またそれからのふたり (1)

 ダブルサイズのベッドが本郷ほんごう家にやってきたのは、梅雨入り宣言がされた翌日のことだった。

 花鳥の細工がほどこされたベッドヘッドがうつくしいアンティーク製のベッドは、つぐみが気に入っている職人につくってもらった一点ものだ。トラックによって運ばれてきたベッドが新しい寝室に置かれると、つぐみはさっそく用意していたシーツをようと手分けして敷いた。


「ふふ、ひろーい」


 スプリングを弾ませて、葉がベッドのうえに大の字になって寝転がる。

 つぐみも、葉のとなりにころんと横になった。日本家屋らしい木製の天井と昔ながらの照明具がベッドと合っていないような、でもぜんぶ合わせて調和してしまっているような気がしないでもない。


「わたしのベッド、ふたりで眠るのにはちいさかったものね」

「俺はくっついて眠るのもすきだったよ」

「わ、わたしもすきだけど……」


 布団一式を新しく買おうと提案した葉に対して、かたくなにダブルベッドがいいと言い張ったのはつぐみだ。布団もきらいではないけど、つぐみは葉にくっついて眠るのがすきだ。背中に手を回されて、葉の体温に包まれて眠っていると心の底から安心する。


「あとで枕持ってこようね。あと柴犬の子」

「つぐちゃん、あの抱き枕すきだよね」

「うん、すき」

「俺は?」


 自然と続けられた言葉につぐみは瞬きをした。

 横になったまま目だけを向けると、葉はにこにこしてつぐみの髪に触れてくる。


「俺とぎゅーして眠るのは?」

「……すき」


 髪を撫でてくる手に目を細め、すこし身体を起こして葉にくちづける。


「だいすき」


 目を合わせると、葉は相好を崩して、つぐみを身体ごと引き寄せた。



 *…*…*



 毎月の契約更新会議は、今日が最終で「契約終了会議」と銘打った。

 例によって例のごとく、葉はコンビニで買ってきた中華まんやチキンやポテチやシュークリームをちゃぶ台に並べていて、ふたりで肉まんとあんまんを半分こずつしながら会議をはじめる。


「まず、家事の分担が必要だと思うの」


 つぐみはきりっとした顔で、前日に構想した家事分担表をちゃぶ台にひろげた。これまで葉がしていた家事を種類別にピックアップして、頻度や作業時間を書き並べたものだ。本来は均等割りがいいのかもしれないが、本郷家では収入は圧倒的につぐみなので、その貢献度や仕事の拘束時間を加味して傾斜をつけた。


「というわけで、これからはわたしが洗濯物の取り込みと、各ごはんのあとのお皿洗いとお皿拭き、シンク周りの掃除と生ごみの処理、毎朝のゴミ集めなどをします」

「ええー、でもそうしたら、ごはんのあと俺はすることなくない?」

「葉くんはごはんを作ってくれてるんだから、休憩していいよ」

「うーん……ならお皿拭きだけでも……」


 家事が減って葉は喜ぶかと思いきや、なんだか微妙そうな顔をしている。


「お皿拭き、すきなの?」

「すきというか、君がくつろげる空間を生み出すために奉仕するのが俺の生きがいなんだよー」

「奉仕はなし。君はもうわたしに雇われているわけじゃないでしょう」

「でもさあ……あっ、じゃあお皿片付けるのはしちゃだめ?」


 意外と引かない。


「葉くんがしたいならいいけど……」


 歯切れ悪くうなずくと、「やった!」と葉はうれしそうに頬を緩めた。

 葉とふつうの夫婦をはじめて三か月が経つ。

 今までとはちがって、つぐみはもう葉の雇用主じゃないし、葉はつぐみの従業員じゃない。でも、契約による上下関係の名残はあって、葉はだいたいなんでもつぐみを優先してくれるし、放っておくと家事はすべてやってくれようとする。夫としてすばらしい限りなのかもしれないが、つぐみはいまだに葉の雇用主をやっているみたいで落ち着かない。葉はもうつぐみに奉仕しなくてよいし、わがままを言ったり、甘えたり、だらだらしてよいのだ。性格的な問題もあるのかもしれないけれど……。


「葉くんはわたしにしてほしいこととかないの?」


 冷蔵庫にいましがた決まった家事分担表を貼りつつ、つぐみは尋ねた。


「してほしいこと?」

「そうだよ。もっとわがまま言ったり、甘えていいよ」

「ええ、でもそんな……恐れ多くない?」

「君はわたしをなんだと思っているの?」

 

 呆れてつぶやくと、葉は「うーん」と素直に考え込んだ。


「してほしいことかあ……。あまり思いつかないけど、……あっ、つぐちゃんは俺になにしてほしい?」


 さも当然のように聞き返されたけれど、葉はいつもつぐみがしてほしいことをしてくれているので、これでは契約夫婦だったときとおなじだ。きりきりと眉根を寄せ、「葉くん」とつぐみは厳かに言った。


「宿題です」

「えっ、うん? 宿題?」

「君はわたしにしてほしいことを三つ、来週までに考えておくこと。期限厳守で。あと、君がわらってくれたらそれで、みたいな抽象的な事項は除外します」

「ええええ……で、できるかなあ」


 本気で悩みはじめた葉を見て、つぐみはうんうんとうなずく。

 葉にはちょっとずつ、つぐみにわがままを言う練習をしてもらおう。

 そしてつぐみも、ちょっとずつ家事を覚えてがんばるのだ。



 ハルカゼアートアワードのあと依頼された絵本の装画は、彩色の工程に入っていた。

 時間はかかるし、たいへんだけど、つぐみがいちばんすきな作業だ。いつもより画幅がちいさいのは楽だが、そのぶん点数が多い。ぜんぶで二十点。今ははじめの五点を完成させたところで、まだまだ終わりが見えない。

 作業をはじめるとつい集中しすぎてしまって、はっときづくと、時計の短針が半周くらい進んでいたりする。筆を置いたはずみに五時を指す短針が目に入り、つぐみはあわてた。昼ごはんを食べたあと、洗濯物の取り込みをするつもりだったのに、もう夕方になっている。作業部屋を出て、小走り気味に母屋に向かうと、すでに物干し竿には何もかかっておらず、台所では葉がじゃがいもを洗っていた。


「あ、洗濯物、取り込んでくれてた?」

「ああ、うん。結構まえだけど」

「ごめんなさい。忘れてた……」


 がんばる、と言ったそばから自分のほうができていない。

 しゅんと肩を落としてしまうと、「きづいたほうがやればいいよー」と葉はぜんぜん気にしていないふうに言った。洗ったじゃがいもの皮をむき始めた葉の横で、つぐみは洗いかごに入っていた調理器具を拭く。調理台にはじゃがいものほかに、にんじんと大根、玉ネギと豚肉のパックがのっていた。


「今日のお夕飯なに?」

「ふふっ、なんでしょう。あててみて」

「ポトフ……あ、でも大根がある。豚汁?」

「ぶっぶー。正解は肉じゃが大根です!」

「肉じゃがじゃないの?」

「肉じゃがプラス大根だから、肉じゃが大根だよー」

「それはずるい……」


 あてられるわけがない、とぶうたれると、「あとは大豆の五目煮とさしみこんにゃくだよ」と葉が言った。大豆の五目煮は朝に作り終えていたらしくお鍋ができている。つぐみは包丁を使うのが得意じゃないので、ピーラーできゅるきゅるにんじんと大根の皮を剥いた。そのあいだに葉は下ごしらえを終える。調味料と一緒に具材をしばらく煮込んだら完成だ。

 ごはんの準備を終えた葉とつぐみは、居間で一休みする。

 お茶請けは葉がこのあいだ挑戦した水無月という、ういろうに小豆をのせた和菓子だ。ぷるぷるした涼しげな見た目の三角形の和菓子をほうじ茶とともにいただく。

 外ではしとしとと雨が降っていた。すこしまえに梅雨入りしてから、雨の日が多い。


「あ、如月きさらぎから、これ二次会の写真だって」


 葉の元カノの如月は四月に同級生と結婚した。

 葉とつぐみはカフェを貸し切ってひらかれた二次会のほうに参加したのだが、そのときの写真を送ってくれたらしい。葉が見せたお礼のカードには、QRコードがついていて、葉がぱぱっと端末で操作すると、写真がアルバム形式で表示された。

 映った写真を横からのぞき、「あっ」とつぐみは身を乗り出した。


「如月のウェディングドレスがある」


 華やかに化粧をした如月はクラシカルなウェディングドレスを着て、新郎とくっつきあってピースサインをしている。二次会の写真だけでなく、結婚式のほうの写真も共有されているらしく、バージンロードを父親らしい壮年の男性と歩く如月のすがたや、ブーケトスの瞬間などもおさめられていた。

 つぐみは結婚式には参列したことがないので、こういうものなのか、と新鮮な気持ちで眺める。二次会の風景を映した写真のなかに一枚、グラスを持ってわらっている葉と、となりですんとした表情で立っている自分の写真があったので、「ダウンロードして」と葉にせがむ。そういえば、つぐみは葉と写真を撮ったことがなかった。


「結婚式、してみたかった?」


 ダウンロードした写真をつぐみの端末に送りつつ、葉が尋ねた。


「うーん、べつに……。親族席が面倒くさいし」

「ああ、だねー」

「葉くんはやりたかった?」

「つぐみさんのウェディングドレスはちょっと見てみたかったかなーとかあるけど、それくらいかなー」


 思わぬ答えが返ってきて、「……そんなものが見てみたいの?」とつぐみは首をひねる。


「だって、とってもかわいいよ? 白無垢もすてきだけど、ウェディングドレスもとてもお似合いになるかと思います……あっもちろん君が着たいほうでいいけど」

「き、着ないから」


 葉は相変わらずつぐみのことになると、賛辞を惜しまない。これはつぐみが雇用主だから美辞麗句を尽くしていたわけでなく、葉のもともとの性格のようだ。


「あ、でも……」


 如月と新郎の指でひかるものを見つめて、つぐみはつぶやいた。

 それから、はっと我に返って首を振る。


「な、なんでもない」

「えー、なに?」

「その……指輪はほしい……。君がいやじゃないなら」


 葉は瞬きをしたあと、頬を緩めた。


「いやなわけないよ。薬指にはめるやつだよね?」

「……うん」


 もともと結婚指輪になんて興味はなかったのだけど、二次会で如月と旦那さんに指輪を見せてもらったら、急にうらやましくなってしまったのだ。造形作家の如月のデザインだというそれは、銀の輪っかの内側にギリシャ文字と星座のマークが彫られていた。


「あっ、じゃあつぐみさん」


 葉が思いついたようすで手を打った。


「ね、結婚指輪ほしいです。一緒に見に行ってくれませんか?」

「……もしかして、宿題?」

「うん、一個目。どう?」

「それは葉くんのおねがいじゃないでしょう」


 どちらかというと、つぐみのしたかったことだ。

「そんなことないよー」と葉はのほほんとした返事をする。


「つぐちゃんが欲しい結婚指輪が、俺も欲しいんです。見に行こうよ。ひさしぶりにデートしない?」

「デート……」


 もっと問い詰めるつもりだったのに、デートという言葉の威力につぐみは負けた。

 だって、つぐみも葉とデートがしたい。

 ううう、と理性と欲求とのあいだで揺らいだすえ、こくりとうなずく。


「……葉くんとデートする」

「やったー!」

「でも、二個目は君のお願いじゃないとだめだからね」


 がんばって釘を刺すと、「うんうん」と機嫌よく葉はうなずいた。

 あまりわかっていない気がする。

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