第15話

 ラグィド号の内部予圧スペースは、何層かのフロアで構成されている。今回改装される第四層は、いまは予備スペースとして使われていない。いくつかの部屋で区切られており、将来、なんらかの用途で必要になるかもしれないと作られていたが、なにかを想定していたわけではなかった。

 今回、グラン人の環境に合わせてその二割、二百平方メートルがあてられることになった。ずいぶん狭いようだが、グラン人にはこれでじゅうぶんなのであった。

 改装工事そのものは、船のメンテナンスロボットが中心になって行われる。おれたちは、工事の進捗を確認したり、ロボットにできない個所を調整するだけだ。

 おれはマたちやガリンと別れ、単独で指定された部屋の改装を始める。

 そこは、グラン人の個室になる部屋であった。

 中型犬ぐらいの大きさのメンテナンスロボットが三台、ここの工事を受け持っていた。巨大なラグィド号が数年にもわたって安全に航行するにはメンテナンスが欠かせない。たったの五名の乗員で、無数にあるといっていい個所の定期点検から管理、破損した際の補修までを完璧に漏れなくこなせるわけもなく、そこは何台ものメンテナンスロボットに働いてもらっていた。

 こういった船内の改装もかれらの仕事だ。

 乗員の役割は、工事が正しく施工されているかをチェックしたり、手助けの必要なときのサポートをしたりする。資材が足りなくなったりすれば、補充してやらなければならないし、手の届かない場所の工事は乗員が行う。定期的なメンテナンスと違って、あらかじめ想定されていない作業となると、途端に効率が悪くなってしまうのは、ロボットだけの話ではないのだった。

 今回のアンドロメダ銀河への派遣には、アリウス人と身体的特徴ならびに生存環境が大きく違わない種族が選ばれている。地球人がそうなのであるが、まだ見ぬグラン人もそうらしい。

 しかし、できあがっていく部屋を俯瞰してみると、これでいいのかと疑問がわく。

 床は石のように硬く、冷たい。テーブルにはイスもなかった。寝台はない。その代わり水槽があった。冷たい水で満たされており、メッセージカプセルにあった解説によると、その水槽に入って休憩するらしい。睡眠ではなく、休憩。かれらは眠らないらしい。室温は摂氏五度ぐらいで、なんだか冷蔵庫にいるようである。

 資料にあるグラン人についての記述を読んでも、いまひとつイメージが思い浮かばなかった。

 他の改装エリアも工事が終わり、全員が主操舵室に戻ってきた。

 最後にマが帰ってきたとき、ラグィド号はすでにグランの恒星系に入っていた。

 アリウスから二千光年離れた、オリオン腕の縁にある、ありふれた連星の星系である。銀河の恒星の七割ほどが連星で、グランは白色矮星とブラックホールと双方とも非常に重いかつ年老いた連星であった。地球ではHD1800093という記号がかろうじて付けられてはいるが、ほとんど情報のない恒星系だ。

 HD1800093の白色矮星を巡る第五惑星。さらにその巨大ガス惑星を巡る、いくつも衛星のうちで最大の星にグラン人はいた。

 主星のエネルギーよりも、ガス惑星に依存した生態系が成立していた。グラン人もその生態系の一部を構成している。おれたちから見れば、かなり様子の異なる環境下のように思えるが、それでもまだ共同生活に堪える性質を持つのだろう。AGIがそう判断した。

 そのグラン人との接触まで、あと数時間といったところであった。

「これがグラン人か……」

 ガリン・カネバ航宙士が写真を見てつぶやいた。

 あらかじめその姿を見ておきたいとマに申し出て、メッセージカプセルのデータのなかから引っ張り出してもらった。

 そこに写っていたのは、樹木のような表皮の二足歩行生物であった。手は四本あった。

「…………」

 その異形の知性体の姿に言葉をさがし、

「個体の区別は、どうやってしているんだ?」

 おれは写真から顔をあげ、マに尋ねる。

 メッセージカプセルの膨大な資料のすべてを、まだ読み込んでいなかった。情報が膨大すぎて、収拾がつかなくなっていた。が、アリウス人は読みこなせるらしい。

「かれらには個体の形状差が大きい。それで区別できる」

「つまり……」

 と、言いつつ頭のなかで考えを整理するガリン。

「それはまさしく樹木みたいなもの、考えていいのかな?」

 おれに同意を求めた。

 森を構成する樹木の一本一本は、特徴は同じでもひとつとして同じ形ではない。そんなイメージか。

「そして、かれらは種族全員がファミリーだ」

「ファミリーか……」

 おれもガリンもファミリーを持たないから、その感覚は、想像はできるが自分のこととしては感じられない。いまや地球人にとって、家族とは古い制度だ。持たなくてもいいし、家族なしでも社会は維持できている。アリウスに残してきたムデス・ハムザ機関士ならリアルにイメージできたかもしれないが。

 ところが、そのときおれはふと家族の存在をかすかに感じた。父親がいて、母親がいて、姉と妹がいる……。

(なんだ、この感覚は……?)

 既視感のような、でもそれとは違う。そんな一瞬の映像なんかではなく、何年もの積み重なった時間の重さすら感じてしまう。

 睡眠時の夢の感覚が残っていたのだろうか。しかしいまの時代に家族だなんて……。

「まぁ、だが地表に下りて実際に会ってみれば、懸念するほどのこともないだろうよ」

 ガリンがおれの肩をぽんとたたいた。

 それでおれは現実に引き戻される。



 その衛星に、おれたちは上陸することになっていた。――メッセージカプセルの指示である。

 まずはこちらから訪問して礼をつくす。

 使節団に参加してもらうのに姿も見せずに見も知らぬ宇宙船に同胞をゆだねてもらえるなどと、そこまで信用されるわけはなかった。代表として、アリウス人はコュ、地球人はおれ、縣浩仁郎の二人が、惑星グランの首都に出向くのだ。

 たったの二人で危険はないのかとガリンは心配したが、もし危険な種族であるなら、おそらくAGIはグランを選ばないであろうと考えられた。

 その意味では、よくも地球人が選ばれたと思う。数百年前なら、たぶん地球人の攻撃性は問題になっていただろう。現代だからこそそれがコントロールできていると、AGIは判断し、アリウスとの交流を認められたのだ。

 おれとコュは連絡艇に乗り込み、グラン人の住む衛星へと降下していった。ラグィド号の乗員五名に対し、十人は乗れる連絡艇が搭載されているのは、AGIと接触した際に、ラグィド号に招待する可能性を想定してのことだった。

 ラグィド号に戻るときは、グラン人を一人、乗せて帰ることになる。グランの文明レベルは高度ではあったが、宇宙開発においてはまだ無人機の段階であったから、自前の宇宙機はつくられていない。それでもなおAGIが、グラン人と接触し招待まで求めているのは、かれらがそれを受けるにたる性質を持っているからなのだろう。いったいグラン人とはどんな種族なのか、おれはコュの操作指示オペレーションで降下していく連絡艇のシートに収まりながら空想した。

 一方、ラグィド号に残った乗員は、グランの主星であるガス惑星から気体資源を採取する作業にあたる。

「間もなく、指定された座標に到着します」

 オートパイロットが音声で知らせる。

 おれは降下する連絡艇の正面の窓から地上の様子を垣間見る。しかし、人工の都市らしき景観はどこにも望めなかった。鬱蒼とした森林が広がるばかりなのだ。

 不審に思いつつも、連絡艇の加速度が変化していくのを感じ、着陸態勢に入ったのを知る。そして、ゆるやかにタッチダウン。

 外部環境をチェック。大気組成は地球、アリウスとさほど違わない。地球より若干酸素と二酸化炭素が多い。大気圧は〇・八気圧。気温摂氏四度。多少の環境の違いは体内のナノマシンが調整してくれるから問題はない。

「ハッチを開放。タラップ展開。もう降りられます」

 コュが言った。髪飾りがなければ、本当に誰かわからない。ウィトと入れ替わっていても気づかないだろう。

「では、降りよう。どんな歓迎をされるかな?」

 おれたちはシートを離れ、連絡艇の外へ出た。

 そこは、湿度の低い森のなかであった。文明の気配は、遺跡でさえもまったくなかった。

「着陸地点はここで間違いないのか?」

 おれはハッチドアを出たところで、タラップを下りるのをためらった。

 コュも不審に感じ、腕の携帯端末機でチェックする。空中で像を結ぶ仮想ウィンドウを見て、

「間違いありません。グラン側から指示されている座標です」

(謀られたか……?)

 おれたちを脅威と判断して謀略を用い、こんな森へ誘い込んで攻撃しようというのか、あるいはおれたちの連絡艇を奪い、その技術力を盗もうするか――。

 一瞬、そう思ったが、そんなはずはなかった。AGIが認めた異星人が、そんな真似をするとは考えにくかった。

 ということは、なにかのミスでこんなところへ着陸してしまった……。その可能性に思い至ったとき、

「いまログを解析しましたが、すべて正常に処理されています。ここは間違いなく指定された地点です」

 おれの同じようにコュも思ったようで、あらためてデータを洗っていた。

「では、これはどういうことなんだ……?」

 地平線まで続く一面の森に、動くものの気配はなかった。

「あ、縣さん、あれを見てください」

 コュが地面の一点を指さしている。おれはそこに目を凝らした。なにかゆっくりと動くものを認めた。

「あっ……」

 それは、写真で見た、樹木の幹のような肌のグラン人であった。



   ☆



「そう……。わざわざ、ありがとう」

 と、入堂は言った。電話では顔は見えないから、どんな思いでこの話を受け止めたのか、おれにはわからない。

 月曜の夜、おれは入堂に電話した。

 そして、なるべく主観が入らないように、調べた事実を淡々と告げた。

 それは入堂にとって衝撃的であっただろう。

 これで男性不信が払拭できたとは思えない。もしかしたら、逆にその感情が強くなったかもしれない。なにしろ不倫どころか殺人なのだ。しかも被害者は抗うこともできない幼い女の子だ。おれの叔父がやったことは、大人の男とは、こういう危険をはらんでいるのだと、心の奥のどす黒い欲望がいつ牙をむくかわからない怖さがあるのだと――。家のなかにそんな野蛮な猛獣がいるなんて、同居なんてぜったい無理だと思ったりするだろう。

「じゃ、おれから言うことはここまでだから、電話を切るよ」

「う……うん……」

 入堂はおそらく気持ちの整理がついていないに違いない。そのための時間が必要だ。

 おれは電話を切った。

 終わったな。

 そう思った。同時に、なぜかほっとしていた。父親の再婚を台無しにしてしまったかもしれないのに。

 ひょっとしたら、おれはいまのこの暮らしが激変してしまうことに対し、心のどこかで抵抗していたのかもしれない。クラスメートの女子と家族になってしまう――。その戸惑いは、あるいは拒絶だったのかもしれない。

 入堂のことを、べつに虫の好かないやつだと嫌っているわけではない。といって、さして親しい関係でもない。

 誤解を恐れず明確にいうなら、見ず知らずの他人だ。たまたま同じ高校に合格し、たまたま同じクラス編成になった、それだけの間柄だ。入学したつい二ヶ月前までは知り合う可能性すらなかった。

 なのに、いきなり家族になってしまう。そのことがどうしてもすんなり受け入れられないのだろう。

 それが今回のことではっきりしたような気がする。おれの心の声というのが聞こえてきたようだった。

 再婚がご破算になって、いまの暮らしがこれからも続く。父親には悪いが、いつまでもこの重要な事実を隠し通せるわけでもないのだから、この時点で明らかになって逆によかったのではないか。あとからわかって、わだかまりが発生するよりも、そんな修羅場を回避できて、かえってよかったのではないか。

 おれは自分にそう言い聞かせた。

 その夜、おれは心安らかに眠れた。

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