第10話 思いがけず契約を交わすことになりました
昼食を食べ終わった頃
「ティーナ、少し早いけれど僕たちはもう戻ろう。実は今日、少し生徒会の方で話し合いがあってね。君を1人にはしておけないから、一緒においで」
話しかけてきたのはグラス様だ。グラス様は2年生ながら、生徒会役員をやっている。
「グラス様、ティーナ様なら私が責任をもって教室までお送りしますわ。ですから…」
「ローズ嬢、気遣いありがとう。でも、大丈夫だよ。さあティーナ、おいで」
私の言葉を遮り、ティーナ様の手を掴んだグラス様。この男、ティーナ様をひと時も離したくはない様だ。
「わかったわ、グラス。それではローズ様、ごきげんよう。アデル、ローズ様をよろしくね」
私たちに軽く会釈をすると、そのままグラス様と去って行ったティーナ様。
「それでは私もこれで」
本当はアデル様とお話をしたい、そんな思いもあったが、私と一緒にいてもアデル様はつまらないだろう。そう思い、その場を去ろうとしたのだが…
「待ってくれ、少し話をしないかい?」
なぜかアデル様の方から話しかけてくれた。それがなんだか嬉しくて、つい頬が緩む。
「はい、私でよろしければ喜んで」
そう伝えると、アデル様の隣に座った。
「朝も話したけれど、ティーナと友達になってくれて、ありがとう。昨日といい今日といい、本当にティーナは嬉しそうでね。あんなにも嬉しそうなティーナは、初めて見たよ。僕は…その…そんなティーナの笑顔を守りたいと思っているんだ…」
少し切なそうに、そして恥ずかしそうにそう言い切ったアデル様。
「アデル様は、ティーナ様を心から愛していらっしゃるのですね…」
ついポツリと呟いてしまった。
「ごめんなさい…あの、私は…」
「ああ…そうだよ、ティーナを愛している。子供の頃からずっとね。でもティーナの隣には、兄上がいた。だから僕がどれだけティーナを思っても、決してその思いは届く事はない。それでも僕は、ティーナが好きだ。だからせめて近くで…ティーナが喜ぶことをしてあげたいと思っている」
やっぱり…
アデル様はティーナ様が好きだったのね。なんとなくはわかっていたけれど、本人の口からはっきり聞くと、なんだか胸の奥がチクリと痛む。
「ティーナ様を喜ばせたいですか…アデル様の瞳からは、悲しみがにじみ出ておりますわ。それほどまでに、ティーナ様を愛していらっしゃるなら、いっその事…」
「それは出来ないよ。僕は兄上も大切なんだ。それに君が思っている以上に、僕の兄上は冷酷でね。特にティーナの事になると、手段を択ばないんだよ。たとえ弟でも、例外ではない。それにティーナも、兄上を愛しているし。だから僕は、見守るだけで充分なんだよ…」
「確かにグラス様は、少し嫉妬深い気がしますね。もしかして、あなた様のお気持ちにも…」
「兄上は気が付いていないよ。でも兄上は、かなり嫉妬深くて人前でも平気でイチャイチャするからね。だから僕の前でも平気でティーナとイチャイチャするんだ。それに兄上は、僕の事を男として見ている様で、決してティーナと僕を2人きりにしようとはしない。…それでも僕は、ティーナも兄上も大切だ。だから、2人の邪魔をするつもりはない。ねえ、ローズ嬢、どうやらティーナにとって君は、既にかけがえのない人物の様だ。どうかティーナを悲しませる様なことはしないでくれ。出来ればずっと傍にいてやって欲しい」
真っすぐ私を見つめるアデル様の瞳。その瞳には、やはり悲しみがにじみ出ていた。たとえ自分の気持ちを伝えられなくても、彼女が喜ぶなら何でもしたい、そう思っているのかもしれない。
それなら…
「アデル様、それなら私と契約を結びませんか?」
「契約?」
「はい、私がティーナ様から離れない契約。もちろん、アデル様もティーナ様の傍にいられる契約です」
「申し訳ない、言っている意味がよく分からないのだが…」
私はゆっくりと深呼吸をした。そして…
「私たちが恋人になるという事です。もちろん、偽の恋人です。私があなた様の恋人になる事で、きっとティーナ様も喜んでくれると思いませんか?それからあなた様と恋人を演じている間は、絶対にティーナ様から離れません。私たちが恋人同士になる事で、より自然にティーナ様の傍にいる事も出来ると思うのです」
私の存在がティーナ様を喜ばせる事なら、そんな私と一緒にいる事でアデル様も元気になってくれるのでは、そう思ったのだ。
「恋人役か…確かに君と僕が付き合えば、ティーナは喜ぶだろう。それに、兄上の嫉妬や束縛も、和らぐかもしれない。でも、君にはメリットがない、どうしてそんな契約を持ちかけてくれるのだい?」
不思議そうに訪ねるアデル様。私は真っすぐにアデル様を見つめた。
「アデル様は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、5年前、私は無実の罪を着せられました。その時、アデル様が私の罪を晴らしてくださったのです。あの日、あなた様が助けて下さらなかったら、私はあのまま泣き寝入りして悔しい思いをしていたでしょう。だから…あの時の恩返しがしたいのです。どうか、私の事は気にせず、利用するだけ利用してくださいませ」
あの日、私はアデル様に恋をした。この5年、アデル様に会える日を待ち望み、この事だけを楽しみに生きて来た。もちろん、アデル様とどうこうなりたいなんて思っていない。
ただ…
アデル様の力になりたい、彼の悲しみを少しでも取り除いてあげたい…
たとえアデル様が、別の女性の為に私を利用する結果になったとしても、私は本望なのだ。
「思い出した!あの時の令嬢は、確かに君だったね。まさか、僕に近づくためにティーナに…」
「いいえ、それは誤解です。私は寄ってたかって人を傷つける人が許せなくて、昨日はティーナ様に声を掛けました。昨日のティーナ様の姿が、まるで5年前の自分を見ている様で、放っておけなかったのです。それから、私自身、ティーナ様が好きなのも事実です」
「そうか…君も随分と苦労してきたんだね…わかったよ、ただ、これだけは覚えておいて欲しい。僕はティーナ以外の女性を愛するつもりはない。だから、どうか僕の事を好きにならないでくれ。それだけは、約束して欲しい」
アデル様を、好きにならないか…
それは難しいお願いね。でもここは…
「分かりましたわ。アデル様を絶対に好きになりませんし、アデル様とどうこうなりたいと、決して考えません」
「ありがとう、そうしてくれると助かるよ」
差し出された手を、しっかり握った。
大きくて温かい手…
でも…
今日この場で、自分の気持ちを封印する事を決めたのだった。
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