、さすがに疲れてはいる。強力な魔物でもいればひとたまりもなかっただろう。辺りの魔物がディノシックルによって食い尽くされていたからこそ、ここまで無事に戻ってこれたのだ。その意味では運の良い悪人たちだと言えた。
エキノドルスたちは噴き出す汗をぬぐい、水筒を取り出すと、中身の水を一気に煽った。まだまだ物足りない。ここまで全力で走ってきて流した汗に比べ、水筒の水が少なすぎるのだ。それでも、一応の喉の渇きは癒やせた。どうにか人心地ついてまともにしゃべれる程度には回復した。しゃべれるようになって最初に飛び出してきた言葉は、サジタリアの愚痴だった。
「くそっ! 反則だろ。いくらなんでもあんな強力な魔物が潜んでやがるなんてよ。おかげで、〝
「まだ、そんなこと言ってるのかよ」と、ラジカンス。疲労困憊した表情で呆れたように言う。ただひとり、重鎧をまとっているだけあって、走った場合の体力の消耗も他のふたりの比ではない。それでも、遅れることなくふたりについてきたのだから大した体力だった。小心者特有の必死さで、置いていかれることへの恐怖から死に物狂いで走っただけかも知れないが。
「生命あっての物種だろ。ディノシックルに出っくわして生きて帰れただけでも幸運なんだ。もう、そんなことは忘れて、神さまに感謝しろよ」
「忘れられるわけねえだろ! 〝知恵ある獣〟だぞ、〝知恵ある獣〟! それもまだ一〇代の、あんな上玉。人生で二度と味わうチャンスがあるかどうか……」
サジタリアがそこまで言ったときだ。ふたりは異変に気付いた。リーダーであるエキノドルス、仮にも中級二位にランキングされている実力者であるエキノドルスが、何かに怯えたように足音を立てて後ずさったのだ。
「どうした⁉」
サジタリアとラジカンスは口々に叫んだ。叫んだときには武器を構え、応戦の構えを取っていた。仲間の動きひとつでとっさにそれだけの反応ができるあたりやはり、一〇年に渡って冒険の現場で生き抜いてきた歴戦の戦士だと言えた。
「お、おい……」
エキノドルスがはっきりした怯えの声をあげた。表情は青ざめ、それまでの汗とはちがう、明らかな冷や汗を流しながら後ずさる。サジタリアとラジカンスもエキノドルスの視線の先を見た。そして、ふたりの表情は不審から驚愕へとかわり、ついにはエキノドルスに劣らない恐怖に染まったものとなった。
三人とも、そこにいるはずのない存在を見ていた。囮として捨ててきたはずの相手。とうに凶暴な怪物によって食い殺されているはずの相手。忍び装束を身にまとった〝知恵ある獣〟の少女。
メインクーン。
そのメインクーンがかつてはシーマンニアの正門であったろう、崩れ去った門の一部に軽く背を付ける格好で、エキノドルスたちに視線を向けて立っていた。
エキノドルスたちが自分に気付いたことを知ると、メインクーンは門の一部から背を離し、三人に真っ向から対峙した。右手の指先でサジタリアの放った矢をクルクルともてあそんでいる。
「遅かったわね。中級冒険者って、その程度の足で務まるものなのね」
「お、おめえ……何でここに……」
さすがに、事ここに至っては『良き先輩』を装う余裕もなく、エキノドルスは粗野な本性をむき出しにしていた。その表情は驚きと、恐怖と、『信じられない』という思いの三色が入り交じり、目まぐるしく変化していた。まるで、場所に合わせて体の色を変化させるタコを見ているようだった。無関係の人間が見ていればさぞかし面白い見世物だったにちがいない。もちろん、サジタリアとラジカンスのふたりには面白がる余裕などなく、エキノドルスと大差ない表情の変化を見せていたわけなのだが。
ふん、と、メインクーンはエキノドルスの呟きを一蹴した。
「あの程度の怪物にやられるわけがないでしょう」
その言葉はボロボロになった忍び装束を見れば誇張に過ぎるというものだろう。しかし、もちろん、エキノドルスたちにそんなことに気がつく余裕はなかった。
「とにかく、これではっきりしたわね。あなたたちは新人冒険者……というか、その候補者を囮にして自分たちだけ逃げ出した。それだけでも、冒険者資格失効ものだけど、あの手際の良さから何度も繰り返しているのは明白。もはや、れっきとした犯罪冒険者。あなたたちに関する噂は本物だったわけね」
「お、おい……」
メインクーンは右手に持った矢をクルクルともてあそびながらつづけた。
「でも、おあいにく。こんなちゃちな矢で〝知恵ある獣〟の運動能力を奪うことは出来ないわ。〝知恵ある獣〟の動きを止めたいなら〝聖なる銀の矢〟を用意することね」
メインクーンがそう言ったのは『獣人には銀の矢が効く』という人間界の伝説を皮肉ったものであり、実際には銀の矢だからどう、ということはない。
「さて」と、メインクーンはやをもてあそぶのをやめて一歩、前に出た。
「この始末。どう付けるべきかしらね?」
「お、おい……! ちょっと待ってくれ!」
エキノドルスが両手を前に突き出しながら叫んだ。その表情にはもはや以前のような落ち着きや自信、先輩冒険者としての貫禄など微塵もない。粗野で卑劣な本性がむき出しになっていた。
「お、おめえ、一体、何者なんだ……?」
「わたしはね。トリトン公国にいたの」
「ト、トリトン公国……⁉」
エキノドルスたちの顔色がかわった。その表情が恐怖にこわばった。
「ト、トリトン公国って、あのトリトン公国か? 最果ての北の地で三百年以上にわたって存続してきた……」
メインクーンはうなずいた。
「その様子だと知っているみたいね、あの言葉。『大海の
大海、つまり、中央の〝丘〟であれば、まわりは他の〝丘〟に囲まれている。いざとなれば他の〝丘〟に助けを求めることができる。だが、人里離れた僻地の〝丘〟はそうは行かない。怪物に襲われようが、魔物が現れようがすべて、自分たちだけの力で解決しなくてはならない。そのため、孤立した〝丘〟の存続期間は短い。ほとんどの場合、人の半生ほどの時間ももたず、滅びることになる。しかし――。
ごく稀に例外もある。周囲を過酷な自然に囲まれた孤立した〝丘〟でありながら、数百年の長きにわたって生き残ることがある。そんな〝丘〟では強いものだけが生き残り、生き残ったものは過酷な大自然に鍛えられてさらに強くなる。そんな強いもの同士が結ばれ、その血をより濃くしていくことで、中央の常識では計れないほどの強力な血統ができあがる。それが『大海の魚、井のなかの過酷さを知らず』の意味。辺境で生き続けた孤立した〝丘〟は、中央では考えられないほどの強者がゴロゴロしている魔境なのだ。
「そう。そのトリトン公国」
メインクーンはうなずいた。
「そして、わたしは、そのトリトン公国でも最強だった。はっきり言っていってあなたたち程度なら一〇〇人いたって余裕で勝てるわ」
その言葉に――。
エキノドルスの表情が『にへらあ』と、崩れた。先輩冒険者としての仮面は完全にはがれ、上位者のご機嫌を取ろうとする醜い薄ら笑いだけが張りついていた。
「な、なあ、どうだ? ものは相談だけどよ。おれたちと組まねえか?」
「あなたたちと組む?」
メインクーンは形の良い眉をひそめた。エキノドルスはここぞとばかりに舌をフル回転させた。
「そ、そうだ、いや、『組む』なんて、そんな畏れ多いことは言わねえ。おれたちを手下にしちゃくれねえか? お前、いや、あんた、いやいや、あなたがお強いのはよく分かりました。何しろ、たったおひとりであのディノシックルと戦って生き残るぐらい何ですからね」
へっへっへっ、と、口調と表情で卑屈なまでに揉み手しながらエキノドルスはつづける。
「でも、あなた様はまだまだお若い。世間ってやつのことをまだまだご存じないはずだ。その点、おれたちゃ人生の裏街道を走り抜けてきた海千山千の大ベテラン。あなた様のご存じないことも色々知ってるってわけですよ。そのおれたちの知識と経験はきっと、お若いあなた様のお役に立ちますよ」
「そ、そうそう、そう言うこってすよ」と、こちらも卑屈な愛想笑いを浮かべたラジカンスがお愛想のつもりか自分の頭をべしべし叩きながら付け加えた。
「世の中ってやつあ、一筋縄じゃ行かねえもんでしてね。きれい事だけでやっちゃ行けねえんですよ。その点、おれたちみてえな手下がいりゃあ、汚れ仕事は全部押しつけて、あなた様は手を汚さずにいられるってもんだ。冒険者家業で食っていこうってんならこいつは重要ですぜ」
自分の身を守るためなら、つい先ほどまで先輩面していた相手に対してもいくらでも尻尾を振るというわけだ。ある意味、潔いとも、卑怯者の鑑とも言える態度だった。
そのなかでただひとり、愛想笑いも浮かべず、ご機嫌取りの言葉も発しないものがいた。サジタリアだ。サジタリアだけは何も言わずに弓を手に立ち尽くしている。もちろんこれは、サジタリアが他のふたりよりはましな人間だから、と言うわけではまったくない。サジタリアにしても性根の点では他のふたりとかわりない。それで身の安全を図れるならいくらでも愛想笑いを浮かべるし、おべっかだって使う。
しかし、何しろ、サジタリアは実際にメインクーンの足を矢で射貫いてしまっている。つまり、サジタリアの首にはメインクーンに取り入るための『手土産』としての価値がある、というわけだ。このままでは自分はエキノドルスとラジカンスのふたりによって殺される。
サジタリアはそう確信していた。
なぜなら、自分なら必ずそうするからだ。強者に取り入るためなら他のふたりなどいつでも犠牲にできる。それこそが『鉄のウォールフラワー』の『絆』の意味だった。
実際、エキノドルスとラジカンスはメインクーンに取り入ることに必死に見えてその実、さりげなく位置をかえてサジタリアを挟み込む格好になっている。メインクーンの返答次第ではいつでもサジタリアに襲いかかり、その首を手渡す用意が出来ているのだ。サジタリアとしてはどうやってこの窮地を抜け出すかに必死でおべっかを使うどころではないのだった。
「そうね」と、メインクーン。あっさりとうなずいた。
「もともと、この程度のことで腹を立てているわけでもないしね。むしろ、感謝しているのよ。あなたたちのおかげで自分の力を知ることができた。これなら中央でも冒険者として名を馳せることが出来る。そう確信できた。まだまだ世間知らずのわたしにとって、海千山千のベテランの知識が貴重なのも事実」
メインクーンのその言葉にエキノドルスの表情に狡猾な希望の光が灯った。
――しめしめ。その気になっているぞ。この程度のおべっかでその気になるなんてやっぱり、世間知らずの小娘だな。一度、取り入って手下になっちまえばこっちのもの。〝知恵ある獣〟の意識を奪い、ゾンビ化して使役するためのクスリにはツテがあるんだ。そいつをこっそり飲ませ……。
そう思い、肚の底でほくそ笑んだ。しかし――。
「でも……」と、メインクーンの口調がかわった。〝知恵ある獣〟特有の野性味あふれる美しい瞳が三人組を射貫いた。
「あなたたちはわたしの指導をするという約束を破った。一度交わした約束を破るものは人間にも劣る。それが〝知恵ある獣〟の掟。そして、わたしは師である『誰?』から教え込まれた。『世の中に悪人も善人もいない。いるのは、他の存在との調和を図れるおとなと、自分ひとりの利益しか考えない子供だけ。子供をおとなにするのが親の役目だ』ってね。そして、あなたたちは自分ひとりの利益しか考えない子供のまま。つまり、あなたたちの母親はあなたたちをおとなにするための教育を怠った。だから――」
メインクーンの野性の瞳が煌めいた。
「このメインクーンが、お母さんにかわって叱ってあげる」
△ ▽
メインクーンたちはギルドに戻った。その途端、エキノドルスたち三人は受け付けにすがりついて哀願した。
「た、頼む……、捕まえてくれ! おれたち、いままで散々悪いことしたんだ。だから、早く捕まえて牢屋に入れてくれ! 頼む!」
その豹変振りに呆気にとられていた受付嬢だったが、ようやくのことでメインクーンに尋ねた。
「な、何があったんですか、一体……?」
メインクーンは淡々と事実を告げた。
「かの人たちの母親のかわりに叱っただけよ」
このときから何十年も後に至るまで、この受付嬢は事ある毎にこう漏らすことになる。
――あんな恐ろしい言葉を聞いたことは他にありません……。
ともかく、エキノドルスたち三人に対する疑念は明白なものとなったので、三人は逮捕された。そして、メインクーンは犯罪冒険者を捕えた功績をもって正式に冒険者として認められることになった。
「そ、それでは、こちらがあなたの冒険者免許となります」
と、受付嬢は一枚の金属片を差し出した。
「通常であれば新人冒険者は下級のさらに下、『見習い』からはじめて、そこで功績を挙げるか、資格審査にパスするかして下級に昇進し、そこではじめて正規の冒険者として認められることになります。ですが、あなたの場合、中級の犯罪冒険者を捕えた功績があります。ですので、最初からいきなり上級でのスタートとなります」
「それってすごいことなの? 例えば、どこかの王侯貴族に会うこともできる?」
「もちろんです!」
受付嬢は急に勢い込んで叫んだ。
「どんなクラスでもそうですけど、冒険者も全体の七割以上を下級三位が占めています。中級で一〇パ-セントほどです」
──全体の一〇パ-セント。あの連中、たしかに腕は大したものだったのね。
その実力者たちが逃げ出した相手をひとりで倒した。その事実に、メインクーンは自分の強さを改めて認識した。『あの連中』で済ませたのは、エキノドルスたちの名前などいちいち覚えていないからである。
受付嬢は勢い込んだまま続けた。
「まして、上級ともなれば、一パ-セントいくかどうか。それぐらい希少なんです。その希少性から『勇者』とも『野生の貴族』とも呼ばれ、社交界での格式は王侯貴族に次ぐほど。上級冒険者の銘があればどこの屋敷でも、お城でも、フリーパスみたいなものですよ」
「そう。それは好都合ね」
その言葉に受付嬢は表情を曇らせた。
「どこかに行かれるんですか? あなたのように強くて、正義感のある方にはこの〝丘〟に残って、人々を守って欲しいのですけど……」
「あいにくだけど、わたしには行くところがあるの」
「行くところ?」
「ええ。シリウス帝国の首都」
「………!」
「覇者マヤカに会いに行く」
第二話完
第三話につづく
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