ひばりとつぐみ

 結納式のまえにひばりが一日だけ、つぐみの家に泊まりにきた。

 今となっては鹿名田かなだ本家の唯一の娘となったひばりが外泊なんてふつうはゆるされない。相手がつぐみだったことと、ように一日外泊してもらったおかげで、なんとか叶ったことだろう。


「ねえさま、ねえ見て。これ、律に似てない?」


 檸檬色のルームウェアに着替えたひばりが、スマホに映った黒い大型犬をつぐみに見せる。すん、とした大型犬が足元でくつろいでいるすがたを撮影した動画だ。犬種はシェパードらしい。確かにいつだって気取っているあいつらしいかんじがする、とつぐみはうなずいた。

 つぐみとひばりはふたり用のベッドに並んで腰掛けて、カモミールティーを飲んでいた。葉が作り置いていった夕飯とデザートを食べ終え、お風呂も終えて、ほかにすることもないので、ごろごろしながらしゃべっている。時計は夜の十一時過ぎをさしていた。ひばりがまだ眠る気配はない。


「ふふ、尻尾ときどき振っててかわいい」


 目を細めるひばりの雰囲気がいつもより和やかに見えて、あれ、と思った。


「ひばちゃん、律くんとなにかあった?」

「んー、べつに? あ、これとかあいつっぽい。ばかっぽくて」


 犬の動画リストを流し見ていたひばりが、ゴールデンレトリバーの子犬がおなかを出して寝ている動画を見つけてタップする。口ぶりからして葉のことを言っているらしい。子犬はかわいかったけれど、「ええ……」とつぐみは不満そうな顔をした。


「葉くんはおなか出して寝たりしないよ。もっと美人さんがいい」

「えー」


 ちまちまと充電切れしかけているスマホで検索し、アフガンハウンドという神々しいうつくしさの犬を表示させる。「ないない、アフガンハウンドに失礼」とひばりはたいへん失礼な感想を述べた。


「ねえさまはあいつがすきだなあ」

「ひばちゃんは結構律くんがすきだよね」

「すきだよ。でもねえさまがいちばんすき」


 カップを置いたひばりが甘えるようにつぐみにくっついてくる。

 ちいさかった頃の妹を思い出してすこしわらうと、「ほんとうだよ、ねえさまが世界でいちばんすき」とひばりがぎゅうと腕を回してきた。スプリングがはずんで、ふたりでベッドにころんと倒れる。ひばりはつぐみのおなかのあたりに顔を押し付けている。ルームウェアを握る手がすこしふるえていた。


「でも、ねえさまはわたしをゆるしたりしないでね」


 ふいに子どもの頃の記憶がよみがえる。

 誘拐事件後の何年間かのつぐみの記憶は、ぼんやりと霞がかっていて、まるで深海の底にいるみたいに、ときどき遠くから声が聞こえたり、水面でひらめく何かが見えたりするような、そんなかんじなのだけど、それでも一度この子が泣きそうな声で訴えてきた日のことは覚えていた。胸が鋭く痛んだから。あのとき伸ばした手は、この子の涙には届かなかったけれど。


「ひばちゃん泣いてるの?」

「……泣かないよ」

「そう」


 それ以上訊かない代わりに、つぐみのおなかに顔を押し付けている女の子の頭をゆっくり撫でた。


「律くんがひばちゃんにひどいことしたら、いつでもわたしが懲らしめるからね」

「うん。ふふっ」


 すこし顔を上げると、ひばりはつぐみに目を合わせて微笑んだ。


「ありがとう、ねえさま」


 そして、ずっと離れていた気がする手をもう一度つなぎあわせた。

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