第4話

 七限目の授業とショートホームルームを終えて、ようやく一日のカリキュラムが終わった。

 春休みを挟んで、新学期も何日間かは短縮授業だったので、久々の七限授業は体に堪えた。後半は眠くて堪らなかった。

 ぐったりとした体をストレッチで伸ばし、首をぐるぐると回す。体中がバキバキだった。

 最近運動不足だったしなぁ、などと思っていると、祈織いのりが鞄を持って俺の席までやってきた。


麻貴あさきくん。私、今週掃除当番なんだけど……」

「ああ、うん。知ってる」


 今週は俺が掃除当番じゃないからな、と付け加えた。

 今週は祈織が掃除当番の週で、俺が来週だ。隔週でそれぞれの生徒がどこかの掃除当番になる様に割り振られていて、それは出席番号順で定められている。その関係で、俺と祈織はこの一年間、同じタイミングで掃除当番に当たる事がないのである。


「まあ、どっかで時間潰して待ってるよ」

「やった! 今日暖かいし、歩いて帰りたいなぁ」

「歩くの? 俺はいいけど、お前が遅くなるんじゃないか?」


 窓の外の空を見て祈織に訊いた。

 七限の日は、授業が全部終わると午後五時を回ってしまう。終礼後の掃除当番も含めれば、帰るのは五時半だ。そこから俺の最寄駅まで歩いてしまうと、四月と言えども、もう日が完全に沈んでしまう。

 ちなみに俺は八ヶ浜はちがはま高校がある八ヶ浜から二駅先の六ヶ峰ろくがみねというところに住んでいる。ギリギリ徒歩圏内だが、普段は電車通学だ。

 一方の祈織は、同じ沿線でも終点の藤澤ふじさわに住んでいる。大体二〇分弱程電車に乗る必要がある上に、榎島えのしま電鉄はローカル線であるので、本数も少ない。乗り合わせが悪ければ、藤澤に着くのはかなり遅くなってしまうのだ。


「私は別に遅くなってもいいよ? 六ヶ峰から電車乗るだけだし……それに」


 一緒に歩きたいし、と彼女は恥ずかしそうに付け足した。

 彼女にこう言われて、拒否する理由などない。


「まあ、お前が良いんならそれで良いんだけどさ」

「うん、じゃあ歩こっ」


 言いながら、まだ教室にも関わらず、祈織は俺の手に触れてくる。それに応える様に、彼女の指に自分の指を触れる程度に絡ませた。

 ほんの少しの間だけ、そうして互いの手を弄り合って遊んだ。

 最近彼女は、こうして自然に触れてくる事が多くなった。その度に良太を始め、周囲の男子からの殺意が背中に突き刺さるのだけれども、にこにこしている彼女の手前、やめろとも言えない。それに、やめてほしくもなかった。


「掃除、すぐ終わらせてくるから」


 待っててね、と祈織は名残り惜しそうに俺の手を離して、ぱたぱたとそのまま掃除当番に向かって行った。

 その後ろ姿を見送ってから、帰りの仕度をしている友人の方を向く。


「あー。良太。暇なら時間潰しに──」

「僕が付き合うわけないだろ⁉」

「ですよねえー……」

「まあ、暇だから別に良いんですけどね⁉」

「良い奴かよ」


 なんだかんだ憎まれ口を叩きつつも暇潰しに付き合ってくれるのが良太だ。本当に良い奴である。

 結局俺は、祈織の掃除当番が終わるまで、良太とアプリゲームをして遊んでいたのだった。憎まれ口を聞きながらであるが、これはもう暇つぶしに付き合ってもらっている代償みたいなものだ。


「かーッ! 何でカノジョ持ちにゲームですら勝てないんですかねえ⁉ 世の中理不尽過ぎませんか⁉」


 何回かの対戦を経て、良太がブチ切れ始めた。

 せっかく付き合ってくれているのだし、上手く負けてやりたいのだけれど、その塩梅が難しい。


「お前の攻め方が、毎回単調だからだよ……」

「キィィイイイイイ! もう一回だ、もう一回!」

「はいはい……」


 さすがに全勝してしまうと申し訳なくなってくるので、どうにか頑張って勝って欲しい。

 ただ、祈織と過ごす時間も好きだけど、こうして良太とバカをやる時間も好きだった。ちょっとうるさいけど、それでも俺の生活は充実していた。

 毎日騒がしいけれど、毎日が楽しくて刺激的。こんな何でもない待ち時間ですら、そう思えてしまうのである。そして、これらの大半は、恋人の天枷祈織あまかせいのりに起因してもたらされているのだった。


 ──信じられないな。


 ほんの数か月前まで、空虚な毎日を送っていた。それは中学の部活を引退して以降、ずっと続いていた。

 その空虚さからは、逃れられなかった。良太とバカをやって笑ったり、バイトをしたりして紛らわすのが精一杯。きっともう、そんなものなのだと諦めていた。

 しかし、彼女と過ごす時間はそんな俺の毎日を変えてくれた。空虚な日々を、彩りに満ちた毎日に変えてくれたのである。

 もちろん、何か真剣に打ち込めるものも、目指す夢も未だ見つかっていない。それでも、灰色に暮らしていた日々よりは、随分前身している様に感じるのだった。


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