レイジ・アゲインスト・獄童
四つあるバスケットゴールは、誰かがスラムダンクをした後なのか、ひしゃげたまま放置されている。床には埃が溜まっていて、長年放置されていた事が覗える。
「来てやったぞ」
昏い空間に言う。
照明がつく。眩しさに目を細めた。
「地獄へようこそ」
中二病めいたセリフ。言ってみたかっただけだろう。
やたらと筋肉質な影が嗤う。
――
校長が使うであろう演題に立つオールバック。全身が筋肉で隆起しており、黒いタンクトップは筋肉ではちきれんばかりだった。それでいて下半身はスラリとしていて、日本刀のような形状をした脚はゲイ受けしそうなフォルムだった。
「お前がここまでやるとは思わなかった」
「やかましい。麗奈はどこだ?」
「おおっと、愛しい彼女が心配か」
「安心しろ。彼女は無事だ」
「彼女は俺の兄貴が大事に大事に保護している」
「麗奈をどうするつもりだ?」
「さあな。兄貴は女癖がいい方じゃないから、散々遊んだ挙句に国外のロリコンにでも売り渡すかもな。日本人の子供は高く売れるんだ」
口ぶりからして、麗奈が売られていった少女の一人目ではなさそうだった。
「舐めた真似をしたらぶっ殺してやる」
静かなる断言。
「やってみな。それが出来るんだったらな」
「お前はここで死ぬ」
驚く事じゃない。駆けて、跳躍しながら右ハイキックを放つ。
巨漢を飛び越えて着地すると、そのまま背後に踏み込んでサイドキックで突く。浅く
沈黙。空気が重い。
蒸し暑さで肌がじっとりとしてきた。
嗤う
手榴弾を取り出す。ピンを抜いて、正面に投擲する。
だが、
ガードを固め、頭から突っ込んだ。ぶちかまし。頭蓋骨と頭蓋骨が衝突する。
脳が揺れ、視界が揺れる。だが、知った事じゃない。ガードを固めながら、左右のボディーを叩いていく。
何発かレバーフックが入る。だが、
それでも何発か打てば効いてくる。
構わず左右のボディーを打ち込み、ガードが割れたらその隙間にアッパーをねじ込む作戦だった。
だが――
息がつまり、後ずさる。震える膝を悟られまいと堪えるも、口の両端から胃液が漏れ出ていた。
――たった一撃で胃がのたくっている。
ナックルダスター付きで放たれた拳は、文字通り凶器そのものだった。
溢れ出ようとする胃の内容物を飲み込んで、肋骨が折れていない事を確認する。あの一撃でアバラの一本も失っていないというのは幸運以外の何物でもない。
ステップを踏む。重い身体を、無理にでもコントロール下に置く。
嗤う
ベルトの両サイドにあるホルスターから特殊警棒を引き抜く。二刀流。目の前でクロスさせて、
警棒を振る。
想定内だ。左右から警棒を振り、でかい図体をとらえに行く。風を切る音が古びた体育館に鳴り響く。
左右から素早く薙ぎ、踏み込んで胸を突く。当たる。
その刹那、
気付いた時には、左の頬付近に拳が迫っていた。よけられない。歯を食いしばる。衝撃。視界が黒くなった。
真っ黒になったままグルグルと回る映像。
自分が倒れたらしい事だけは鮮明に分かった。
朦朧としながら、横に転がって跳ね起きる。床に響く鈍い音。幸運にも追撃を免れたらしい。
バックステップして、呼吸を整える。
徐々に取り戻される視界。意識が回復するとともに、脳内にはジンジンとした痛みが広がっていく。ダメージは確実に蓄積されている。
歯ぎしり。奥歯を噛みしめる。
欠けた歯が地面に転がった。
身体を振る。的を絞らせないようにして、両手に持つ警棒を揺らした。
遠くでステップを踏む
左に回り、アウトサイドから警棒を突いていく。
軽く素早い突きを連発する。
左手に持った警棒で突きのフェイントから左フックの要領で飛び込み、薙ぐ。下から迫るような軌道。鼻先でかわされる。
同時に、右手に持つ警棒を振り下ろす。文字通り、打ち下ろしの右。
固い警棒が
――
床に背中を叩きつけられ、息が詰まる。規格外の石頭。まるで、頭蓋骨にセメントでも流し込んでいるかのような硬さだった。
歪む視界。目を開けたまま気絶しかけているのが分かった。間抜けな光景なのに、妙に頭は冴えて冷静だった。
「打たれ強さには自信があってな」
歪んだ景色の中に、ピカソに描かせたような
「俺は世界最凶の兄貴に育てられた。特殊警棒ぐらいで俺をどうにか出来ると思っていた事がそもそもの間違いだったな」
よろめきながら立ち上がる。両手から特殊警棒が無くなっている。さっきのぶちかましで飛んでいったようだ。
「来いよ」
構える。
膝を柔らかく、左右に身体を揺らす。軸はぶらさず、後ろ脚の
睨み合い。深夜の体育館に似合わぬ殺気に満ちた息遣い。
それは小学生同士の喧嘩をとうに通り越して、果し合いの様相を呈していた。
――ジャブだ。
素早く左前に踏み込んで、右ストレートを放つ。
――その刹那、
――罠だ。
気付いた時には遅かった。
致命的な一撃を受けた
慌てて立ち上がろうとする。右手をついて立とうとするも、腕が痙攣してまともに動かない。
顫える膝を抑えながら、ゆっくりと立ち上がる。
「クソが」
誰にともなく呪詛を吐く――あるいは、自分自身に。
鼻血が垂れてくる。今の一撃でやられたらしい。鼻骨を折られていないだけありがたいと思うしかない。
温かい血は、ボタボタと体育館の床に落ちていった。
「男前になったな」
ムカつくオールバック。構えたまま身体を揺らしている。
――すぐに舐めた口がきけないようにしてやる。
憎悪。腹の底から湧き上がる。
小刻みに顫える膝。無視してステップを踏む。
巨漢同士の殴り合い。勝負は一瞬でつく。
見合って、左を軽く突いていく。牽制代わりのフェイント。突っ込んでくれば右をぶち込む。
鼻血が垂れる。蒸し暑い館内。汗がじっとりと肌に湧いた。
揺れる身体。目の前のオールバックが一瞬止まる。
――今だ。
踏み込んでワンツーを放つ。スピード重視の連撃。タイミングを外して、一瞬の隙を突いた。ジャブが空を切り、ストレートが
――もう一撃。
踏み込もうとした刹那、膝が揺れる。
――まだ、効いている。
追撃はかなわず、揺れる膝を抑えた。その隙に
――クソが。
心の中で毒づく。
身体を揺らす。仕切り直し。頭を冷やさないといけない。
――考えろ。
どうすればあのムカつくオールバックをぶちのめせる?
――考えろ。
あの拳は凶器だ。まともに喰らえばタダでは済まない。
――考えろ。
アウトボクシングに徹してチャンスで一気に殴りかかるか。
――考えろ。
いや、あの男に技術戦で勝てるとは思えない。
――考えろ。
小細工無しで殴り合う。それが一番の正解に見える。
――考えるな。感じろ。
駆けだした。
走りながらストレートを放つ。
距離を詰める。猛牛同士が角を突き合わせる間合い。頭をくっつけて、ボディーを打ち合う。
左ボディーをめり込ませる。かすかな呻き。
ナックルダスター――凶器そのものの拳。中途半端に近付くよりは、あえて接近した方が威力を減じる事も出来る。左右からボディーブローを連発し、ガードの真ん中をアッパーで突き上げる。浅く当たった。
左のボディーから顔面へとフックをダブルで放つと、腕の隙間にバンテージでガチガチに巻いた拳をねじ込む。右ストレート。額に当たる。
――今だ。
踏み込む。もう一発ストレート。全身の力を拳の一点に集中させる。叩きつけた。
吹っ飛ぶ巨体。揺れる膝。効いている。
パンチを打ちながら
壁際。追い詰めた。後は死ぬまで殴り続けるだけ。
右フックが
――くたばりやがれ。
トドメとばかりに右アッパーを振り抜いた。
当たれば、終わる。
必殺の一撃が
ガードの中から反撃の隙を窺っていた
大振りのアッパーに合わせて、右のショートフックを放った。
画に描いたようなカウンター。鋼鉄の拳は
悪夢の逆転。いや、思えば最初から術中にはまっていただけかもしれない。
大の字。反対側から歩いてくる
舌が痺れる。実際には叫ぶ事も出来ない。絶望的な光景。身体が言う事をきかない。
蜃気楼のようになった視界の向こうから人影が歩いてくる――
本能で首をひねる。鈍い金属音。あの世行きは免れた。
歪む視界。振り続ける拳。四の五の言っている場合じゃない。対応しなければ殺されるだけ。
鈍い痛み。全身がまだ麻痺している。殴られても痛みを感じられないほどに。
本能だけで脚を蹴り上げた。上半身をのけぞらせていたところに直撃する。素早く立ち上がり、膝立ちの顔目がけてサッカーボールキックを放つ。かわされた。振り向き、構えなおす。
睨み合う。お互いが相手を殺すタイミングを計っている。湿った空気。汗が、殺意が流れ出る。
視界はまだ歪んでいる。さっきよりはマシだ。強引に身体を揺らす。止まれば、そのまま眠りに就いてしまいそうだった。
小細工はきかない。それだけは確信した。この男を倒すには、完膚なきまでに叩き潰すしかない。
踏み出す。スナップを効かせて、肩から先を伸ばす。長いジャブ。勝利の定石。
素早く連打されるジャブ。数発ののちに伸びたジャブが
いらだち。いかつい顔からムカつく笑みが消えた。
喰らえばすべてが終わる大砲。それすらもアウトサイドへステップしてかわす。
「舐めるなああ!」
逆上した
死の拳が放つ風圧。顔面の前で空気が押しつぶされていく。
間隙を縫って、腹に素早くストレートをめり込ませる。
――当たればお前は終わる。
邪悪な笑み。勝利を確信した悪党の顔だった。
その刹那、
息がつまる。
双眸に映る
――こいつは何をやりやがった?
脳裏に浮かぶ疑念。
――その手に持っていたのは、スタンガンだった。
全身に電撃の余韻が残っている。痺れる腕、舌、力の入らなくなった両脚。
時計の針を止められたように動かない全身。
轟音。何かが砕けた音。
巨体が背中から叩きつけられ、竹製のフローリングに盛大な衝撃音が響く。勝負は誰が見ても明らかだった。
「こいつの存在を忘れていたのは迂闊だったな」
スタンガンを眺めて呟く。
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