偽聖女として追放されそうになりましたが、それを知った女神様が激怒したので大変な事になりました

和泉 沙環(いずみ さわ)

第1話 偽聖女として追放されそうになりましたが、それを知った女神様が激怒したので大変な事になりました《前編》

 厳かな雰囲気で行われているエルヴァスティ王国学院の卒業式。

 卒業生は勿論の事、参席している在校生やこの王国学院でかつて学び卒業していった者は皆、黒地にロイヤルブルーの差し色が入ったアカデミックドレスを纏っており、外部出身の賓客は格式のある礼服姿だったり出身校のアカデミックドレス姿だったりと、壮観だった。

 式も終わりに差し掛かり、卒業生代表としてエルヴァスティ王国第一王子エドヴァルド・エルヴァスティが答辞を述べるべく登壇したのだが──彼は何故か婚約者では無い女生徒をエスコートしていた。

 この国の王族特有のプラチナブロンドの髪にサファイアの瞳の端正な顔立ちの王子と、ストロベリーブロンドにエメラルドの瞳の華奢な女生徒が並ぶ姿は舞台映えしたが、本来の予定にない行動をしたエドヴァルドに対し訝る目と非難の目が集まる。

 エドヴァルドは演台の前まで進むとエスコートしている女生徒と共に軽く一礼し、舞台袖の方をスッと指差した。その指の先には同じアカデミックドレスを纏う銀髪に濃紫の瞳の少女がいた。


「ジークリット、お前は聖女と呼ばれる資格など無いというのに長年聖女と偽って活動し、皆をたばかってきた。その罪は重い! だが幸い、ここに正当な聖女であるベックマン嬢がいる。私はジークリット・ノイエンドルフとの婚約を破棄し、アメリー・ベックマンを新たな婚約者とする!」





 第一王子エドヴァルドの答辞で恙無く終了するはずだったエルヴァスティ王国学院の卒業式は、そのエドヴァルドによってその進行を妨げられ──彼に糾弾されたジークリットは正直何がなんだかわからなかった。

 ジークリットは卒業生の一人だったが、エルヴァスティ王国の建国に関わりのある医術の女神エイルが加護を与えた次代の筆頭聖女なので、エドヴァルドが登壇する直前に聖女として祝辞を述べた後、用意されている席へ移動せずに舞台袖から見守ることにした。

 ──だけなのに、何故か舞台に上がった婚約者から非難され婚約破棄を言い渡された。

 婚約破棄の理由はとの事だったが、それ自体あり得ない話なのでジークリットは当惑する。


「ジークリット、よくも今まで騙してくれたな!」

「騙していただなんて、そんな……」

「言い訳など聞かぬ。お前の聖女の位を剥奪し、国外追放とする!」


 公の場で糾弾するほど嫌われていた事を知り、思いの外ショックを受けてしまったジークリットはようやく声が出、反論しようとしても気付けば両側に衛兵が立っていた。左右から問答無用で腕を掴まれてしまい、反論どころでは無くなってしまう。

 場内が騒然とする中、衛兵に拘束された拍子に被っていた学士帽が落ち、それを拾う間も与えられずジークリットは連行される。

 ステージ脇のステップを強引に降壇させられたジークリットはバランスを崩してよろめいてしまい、ステップから落ちそうになりヒヤリとしたが、両脇を固めていた衛兵のお陰で何とか転ぶ事なく床へ着地した。

 そのまま出入り口の方へとジークリットは引っ張られる筈だったのだが、その刹那──それ以上進む事を許さぬかのように、ジークリットの4〜5メートル先の通路に蒼白い雷が落ちた。

 大理石の床を舐めるように放射状に伸びて光った蒼電が一瞬ブラックアウトした周辺を照らし、突然の閃光にジークリットは立ち竦む。

 数拍遅れてバリバリと轟く雷鳴。

 轟音と衝撃波が空間を震わせ、鼓膜がビリビリする程の大音響にジークリットは思わず目を閉じ耳を両手で塞いだ。

 講堂の天井を突き破って落ちてきたそれに会場の皆は慄き、照明が明滅する中、出口へ我先にと逃げようとする者達の悲鳴と混乱が起こり──次にジークリットが目を開けた時には、雷が落ちた地点の大理石の床に小さなクレーターが出来ていた。

 落雷の衝撃で、座席の一部が吹き飛んでいるのが目に入る。

 明滅しながら元の明るさに戻った視界の中で、ジークリットは飛んだ座席で怪我人が出ていないか周辺を目視し、ステージ近くの前方の席は警備の関係で空席になっていたのを思い出し安堵したものの、自分を拘束していた衛兵達が足元に転がっているのが見えたので、ジークリットは彼らの様子を見るためにしゃがみ込んだ。

 自分を連行しようとした者達だったが、彼らは職務を遂行したに過ぎなかったからだ。


「よかった」


 二人ともただ気絶しているだけだった。ジークリットはホッと胸を撫で下ろすが、髪や頬をふわりと撫でる冷気を上方から感じたので顔を上げる。

 先程の落雷で天井の一部が欠落し、ぽっかり空いた穴の向こうに空が広がっている。会場入りする前は嵐の気配など全く感じない快晴の青だったのに、今は厚い雷雲かみなりぐもが空を覆っていた。

 パラパラと落ちてくる落下物を避けるようにジークリットは一歩後退したが、高速で流れていく黒雲を背にして上空から静かに降りてくる影があった。


戦乙女ワルキューレ……!」


 ジークリットと同じタイミングでその影に気付いた誰かが呟くのが聞こえた。

 戦死者を選ぶ女、という意味がある戦乙女ワルキューレ

 戦乙女ワルキューレは戦の勝敗を決めると言われており、勇者の魂をヴァルハラへ運ぶとされているが、生憎ここは戦場では無い。

 ジークリットの目に映るのは、武装した天馬に跨った真白い羽根のついた兜を被る鎧姿の光り輝く女性だ。その背中には純白の白鳥の翼があり、手綱を持つ手の反対側の手で槍を持つその姿は伝承で語られる存在として知られている。

 だが、ジークリットはその戦乙女ワルキューレを知っていた。


「エイル様……」


 医術の女神の名を呟くジークリットの声が思いの外響いたようで、逃げ遅れた者達が騒ぎ出した。


「女神エイルがお怒りだ!」

「殿下がジークリット様を排除しようとしたからこうなったんじゃないのか?」

「アメリーという令嬢は本当に聖女なのか?」


 ジークリットへの糾弾に疑問を抱いた者達の声が響く中、ジークリットは女神への敬意を示すようにその場に両膝をつき、祈るように両手を組んだ。他の皆も、それに倣う形で女神に対し膝を折り低頭する。

 明るいオレンジ色の長い髪を風に靡かせて静かに降下してきた女神エイルは、大理石の床へ天馬を着地させ無言で下馬すると、衛兵に連行されそうになった時にジークリットが落とした学士帽を不可視の力で手繰り寄せた。

 槍を持つ手で学士帽を支えるように持ちながら、女神エイルは反対の手でぽんぽんと埃を払うと、ジークリットの方へ歩を進める。

 静まり返る講堂内。皆、息を潜めていたのでコツコツと響く靴音と、天馬がぶるぶると低い声で嘶く音しか聞こえなかった。


「ジークリット、息災か?」


 ジークリットの前で足を止めた女神エイルの優しく気遣う声。その言葉の温かさに涙ぐみながらも、ジークリットはそれを堪えて「はい」と答え笑った。


「そうか」


 女神エイルはそう言うと身を少し屈め、空いている手でジークリットの少し乱れた髪を手櫛で軽く整えると学士帽をそっと冠せた。


「ジークリット、卒業おめでとう」

「ありがとう、ございます……」


 女神から直々に祝いの言葉を貰い、ジークリットは礼を言いながらも泣くまいと何度も瞬きする。しかし思いとは裏腹に眦から一粒の雫がこぼれ落ちてしまった。

 それを見た女神エイルは眉間に皺を寄せ、槍を持っていない方の手の親指で溢れた雫を拭った。


「ジークリット、頑張りすぎは身体に良くないぞ。怪我が無いのはわかっているが、心の傷は時に精神を壊す。時薬しか無い時もあるが、ほどよく発散しないとな」

「……はい」


 ジークリットは笑い泣きのような表情で頷いたが、瞬きする度に涙がこぼれてしまうので、アカデミックドレスの内側に纏う礼服のポケットからハンカチを取り出して目元を押さえ涙を自ら拭った。


「お見苦しい姿を見せてしまい、申し訳──」

「いいんだ。ジークリットは全然悪く無いからな」


 謝ろうとしたジークリットの言葉を遮った女神エイルは、いたいけな子供をあやすようにジークリットを軽くハグしてその背中を軽く撫でた。

 その背中越しにジークリットを偽の聖女だと糾弾したエドヴァルドの姿があったので、女神エイルは黄金の瞳を険しくして睨む。

 女神から怒りを向けられたエドヴァルドは顔を青褪めさせ、彼の隣に佇んでいたアメリーは女神から発せられた圧に耐えられず、エドヴァルドの腕に縋り付き女神の視線から隠れるようにして震えた。


「随分と好き勝手してくれたな? アタシが加護を与えた聖女を偽物だと否定した挙句、泣かすなんて許さない」


 女神エイルは呟き、ジークリットへのハグを解くと、舞台の上のエドヴァルドがいる方へ跳躍した。

 

「アタシは医術の女神エイルだ。えーっと、だっけ? アタシはその女を聖女認定した記憶が無いし、ジークリットの聖女の称号を剥奪する予定もないんだが?」


 音もなくステージへ上がった女神エイルは、気さくな態度で名乗りを上げる。その口上の後半は怒気がこもった声音と凄みが強かったので、その場にいた者達は女神に対する畏れもあり慄く事しか出来ない。


「何でそうなったのか、説明してもらおうか!」


 それは、医術の女神エイルによる待ったなしの追及のゴングが鳴った瞬間でもあった。

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